第三章 29 『術式のない魔法』
学院の解析室には、王都各地から回収された失敗記録が次々と集められていた。
初級火魔法、給水用の初級水術式、風を利用した運搬補助、簡易照明まで用途も属性も違っているが、どの記録も現象へ変わる直前で同じように途切れている。
フィナたち五人も救援活動を一度学院側へ引き継ぎ、先程行った検証結果と新しい記録を照合するため解析室へ戻っていた。
「また線がいっぱい増えてる……」
フィナは壁一面の表示板を見上げ、数秒で眉を寄せた。
「前より難しくなってない?」
「記録が増えたんだから当然だ」
レオンは《術式編纂〈スペル・エディター〉》を展開し、属性ごとに分かれていた術式図から共通部分だけを抜き出していく。
「ただ、分かったことはむしろ単純になった」
「じゃあ簡単にお願い」
「まず最後まで聞け」
「もう難しくなる予感がする!」
エルナが横から表示板へ視線を向け、フィナの肩を軽く押して一歩下げた。
「説明を始める前から逃げようとしないの。今回はあんたの魔法にも関係あるんだから」
「逃げてないよ。心の準備してただけ」
「表示板から三歩離れる心の準備って何よ」
その隣では、ネムが椅子へ座ったまま枕型の魔導具を抱え、リリカは自分の杖を膝へ置いて真剣に表示板を見つめていた。
レオンが複数の記録を重ねると、火、水、風、土、光の術式から共通する細い環状構造だけが残った。
「先程でも確認したが、現代の初級魔法は属性ごとの処理に入る前後で、共通化された基底を使ってる。今止められているのは、この最後の成立側だ」
「私の火も、そこでした」
リリカが表示された一点を見つめながら、杖を握り直す。
「魔力は流れてるのに、最後だけ出てくれない感じです」
「ああ。お前の術式に異常はない」
レオンはリリカの記録を拡大し、正常に組み上がった部分を順に示した。
「術者側の失敗なら、人によって崩れる位置が変わる。だが今回の記録は、王都の東西南北で全部同じ位置から拒絶されてる」
エルナが腕を組み、別の表示へ視線を移す。
「中級以上が使える理由も、それで説明できるのね」
「中級以上は同じ共通基底を使わない。だから王都全体へ広がってる今の干渉には引っかからない」
「つまり、初級魔法を適当にまとめて消してるんじゃなくて、仕組みを理解した上で狙ってるってこと?」
フィナの問いに、レオンは表情を引き締めた。
「その可能性が高い」
学院側の解析担当者が新しい記録を追加すると、王都地図の上へ失敗地点が重なっていく。
場所による強弱はあるものの、どの地域でも同じ共通基底だけが否定されていた。
「自然現象じゃないわね」
エルナも地図を見ながら声を落とす。
「もし魔力嵐とか地脈の乱れなら、こんな綺麗に初級術式の同じ部分だけを選ばないでしょ」
「そうだ」
レオンは表示を切り替え、今度はフィナの測定記録を中央へ出した。
他の魔法では複雑な術式図が並んでいるのに、フィナの記録には発動時の魔力反応と、その直後に成立した現象しか残っていない。
「そして、問題はこっちだ」
「やっぱり私?」
「やっぱりお前だ」
「最近ずっと私の記録だけ扱いが特別じゃない?」
「特別だから困ってる」
フィナが少し不満そうに頬を膨らませたところで、ネムが表示板を見上げる。
「フィナのだけ、道がない」
「道?」
「魔力から魔法になるまでの」
ネムは自分の指先で空中へ線を引くような仕草をしたものの、途中でやめてフィナを見る。
「みんなは通る。フィナは通らない」
「飛び越えてるってこと?」
「それも違う」
レオンがすぐ否定し、通常の初級火魔法とフィナの「小さい火」の記録を重ねた。
「飛び越えてるなら、通るはずだった構造か、その痕跡が残る。フィナには最初からそれが存在してない」
表示板の片側では、一般術式が魔力を受け入れ、属性へ変換し、現象成立へ繋がっている。
一方のフィナは、魔力反応の次に炎そのものが記録されており、その間を埋める構造は何度解析しても現れなかった。
「だから、今の異常に耐えてるわけじゃない」
レオンは二つの記録の違いを指でなぞる。
「耐性が高いなら、妨害される術式を力ずくで維持してる形になる。でもフィナには、妨害する側が狙う初級術式共通基底そのものがない」
「……じゃあ、私の魔法を止めようとしても」
「今の王都全域の干渉では、掴む場所がない」
