第三章 14 『祭りの夜』
王都魔法祭一日目の夜、セレフィア王都は昼間とはまるで違う表情を見せていた。
大通りの両脇には色とりどりの魔法灯が浮かび、建物の屋根から屋根へ渡された光の帯が、夜空へ淡い模様を描いている。
中央広場では夜間魔導演舞が始まり、火、水、風、光の魔法が互いを邪魔しない距離で交差しながら、巨大な花や鳥の形へ変わっていた。
「すごい……!」
屋台で買った串焼きを片手に、フィナはほとんど真上を向いたまま歩いていた。
「昼より綺麗だね!」
「前見て歩きなさいよ。人にぶつかるわよ」
すぐ隣を歩くエルナは注意しながらも、本人の視線も何度か夜空へ向いている。昼間の学院代表競技を終えた緊張もすっかり抜け、もう片方の手には砂糖をまぶした焼き菓子が握られていた。
「エルナもちゃんと買ってるじゃん」
フィナが焼き菓子を見つけると、エルナは反射的にそれを身体の反対側へ隠した。
「これは一日頑張った分の補給よ」
「朝は『節度が大事』って言ってたのに」
「一個しか買ってないでしょ!」
「さっき別の屋台でも食べてた」
少し後ろからネムの声が落ちる。
エルナの足が止まった。
「ネム?」
「甘いパン」
「覚えてなくていいのよ!」
「あと果実水」
「追加しないで!」
ネムはフィナの袖を握ったまま、眠そうな顔で人混みを避けて歩いていた。昼間に一度しっかり眠ったおかげで朝ほど疲れてはいないものの、人の多さだけはどうにも好きになれないらしい。
その反対側では、レオンが夜になっても予定表を手放していなかった。
「中央広場の演舞はあと二十分。その後、西通りの混雑が落ち着く。屋台を見るなら移動はその後だ」
「レオン、夜まで予定表見てるの?」
フィナが呆れたように覗き込むと、レオンは当然の顔で折り目を直した。
「今日だけで予定外の寄り道を何回したと思ってる」
「お祭りなんだから予定外も予定のうちだよ」
「その理屈を認めたら予定表の意味がなくなる」
少し前を歩いていたリリカが振り返り、両手で抱えていた小さな紙袋を嬉しそうに持ち上げる。
「でも今日、全部すごく楽しかったです!」
「リリカは予選も通ったしね!」
フィナがすぐ笑顔になると、リリカも頬を緩めた。
「はい! 準決勝も頑張ります!」
五人は中央広場の端にある空いた立ち見場所へ移動し、頭上へ広がる魔導演舞を眺めながら、今日一日の競技を振り返り始めた。
「エルナの雷、すごかったよね」
フィナが串焼きを持ったままエルナへ身体を向ける。
「最後の小さい標的、ほとんど見えなかったのに当たってた!」
「主席なんだから、あれくらい当然よ」
エルナは余裕を見せるように髪を払ったものの、フィナの横からリリカまで勢いよく身を乗り出す。
「本当に格好よかったです、エルナ先輩! 三つ同時のところなんて、私、息をするのを忘れました!」
「そこまで!?」
「ネムちゃんも見てましたよね?」
名前を振られたネムは、フィナの袖を掴んだままエルナへ目を向けた。
「耳、赤かった」
「競技内容を聞いてるのよ!」
エルナの声が夜の広場へ響き、フィナとリリカが同時に笑う。
「レオンもすごかったよ」
今度はフィナが予定表を持つレオンへ視線を移した。
「競技の教材、別物にしちゃったけど」
「別物にはしてない。機能は同じだ」
「まだ言ってるの?」
エルナがすぐさま呆れた顔を向ける。
「減点されたでしょ」
「採点基準に問題がある」
「祭りが終わるまで納得しないつもり!?」
「改善できるなら改善すべきだ」
レオンが真顔で返すと、リリカは素直に感心したように頷きかけた。
「確かに――」
「リリカはそっちへ行かなくていいの!」
エルナに止められ、リリカは慌てて口を閉じる。
その間にネムが自分の競技を思い出したのか、眠そうな目のまま小さく呟いた。
「ネム、賞品が駄目だった」
「結果じゃなくてそこなの?」
フィナが振り返る。
「枕、なかった」
「まだ言ってる!」
「毛布も」
「魔法祭の競技賞品に寝具を求めないで!」
エルナがツッコむ横で、レオンは本当に考えるように視線を落とした。
「購買券を別の店で交換できれば――」
「レオンまで真面目に検討しないで!」
五人の笑い声が、周囲の歓声へ混ざっていく。
頭上では、水魔法によって形作られた巨大な輪の中を、翼を広げた火の鳥が鮮やかな軌跡を残してすり抜けた。直後、散った火の粒を風魔法がまとめて持ち上げ、夜空いっぱいへ星のように広げていく。
