第三章 33 『師匠みたいにはできない』
ガルドの《反魔法》を記録していたレオンの測定器に、これまでとは違う反応が浮かび上がった。
王都全域へ薄く広がる干渉は、中央競技場のガルドから直接すべての地域へ伸びているわけではない。
競技場周辺の複数地点で一度反応が強まり、そこを中継するように王都の各区画へ広がっていた。
「固定点がある」
レオンは測定器の表示を王都中心部の地図へ重ね、反応が集中する地点を順番に拾った。
「ガルド本人だけで王都全域を覆ってるんじゃない。周囲に反魔法を定着させた場所がある。そこを切れば、少なくとも広域干渉は弱められる」
「壊せば初級魔法が戻るの?」
フィナが地図を覗き込むと、レオンはすぐには肯定せず、複数の波形を見比べた。
「全部切れれば可能性は高い。ただし、ガルドの近距離反魔法は別だ。あいつ自身の周囲では、固定点がなくても現代魔法を否定できる」
「なら、先に王都の方を戻すわよ」
エルナは迷わず競技場の外へ視線を向けた。
「このままじゃ、街の人たちがずっと困るんだから」
ガルドは追おうとせず、五人の動きを面白そうに眺めていた。
「好きにしろ。見つけたなら、それも試してみりゃいい」
「何であんたに許可されなきゃいけないのよ!」
「エルナ、今は相手しなくていい」
フィナが腕を引くと、エルナはまだ何か言いたそうにガルドを睨んだものの、すぐレオンたちと一緒に広場を離れた。
最初の固定点は、競技場西側の装飾塔の裏にあった。
石畳へ染み込むように残った黒い反応をネムが見つけ、その周囲だけ《万象静止〈サイレント・レスト〉》で活動を鈍らせる。
反魔法の流れが一瞬細くなったところへ、レオンが構築術式を差し込み、外側の祭典設備へ影響を出さず接続だけを切断した。
「一つ目、消えた」
ネムが反応の消失を確認する。
「次は北東。ここから二百メートルくらい」
「走るわよ!」
エルナが先に通路へ出たところで、フィナも続こうとしたが、レオンが外套の袖を掴んだ。
「お前は俺の指示を待て」
「なんで私だけ!?」
「固定点ごと地面を消されたら困る」
「消さないよ!」
「今は信頼の話じゃない。設備が密集してる」
「信頼も少しは関係してる言い方だったよね!?」
ネムが二人の横を通り抜ける。
「かなり関係してる」
「ネムまで!」
リリカも慌てて追いながら、しかしいつものようにフィナを全面擁護することはなかった。
自分の初級火魔法が戻っていない以上、今は一つでも多く固定点の構造を見る必要があると分かっていた。
二つ目は展示用の魔導柱の内部、三つ目は広場を囲う簡易結界の支柱付近に埋め込まれていた。
エルナが上位雷魔法を細い一本へ絞り、反魔法の外縁へ一瞬だけ過負荷を与える。
その隙にネムが内部の揺れを静め、レオンが構造を切り分けると、最後にフィナが指定された部分だけへ小さな風を送り込んで残った反応を剥がした。
「ここだけ?」
「そこだけだ。右の支柱には触るな」
「分かった。ちょっとだけ風」
「『ちょっと』じゃなく、印を付けた場所だけだ!」
「同じ意味だよ!」
「お前の場合は違う!」
フィナが不満そうに頬を膨らませながらも、風はレオンが示した細い箇所だけを正確に捉えた。
反魔法の残滓だけが支柱から剥がれ、祭典設備は微動だにしない。
「ほら、できた!」
「できることは知ってる。お前の自己判断の基準を信用してないだけだ」
「それ、褒めてるようで全然嬉しくない!」
エルナが次の地点を確認しながら肩を震わせる。
「今のはレオンが正しいわよ」
「エルナまで!」
「でも精密制御はちゃんとできてる。そこは認めてるから、さっさと次へ行く!」
四つ目の固定点も解除され、王都地図上の反魔法反応が目に見えて弱くなった。
止まっていた地域の一部では初級魔導具が瞬間的に反応を取り戻し始めている。
しかし完全復旧には至らず、残る一本の強い流れが王都全体の共通基底を押さえ続けていた。
