第三章 9 『主席の雷』
学院代表競技が行われる中央競技場は、一般参加区画とは比べものにならないほど大きな歓声に包まれていた。
円形の競技場中央には、高さも距離も異なる標的塔が十二基並んでいる。地面近くの低い標的から、二階建ての建物ほどの高さへ浮かぶ標的まで配置され、さらに一部は一定の速度で左右へ移動していた。
「思ってたより難しそう」
観客席の前方へ座ったフィナは、標的の動きを目で追いながら身を乗り出した。
「学院代表競技だからな。威力だけなら評価にならない」
隣のレオンは競技要項を確認しながら、中央の計測柱へ視線を向ける。
「規定時間内に全標的を撃ち抜く。命中位置が中心からずれるほど減点。さらに標的ごとに要求出力が違う」
「全部同じ雷じゃ駄目なんですか?」
リリカが冊子を覗き込むと、レオンは標的塔の側面に灯る色違いの目印を指した。
「赤は高出力、青は低出力、白は極小出力だ。同じ威力で撃てば、弱い標的は破損して減点になる」
「なるほど……!」
リリカは感心しながら競技場を見下ろし、そのまま拳を胸元で握った。
「でもエルナ先輩なら絶対できます!」
「もちろんよ」
声は観客席ではなく、その少し下にある出場者待機区画から飛んできた。
競技衣装へ着替えたエルナが、柵越しに四人を見上げている。いつも以上に背筋を伸ばし、表情も余裕を崩していない。
「主席がこの程度で失敗するわけないでしょ」
「エルナ、緊張してる?」
フィナが素直に聞くと、エルナの眉がぴくりと動いた。
「してないわよ」
「ほんと?」
「してない!」
「声ちょっと大きいよ」
「してないって言ってるでしょ!」
フィナが笑いを堪えきれず肩を揺らす横で、ネムは観客席の背もたれへ身体を預けながらエルナを見下ろしていた。
「手、二回握った」
その一言で、エルナの動きが止まる。
「ネム」
「緊張してる時、やる」
「観察しなくていいから!」
リリカまで心配そうに身を乗り出した。
「エルナ先輩、大丈夫ですか!?」
「大丈夫! だからそんな顔しないで!」
「応援、もっと大きくします!」
「それはやめて!」
即座に返したエルナへ、フィナが悪戯っぽく目を輝かせる。
「じゃあ旗作ればよかったね」
「本当に持ってこなくてよかったわ!」
競技開始を告げる予備鐘が鳴り、待機区画の係員が出場者へ整列を促した。
エルナは最後に四人を見上げ、平静を装うように髪を耳へかける。
「まあ見てなさい。学院代表がどういうものか、ちゃんと見せてあげるわ」
「頑張ってね!」
フィナが両手を振ると、リリカも隣で大きく手を振った。
「エルナ先輩、頑張ってください!」
レオンは余計な声量を出さず、軽く片手を上げる。
「速度だけ追うな。精度優先でいけ」
最後にネムが、眠そうな顔のまま小さく付け加えた。
「終わったら、昼寝」
「何で私の競技後にネムの予定が来るのよ!」
エルナは思わず振り返ってしまい、そのまま係員に前を向くよう促されて慌てて姿勢を戻した。
観客席の四人が笑う中、競技場中央へ出場者たちが入っていく。
学院ごとに異なる制服を着た代表選手が所定位置へ立ち、最後にエルナが中央寄りの競技線へ足を止めると、周囲の観客から少し大きなざわめきが起こった。
王立セレフィア魔法学院の黒級主席。
その肩書きを知る者は多いらしく、近くの観客席でも彼女の名前が囁かれていた。
「注目されてるね」
フィナが嬉しそうに言うと、レオンは競技場へ視線を固定したまま頷く。
「当然だ。黒級主席として出てる以上、結果も見られる」
「エルナ先輩なら大丈夫です!」
リリカは迷いなく言い切った。
開始鐘が鳴る。
最初の標的が点灯した瞬間、エルナの右手から初級雷魔法《雷針〈アグハ・ヴォルティア〉》が走った。
轟音を伴う大雷撃ではない。
針のように細い一条の雷が、十数歩先にある赤色標的の中心だけを正確に撃ち抜く。
命中を示す光が灯るより早く、二つ目の青標的が左上へ現れた。
エルナは身体ごと向き直らず、手首だけを返す。
二条目の《雷針〈アグハ・ヴォルティア〉》が斜め上へ走り、移動中の標的中央へ突き刺さった。
「速い!」
フィナが思わず声を上げる。
三つ目。
四つ目。
標的は連続して点灯し、途中から二基同時に動き始める。