フィナは思わず言葉を止め、その景色を見上げた。
少し離れた場所では楽器の音が聞こえ、屋台からは焼いた肉や甘い菓子の匂いが流れてくる。学院生も冒険者も、商人も子供も、大勢が同じ空を見上げて笑っていた。
「いいね、お祭り」
フィナが何気なく漏らすと、隣のリリカも夜空を見上げたまま頷いた。
「はい。本当に楽しいです」
やがてレオンとエルナが次に寄る屋台について話し始め、ネムも「座れる店」を条件へ追加したことで、三人は少し先の案内板へ向かった。
「フィナ、リリカ。そこで待ってろ」
案内板の前からレオンが振り返り、二人へ声を飛ばす。
「次の道、人が多い。空いてる方を確認してくる」
「分かった!」
フィナが手を振り返す。
結果として、ほんの短い間だけ、フィナとリリカは広場の端に二人で残ることになった。
リリカは手元の紙袋を胸へ抱え、先ほどまでより少し静かな表情で夜空を見ている。
「緊張、まだある?」
フィナが尋ねると、リリカは少し考えてから笑った。
「あります。でも、今日予選を通れたので、前より楽しみになりました」
「うん。リリカ、すごかったもん」
「ありがとうございます、フィナ師匠」
リリカは嬉しそうに目を細めたあと、右手で自分の杖をそっと撫でた。
「私、もっと上手くなりたいです」
「なれるよ」
「はい」
迷いのない返事をしてから、リリカはフィナの横顔へ視線を向ける。
「いつか、フィナ師匠みたいな魔法使いになりたいです」
何度も口にしてきた願いだった。
けれど祭りの光の中で改めて言葉にすると、リリカの声にはいつも以上の憧れが混じっていた。
フィナは一瞬だけ目を瞬かせ、それから特に難しく考える様子もなく笑った。
「でもリリカの火って、私のと全然違うよね。綺麗だし」
「……綺麗、ですか?」
「うん」
フィナは昼間の競技を思い出しながら、指先で小さな円を描く。
「大きくしたり小さくしたり、遠くまでちゃんと飛ばしたり。リリカの火って、何をしたいのかすごく分かりやすいんだよね」
「フィナ師匠の火もすごく綺麗です!」
「そういうことじゃなくて……」
フィナは説明しようとして、途中で自分でもよく分からなくなったらしく首を傾げた。
「なんて言えばいいんだろ」
「では、もっと師匠の火を見て勉強します!」
「そっちに行くんだ?」
「はい!」
結局、リリカはフィナの言葉を褒め言葉として受け取っただけで、その奥にある違いまでは考えなかった。
フィナ自身も、深い意味を込めたつもりはない。ただ、自分の火とリリカの火が違って見えたことを、そのまま口にしただけだった。
少し離れた案内板から、エルナが二人へ向けて手を上げる。
「フィナ! リリカ! こっちの道なら空いてるわよ!」
「今行く!」
フィナが返事をして、リリカと一緒に三人の方へ歩き出す。
その時だった。
人混みの向こう、光に照らされた通りの端に、一人の白桃色の髪の少女が立っていた。
白桃色の髪の少女——ティアは屋台にも、頭上の演舞にも目を向けていない。
青と金の瞳が追っているのは、仲間たちのところへ戻っていくフィナだけだった。
フィナが何かに気づいたように一度だけ周囲を見回した頃には、人の流れが二人の間へ入り込み、ティアの姿は色とりどりの祭り衣装に隠れていた。
「フィナ、早く!」
エルナがもう一度呼ぶ。
「ごめん!」
フィナはすぐ四人のところへ駆け寄った。
その後も五人は屋台を巡り、フィナが予定外の食べ物を見つけてレオンに止められ、エルナが止める側だったはずなのに新しい菓子へ惹かれ、ネムが座席を基準に店を選び、リリカが明日の競技について何度も話した。
夜が深くなるにつれ、王都の魔法灯はさらに鮮やかに輝いていく。
中央広場では最後の魔導演舞が空を染め、大通りに並ぶ初級光魔法の灯りが、帰り始めた人々の足元を柔らかく照らしていた。
その賑わいから少し離れた、王都の片隅。
誰も注目していない細い通りで、壁際に浮かんでいた小さな初級光魔法の灯りが一度だけ震えた。
明滅した光は、次の瞬間には何の音も立てずに消える。
通りを歩いていた人々は、単なる不調だと思ったのか足を止めなかった。
祭りの夜は変わらず明るく、その一つだけ消えた灯りを、まだ誰も異常とは思わなかった。