「最後、どこですか?」
リリカがレオンの測定器を覗き込む。
「中央競技場の南側。屋台通りとの境目だ」
五人が到着すると、最後の固定点が厄介な場所にある理由はすぐ分かった。
魔法祭用の照明線、給水設備、装飾布を支える細い支柱が密集し、そのすぐ向こうでは避難途中の市民が安全な通路へ誘導されている。
固定点そのものも複数の設備線の隙間に入り込み、黒い反応は指先ほどの範囲にだけ集中していた。
「雷は無理ね」
エルナは杖を下げ、周囲の金属部品へ視線を走らせた。
「細く撃っても、これだけ導線が近いと逃げる可能性がある」
「風で剥がすのも駄目だ」
レオンもすぐ続ける。
「固定点の外側が祭典設備と絡んでる。力をかければ別の線まで動く」
「ネムが止める?」
「止められる。でも、切れない」
ネムは固定点へ意識を向けたまま、わずかに眉を寄せる。
「細い火なら、ここだけ焼ける」
全員の視線が、自然にリリカへ向いた。
初級火魔法の精密操作。
小さな灯火を必要な位置へ置き、余計な場所を焦がさず、細い術式線だけを焼き切る。
本来なら、今の五人の中でリリカが最も適している仕事だった。
「……私、ですね」
リリカは杖を握り直した。
「でも、初級火魔法はまだ……」
フィナが心配そうに顔を向ける。
「無理しなくても、別の方法考えよう?」
「待ってください」
リリカは固定点から目を離さなかった。
さっき見た光景が頭から離れない。
フィナは術式を使わず、ただ火を出した。
反魔法に狙われる共通基底も、途中の術式構造もないまま、掌の上へ直接炎を成立させていた。
「師匠みたいにやれば……」
「リリカ?」
「術式を使わなければ、反魔法に止められないんですよね」
レオンの表情が変わる。
「待て。それは――」
「一回だけ、やらせてください」
リリカは杖を下ろし、フィナがしていたように右手を前へ出した。
術式を組まない。
いつもの魔力経路も使わない。
ただ、掌の上に小さな炎があるところを思い浮かべる。
「火……」
何も起きなかった。
リリカは一度息を整え、もう一度フィナの動きを思い出した。
力を込めすぎず、難しく考えず、火が欲しいと思えば火が生まれる。
「小さい火……!」
掌には何も現れない。
魔力だけが出口を探すように揺れ、慣れ親しんだ初級術式へ流れようとして、王都を覆う反魔法に押し戻された。
「もう一回……!」
「リリカ、やめろ」
「まだできます!」
フィナの手の向きや呼吸、魔力を動かし始める瞬間まで可能な限り重ねる。
それでも、最後だけは同じにならなかった。
フィナには存在しない術式の道筋を、リリカの魔力はどうしても求めてしまう。
動作を似せても、魔力操作を真似ても、世界へ直接現象を成立させるところまでは届かない。
「どうして……」
リリカの声が震える。
「フィナ師匠は、これで出せるのに……」
もう一度。
さらにもう一度。
掌を見つめるたび、何もない空間だけが残った。
フィナが近づこうとすると、リリカは小さく首を振った。
泣きそうな顔を隠す余裕もなく、右手を握っては開き、それでも炎が生まれないことを確かめるように見つめ続ける。
「私、ずっと……師匠みたいになればいいって思ってました」
声を絞り出しながら、リリカはようやく手を下ろした。
「真似して、同じようにできるようになれば、いつか私も……」
その先を言おうとして、息が詰まる。
フィナは何も挟まず、ただリリカの前に立っていた。
「でも……できない」
リリカは俯き、杖を握る手に力を込める。
「私は、師匠みたいにはなれない」
初めて自分の口で認めた言葉は、失敗したどの魔法よりも重かった。
最後の固定点は指先ほどの黒い反応を残したまま、祭典設備の隙間で王都全域へ反魔法を送り続けている。
その前でリリカは顔を上げられず、悔しさを抑えきれないまま立ち尽くしていた。




