第三章 18 『もう一度、祭りへ』
初級火魔法競技の準決勝が終わってからしばらくして、五人は学院競技区画を離れ、再び王都魔法祭の中心街へ出ていた。
昼を過ぎた大通りは、昨日以上の人出で賑わっている。学院生や冒険者、家族連れが行き交い、屋台の呼び込みと競技会場から響く歓声が重なって、通り全体が祭りそのものの音で満たされていた。
「今日はもう、しばらく競技のこと考えなくていいよね?」
左右の屋台を忙しなく見比べながら、フィナが半歩先を歩くレオンの予定表を覗き込む。
レオンは紙面へ目を落としたまま、次の予定時刻を指先で確認した。
「次まで二時間弱ある。リリカの調整も今日は終わりだ」
「やった!」
返事を聞いた瞬間、フィナの身体が右側の屋台へ吸い寄せられる。
すぐ後ろを歩いていたエルナは、その肩を掴んで元の進路へ引き戻した。
「待ちなさい。あんた、さっき競技場を出た時に焼き菓子食べたでしょ」
「でもあれは競技後のおやつだよ?」
「じゃあ今から食べるのは何なのよ」
「祭りのおやつ」
フィナが何の迷いもなく答えると、エルナは眉間を押さえた。
「分類を変えて無罪にしようとしないで」
そのやり取りを見ていたリリカは、胸元へ抱えていた杖を持ち直しながら小さく笑った。
準決勝を終えてからずっと、第四課題で崩れた感覚が頭のどこかへ残っている。それでも、四人と一緒に祭りの中へ戻ってくると、競技場で張り詰めていた気持ちは少しずつ緩んでいった。
フィナはそんなリリカの表情へ気づき、屋台の方を指差す。
「リリカも何か食べる?」
「いいんですか?」
「もちろん!」
リリカが少し考えてから屋台へ視線を向ける。
「では、私も一つだけ……」
その返事に、フィナは本気で驚いたように目を丸くした。
「一つでいいの?」
すぐ隣で予定表を畳んだレオンが、呆れたようにフィナへ顔を向ける。
「フィナ基準で聞くな。普通は一つで十分だ」
「私も普通だよ!」
「昨日から食べた数を数えるか?」
レオンが淡々と返すと、フィナは両手を広げて抗議した。
「祭りの日に食べ物の記録つけるの禁止!」
「そんな規則はない」
「じゃあ今作る!」
とうとうエルナが二人の間へ身体を差し込み、左右へ視線を振る。
「何で屋台一つ選ぶだけで規則制定まで進むのよ」
少し後ろを歩いていたネムは、その騒ぎには加わらず、通りの左側へ顔を向けていた。
そこでは冒険者ギルド主催の実演競技が行われている。木製の障害物や吊り下げられた標的を使い、制限時間内に荷物を運びながら進む内容らしく、参加者たちは剣や魔法を使わず、身のこなしだけで次々と障害を抜けていた。
フィナはネムの視線を追い、その横顔を覗き込む。
「ネム、あれ見たい?」
いつもなら人混みを避けたがるネムは、少しだけ考えてから競技場を指差した。
「見てもいい」
「珍しい!」
フィナが嬉しそうに声を上げると、ネムは眠そうな目のまま眉を寄せる。
「うるさい」
それでも嫌がる様子はなく、五人はそのまま競技場前へ移動した。
ちょうど、大きな木箱を抱えた冒険者が細い足場を渡っているところだった。途中では左右の射出器から柔らかい模擬弾が飛び、荷物を落とさずに避けながら最後まで進まなければならない。
「これ、難しそう」
フィナは人垣の隙間から競技場を覗き込み、木箱を抱えた参加者の動きを追う。
「荷物持ったまま避けるんだ」
その隣では、レオンが参加者より先に競技設備へ目を向けていた。
「実戦想定としては悪くない。ただ、右側の射出器だけ発射間隔が少し長いな」
エルナはすぐにレオンへ振り返る。
「観客として見なさいよ!」
「気づいた以上、気になるだろ」
「祭りの競技見て最初に考えるのが設備差なの?」
「公平性は重要だ」
レオンが真顔で返した直後、競技中の冒険者が模擬弾を一発避け、着地の勢いで木箱を大きく傾けた。
観客から声が上がる。
それでも参加者は片足で踏ん張り、箱を落とさず姿勢を戻して、そのまま最後の足場を駆け抜けた。
「おおー!」
フィナとリリカがほとんど同時に手を叩く。
リリカは目を輝かせたまま、隣のネムへ顔を向けた。
「ネムちゃん、今のすごかったですね!」
ネムも競技場から視線を外さず、ほんの少しだけ頷くように顎を動かす。
「上手かった」
その返事を聞いたフィナが、すぐ嬉しそうに身を乗り出した。
「ネムも楽しんでる!」
「少し」
「少しなんだ」
ネムはようやくフィナへ目を向ける。
「いっぱいだと疲れる」
「楽しさにも上限あるの!?」
冒険者競技を見終えた五人は、そのまま近くの屋台通りへ流れた。
最初は「一つだけ」と言っていたリリカも、香辛料の匂いが漂う串焼きと、果実を薄い飴で包んだ菓子を見つける頃には、準決勝のことを忘れたように目を輝かせていた。
「フィナ師匠、これ美味しいです!」
紙袋から飴菓子を一つ取り出し、リリカが嬉しそうにフィナへ見せる。
