第三章 23 『初級魔法のない王都』
王都魔法祭が正式に中断されてから、セレフィア王都は少しずつ祭りの日とは思えない姿へ変わっていった。
大通りに並んでいた屋台の多くは火を落とし、通路を照らしていた小型の魔法灯も消えている。大型照明や中級以上の術式を使う設備は動いているものの、その数だけで普段の明るさを補うことはできず、昼間だというのに建物の奥や細い通りには薄暗い場所が増えていた。
「給水所、こっちです!」
学院職員の案内を受け、フィナたち五人は中央広場から西側の生活区画へ走っていた。
祭りのため王都には普段以上の人が集まっている。そこへ簡易給水設備や着火設備まで一斉に止まったことで、学院と王都衛兵だけでは対応が追いつかなくなっていた。
道の途中では、初級風魔法で動いていた清掃用魔導具が通りの中央で停止し、その周囲に紙片や屋台の包みが散らばっている。
少し先では、荷物運搬用の補助器具が止まったため、商人たちが人力で大きな箱を運び直していた。
「初級魔法がなくなるだけで、こんなに止まるんだ……」
フィナは走りながら周囲へ視線を巡らせた。
隣を進むレオンは、学院から渡された簡易地図を確認しながら進路を選んでいる。
「普段から使われてる数が違う。上位魔法は強くても、全部の生活設備に組み込むようなものじゃない」
「中級以上を使える人を集めれば何とかならないの?」
少し後ろからエルナが問いかけると、レオンは角を曲がりながら首を横へ振った。
「一部ならな。でも王都全体は無理だ。術者の人数も魔力量も足りないし、中級術式は初級より制御負担が大きい」
ネムはフィナのすぐ後ろを走りながら、道の端で不規則に明滅している魔導具へ目を向けた。
「……止まってるのに、まだ動こうとしてる」
「暴走する?」
フィナが足を緩めかける。
「分からない。でも、うるさい」
ネムの言葉を聞いたレオンがすぐ進路を変え、問題の魔導具へ近づいた。
清掃用の小型装置だった。初級風魔法を基礎にした内部術式が何度も起動を繰り返しているらしく、動かない本体だけが細かく震えている。
「ネム、止められるか?」
「……できる」
ネムは装置の前へしゃがみ込まず、少し離れた位置から反応を捉えた。
《魔流鎮静〈カルミア・マナ〉》によって、起動を繰り返していた術式だけが静まり、本体の震えも止まる。
「完全停止。これで勝手に再起動はしない」
レオンが外装を開き、内部の魔力供給部を手早く切り離す。
「応急処置だけど十分だ。回収されるまでは安全」
フィナは二人の作業を見ながら、すぐ近くに散らばっていた紙を拾い始めた。
「じゃあ、私はこれ片付ける!」
エルナが呆れたように振り返る。
「そこで急に一番普通の仕事するのね」
「だって風で全部集めたら早いけど、人が多いし」
フィナは通りの両側を見てから、手元の紙を抱え直した。
「強い風にしたら屋台の物まで飛びそうだし、小さくやるならみんなで拾った方が早いかなって」
「その判断でいい」
レオンが内部部品を戻しながら答える。
「今は余計な魔法で状況を増やすな」
「増やさないよ!」
「今までの実績を考えると確認は必要だ」
「こんな時まで信用ないの!?」
少しだけいつもの調子が戻り、エルナの口元もわずかに緩んだ。
五人はそのまま西側給水所へ向かった。
そこでは初級水魔法式の給水器がすべて停止し、多くの市民が空の容器を持って並んでいた。
奥では中級水魔法を使える学院生が水を生成していたが、一人で何十人分も補おうとしているため、明らかに疲労が溜まっている。
「ここは私が手伝う?」
フィナが水場を見て手を上げかけると、レオンはすぐ給水槽の大きさと人の数を確認した。
「待て。直接大量に出すな」
「まだ『お水』って言ってないよ!」
「言う前に止めた」
エルナも給水槽へ視線を向けながら、フィナの隣へ立つ。
「一気に満たしたら、水圧で設備壊したとかやめてよ」
「ちゃんと量を決めれば大丈夫だよ!」
「その量を今からレオンに決めてもらいなさい」