フィナは無意識に右手を見下ろした。
以前なら、規格外に強いだけだと言われた方がまだ分かりやすかった。
魔力が多すぎるから普通の妨害を押し切っていると言われれば、自分なりに納得できたかもしれない。
けれど、今回は違う。
「私だけ、最初から別の道を使ってるんじゃなくて……道そのものがないんだ」
「今の計測結果だけ見ればな」
レオンは断定しすぎないよう言葉を選びながらも、視線を逸らさなかった。
フィナの頭に、学院へ侵入した黒い仮面の男の言葉が浮かぶ。
術式を必要とせず、認識のみで現象を成立させる存在。
完全な原初魔法適合者。
「……原初魔法」
フィナが小さく呟くと、リリカとエルナもすぐ反応した。
「前の侵入者が言ってた言葉ね」
「はい。フィナ師匠の魔法を見て、そう呼んでいました」
リリカは興奮しかけたものの、以前エルナに手帳を閉じられたことを思い出したように、今回は何も書かずに続きを待った。
「レオン。あの時の話と、今の結果って……やっぱり繋がってるのかな」
フィナの問いに、レオンは侵入事件の記録を呼び出した。
「一致する部分は増えた」
「じゃあ本当に原初魔法?」
「そこまではまだ確定しない」
「また?」
「まただ」
即答され、フィナが少しだけ肩を落とす。
レオンは敵の証言記録と今回の測定結果を並べ、両方を見比べた。
「あいつは『原初魔法』という名称を知っていたし、フィナの特徴もかなり正確に言い当てていた。だが、俺たちは原初魔法そのものを第三者の資料で確認できてない」
「敵が正しいこと言ってたとしても、それだけで正式名称にはできないってことね」
エルナが先に理解すると、レオンも小さく頷く。
「今確定してるのは、フィナの魔法に現代魔法の術式構造が存在しないこと。それと、今回の初級魔法妨害がフィナには作用してないことだ」
「原初魔法かもしれない。でも、まだ『かもしれない』」
ネムが短くまとめる。
「ネムの方が説明短い!」
「必要なところだけ」
「俺の説明も必要だ」
「長い」
「そこまで削るな」
少しだけ空気が緩み、フィナも小さく笑った。
それでも、自分の右手へ向ける視線には迷いが残っている。
「私、ずっと初級魔法だと思ってたんだけどな」
リリカがすぐ顔を上げる。
「フィナ師匠!」
「うん?」
「初級魔法でなくても、フィナ師匠の魔法であることは変わりません!」
「それはそうなんだけど……」
「そして、もし原初魔法なら、私は原初魔法適合者を師匠に持つ最初の弟子という――」
「待って、もう話が大きくなってる!」
フィナが慌てて両手を振ると、エルナがリリカの肩へ手を置いた。
「まだ確定してないって今説明されたでしょ!」
「可能性の段階から記録しておけば、後世の資料として――」
「後世を巻き込むな!」
ネムは三人の騒ぎを眺めたあと、フィナの袖を軽く摘まんだ。
「変でも、同じ」
フィナがネムへ顔を向ける。
「昨日までと?」
「うん。フィナはフィナ」
その言葉に、フィナの表情から少しだけ強張りが抜けた。
魔法の正体が分からなくても、仲間たちは距離を取らない。
レオンは記録を続け、エルナはいつも通り怒り、リリカはむしろ尊敬を増やそうとして、ネムは変わらず隣にいる。
その時、解析室の奥で王都全域を監視していた大型測定器が鋭い警報音を響かせた。
「何!?」
エルナが振り返るより早く、レオンは表示板へ向き直った。
王都地図の中央部に、これまで薄く拡散していた干渉とは明らかに違う濃密な反応が浮かび上がっている。
その波形は初級術式共通基底を拒絶しているものと一致しながら、周辺の数十倍の強度を保ったまま一定地点に固定されていた。
「中央競技場付近……?」
学院側の解析担当者が位置を絞り込み、別の観測記録を重ねる。
「反応が継続しています。地脈変動ではありません。一定の出力で維持されています!」
レオンは王都各地の失敗記録と中央部の反応を重ね、広がる方向を確認した。
「中心から外へ伸びてる」
フィナたち四人が一斉に表示板を見る。
「誰かが、あそこから王都全域へ干渉を流してる」
偶発的な魔導障害でも、魔法祭による過負荷でもなかった。
初級術式の共通基底だけを狙い、王都という広大な範囲へ均一に広げられた異常には、明確な発生源と、それを維持し続ける何者かの意思が存在していた。