「ほんと!? じゃあ私も!」
フィナがすぐ隣の屋台へ向かおうとすると、エルナがその腕を掴んだ。
「フィナはもう両手に持ってるでしょ!」
「これは別のお店のだから!」
フィナの右手には串焼き、左手には焼き菓子と果実水がある。
エルナはそれを順番に見てから、呆れたようにフィナの顔へ戻った。
「胃袋は同じでしょ!」
「でも味は違うよ!」
「論点そこじゃない!」
少し先では、レオンが二軒の屋台に掲げられた値札を見比べていた。
「同じ量なら、向こうの店の方が銅貨二枚安いな」
その言葉を聞いたエルナが、今度はフィナからレオンへ矛先を変える。
「味はこっちの方が良さそうじゃない?」
「値段差を無視する理由にはならない」
レオンは値札を指差しながら、真面目な顔で続ける。
「満足度を考えるなら、まず費用との差を見るべきだ」
エルナは腕を組み直し、わざとらしく屋台の料理へ視線を向けた。
「祭りで満足度を計算しないでよ。見た目と直感で選べばいいでしょ」
「根拠が弱すぎる」
「じゃあ比べるわよ!」
「何を?」
「同じ種類を両方買って、どっちが美味しいか!」
レオンが一瞬だけ言葉を失う。
「それだと余計に金がかかるだろ」
「勝つためなら必要経費よ!」
「何に勝つ気なんだ!」
いつの間にか、節約と味のどちらを優先すべきかという話が、二人の勝負へ変わっていた。
その隙にフィナは、さっきエルナに止められた菓子をちゃっかり買って戻ってくる。
最初に気づいたのはリリカだった。
「フィナ師匠、増えてます!」
フィナは手元の包みを背中へ隠そうとする。
「今なら二人とも見てなかったから」
近くの長椅子へ座ったネムが、フィナの両手をゆっくり数えるように目を動かした。
「五個目」
「ネム、数えてたの!?」
「途中から」
フィナが驚いて振り返ると、ネムは平然と続ける。
「あとでレオンに教える」
「密告者がいる!」
その声で、屋台の比較をしていたレオンが振り返った。
視線がフィナの手元へ止まる。
「フィナ」
「違うの! これはリリカと半分こする予定で――」
突然巻き込まれたリリカが、包みとフィナを交互に見る。
「えっ、そうなんですか?」
「今決めた!」
エルナが額を押さえながら二人の間へ戻ってくる。
「リリカを共犯にしないであげなさい!」
そのツッコミに、とうとうリリカも堪えきれず笑い出した。
朝から準決勝のことばかり考えていたはずなのに、今は失敗した第四課題も、次の練習方法も頭から離れている。
「こういうのも、いいですね」
飴菓子を一口食べたリリカは、騒がしい四人を見回しながら頬を緩めた。
「競技のこと、ちょっと忘れました」
フィナは自分の焼き菓子を食べながら、嬉しそうに笑う。
「それでいいんじゃない? ずっと考えてたら疲れるよ」
「フィナ師匠が言うと、すごく説得力があります」
「何で?」
長椅子からその会話を聞いていたネムが、フィナの手元へ目を向ける。
「今、何も考えず食べてる」
「そこ!?」
エルナが吹き出し、レオンまで口元を緩めた。
その頃、五人がいる通りから少し離れた魔導具展示区画では、小さな異変が起きていた。
展示棚へ並べられた初級風魔法式の乾燥器具が、一瞬だけ停止する。
ほぼ同時に、その隣にあった初級水魔法式の小型給水器も光を失ったが、どちらも数秒もしないうちに元へ戻った。
装置を確認していた魔導技師は、内部の魔力回路を覗き込んでから、隣の技師へ肩をすくめる。
「昨日から動かしっぱなしだからな。連続稼働の負荷だろう」
「予備器へ替えますか?」
「いや、今は戻ってる。夕方にまとめて点検しよう」
周囲の来場者も、特に気に留めなかった。
別の通りでも、照明用の初級光魔法式が一瞬だけ暗くなり、荷物運搬用の小型風魔導具が数秒止まったものの、どれもすぐ正常へ戻っている。
祭りでは大量の魔導具が一日中稼働しているため、多少の不調が出ても珍しいことではないと思われていた。
夕方が近づく頃、五人は最後に学院側の屋台通りへ立ち寄った。
エルナは既に増えているフィナの包み紙を見ながら、念を押すように顔を覗き込む。
「さすがにもう食べないわよね?」
「見るだけ!」
フィナが胸を張ると、少し後ろを歩いていたレオンが無言でその手元へ視線を落とした。
「その視線やめて!」
フィナが抗議する横で、屋台の奥では料理用の鉄板を準備していた担当者が、着火用の魔導具へ魔力を流していた。
火属性の初級術式が淡く光る。
しかし、炎は出ない。
「あれ?」
担当者は眉を寄せ、魔導具の接続部を確認してから、もう一度魔力を流した。
術式は起動しているように見える。
それでも火だけが生まれず、三度目に試しても結果は変わらなかった。
祭典会場の喧騒は、何事もなかったように続いている。
その一角で起きた小さな不調を、まだ誰も、初級火魔法そのものに始まった異変だとは考えていなかった。