フィナは少し不満そうだったが、今回は素直に頷いた。
レオンは給水槽の容量と残量を確認し、フィナが補充しても問題ない範囲だけを指定する。
その間にエルナは中級水魔法を使っていた学院生と交代するのではなく、別の場所で必要になっていた照明の補助へ向かった。
通路の一部では初級光魔法の灯りが消え、避難誘導の標識が見えにくくなっていた。
「全部を私が照らす必要はないわね」
エルナは周囲の配置を確認し、人が集中する曲がり角と階段だけへ魔力を絞る。
雷属性の応用による強い光を広範囲へ撒くのではなく、必要な位置にだけ明るさを作り、衛兵が誘導しやすいよう視界を確保した。
「エルナ、そっち助かる!」
フィナが給水槽から顔を上げる。
エルナは手元の制御を崩さないまま、少し得意そうに顎を上げた。
「全部派手にやればいいってものじゃないのよ」
「それ私に言ってる?」
「他に誰がいるのよ」
その間にもレオンは止まった給水器を一台ずつ確認し、初級術式部分だけを完全に切り離していた。
水そのものは別経路で補給できるため、故障状態の装置が無理に起動を繰り返さないよう応急処置を施していく。
ネムは少し離れた設備の中から、不規則な魔力反応だけを拾って停止させていた。
「……右端、まだ変」
「そこも頼む」
レオンの指示を受け、ネムが反応を静める。
五人の役割は自然に分かれていた。
フィナは必要な量だけ水を補い、人手が足りない場所では荷物を運ぶ。
レオンが設備を安全な状態へ戻し、エルナが上位魔法を必要な地点にだけ使い、ネムが不安定な魔導具を止めていく。
その輪の少し外で、リリカは何度も自分の杖へ目を落としていた。
「リリカ、そこの空容器をこっちへ運んでくれる?」
フィナに呼ばれ、リリカは慌てて顔を上げる。
「はい、フィナ師匠!」
すぐに動き、並んでいた容器を数個抱える。
できることはある。
人の誘導もできる。
荷物だって運べる。
それでも、少し先で屋台の担当者が火を求めているのが見えた瞬間、胸の奥が重くなった。
昨日までなら、自分が一番得意としていた仕事だった。
「火が必要なら……」
思わず杖を握る。
けれど、出ない。
さっき何度試しても、初級火魔法は成立しなかった。
中級火魔法を使える術者が別の場所から呼ばれ、着火だけを済ませて次の現場へ走っていく。その姿を見送ることしかできず、リリカは抱えていた容器へ視線を落とした。
「リリカ?」
近くで作業していたフィナが気づき、少し心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「はい!」
リリカはすぐ笑顔を作った。
「これ、どこへ運べばいいですか?」
フィナは一瞬だけ何かを言いたそうにしたが、今は周囲に困っている人が多い。
無理に聞かず、奥の給水列を指した。
「あっちお願い。私もすぐ行くから」
「分かりました!」
リリカは容器を抱え直し、人の間を抜けていった。
その後も五人は複数の区画を回った。
簡易照明が消えた通路では人を誘導し、止まった清掃器具は端へ寄せ、救助補助用の初級風魔導具が使えない場所では、人数を増やして負傷者を担架で運んだ。
フィナなら大きな魔法一つで荷物も人もまとめて動かせたかもしれない。
それでも、人が密集した王都で必要なのは大きさではなく、誰をどこへ運ぶかを間違えないことだった。
だからフィナは、レオンの指示を聞き、ネムの感知を頼り、エルナと役割を分けながら動いた。
夕方が近づく頃には、緊急対応の流れも少しずつ整い始めていた。
しかし、王都から初級魔法が消えた事実は変わらない。
リリカは最後の救援先で、火の消えた小さな調理台の前を通り過ぎた。
自分ならできたはずのことが、今日はできない。
フィナのようになれないことばかり気にしていたのに、今は自分がずっと使ってきた火さえ出せなかった。
杖を握る手に力が入る。
四人がそれぞれの力で役割を果たしていく中、リリカだけは、自分の場所が急に空白になってしまったような感覚を振り払えずにいた。