エルナの視線が先に右側の高速標的を捉え、その軌道を追う間に左手から出力を絞った《雷針〈アグハ・ヴォルティア〉》を放つ。
低い標的へ極小出力の雷を当て、間を置かず右手から高速標的へ強く収束させた《雷針〈アグハ・ヴォルティア〉》を通した。
二つとも中心。
標的自体には傷一つ残らない。
「出力まで切り替えてる」
レオンが僅かに前へ身を乗り出す。
「撃つ直前に魔力量を変えてるな。白標的ではほとんど余剰がない」
「エルナ先輩、すごい……!」
リリカの目は完全に競技場へ釘付けになっていた。
五つ目を終えたところで、標的配置が変わる。
競技場奥から三基の移動標的が同時に浮上し、それぞれ違う速度で左右へ動き始めた。さらに手前では二つの固定標的が時間差で点灯する。
単純に順番通り撃てば、奥の移動標的が互いの軌道と重なって射線を塞ぐ。
エルナはすぐには撃たなかった。
最初の一瞬だけ五つの位置を見て、奥の標的同士が交差する時刻を読む。
先に手前の低出力標的へ《雷針〈アグハ・ヴォルティア〉》を二発。
その直後、奥の三基が一直線に重なりかけた瞬間、《雷針〈アグハ・ヴォルティア〉》を三方向へ分けた。
一条は上。
一条は中央。
最後の一条だけ僅かに遅らせ、先行する標的の脇を抜けた瞬間に最奥へ届かせる。
三つの命中音がほとんど同時に響いた。
観客席から歓声が上がる。
「今の格好いい!」
フィナが立ち上がりそうな勢いで両手を叩いた。
「エルナ先輩ー!」
リリカも我慢できず声を張る。
競技場のエルナは表情を変えなかった。
少なくとも、正面から見ればそう見えた。
ただ、次の標的を待つ間に耳だけが少し赤くなっている。
「聞こえてる」
ネムが小さく呟く。
「やっぱり?」
フィナが嬉しそうに身を寄せると、ネムはエルナの横顔を指した。
「耳」
「本当だ!」
「二人とも静かにしてやれ」
レオンはそう言いながらも、口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
最後の課題は、最も小さな白標的だった。
競技場中央から見れば、指先ほどにしか見えない大きさで、しかも左右へ細かく不規則に動いている。
エルナは腕を下げ、呼吸を一つ整えた。
ここで威力を上げれば簡単に当てられる。
だが、それでは標的を壊す。
必要なのは速度でも迫力でもなく、ほんの一点だけを撃ち抜く精度だった。
標的が左へ揺れた直後、エルナの指先に《雷針〈アグハ・ヴォルティア〉》の細い雷光が集まる。
一瞬だけ待つ。
次に右へ戻る位置を読み切ったところで、極限まで出力を絞った《雷針〈アグハ・ヴォルティア〉》を放った。
ほとんど音のない小さな雷光が走り、白標的の中心に光が灯った。
破損なし。
規定出力内。
全標的命中。
競技終了の鐘と同時に、大きな歓声が競技場を包んだ。
「全部当たった!」
フィナはもう遠慮せず立ち上がり、リリカと一緒に手を振った。
「エルナ、すごかったー!」
「エルナ先輩、最高です!」
競技場中央のエルナは、二人の声が聞こえていないふりをしながら髪を払った。
しかし退場口へ向かう直前、ほんの一瞬だけ観客席を見上げ、四人の位置を確かめている。
しばらくして得点板へ結果が表示された。
命中精度、速度、出力制御のすべてが高水準。
エルナの総合得点は、ここまでの競技者の中でも最上位に入る数字だった。
「高い!」
フィナが得点板とレオンを交互に見る。
「かなりな」
レオンも素直に認め、得点の内訳へ視線を走らせる。
「速度より精度点が高い。最後の白標的がほぼ満点だ」
「当然です!」
なぜかリリカが胸を張る。
「何でリリカが誇らしそうなんだ?」
「エルナ先輩は副師匠候補ですから!」
「まだ候補だったのか」
ネムが淡々と突っ込む。
数分後、退場口からエルナが戻ってきた。
四人の前へ来る頃には、競技中の緊張など最初から存在しなかったような顔へ戻っている。
「まあ、こんなものね」
「エルナ、すっごく格好よかった!」
フィナがすぐ目の前まで寄ると、エルナは少しだけ顎を上げた。
「主席なんだから当然でしょ」
「途中、耳赤かったよ」
「フィナ!」
「ネムが見つけた!」
「ネム!」
突然名前を出されたネムは、悪びれずエルナを見上げる。
「赤かった」
「二回言わなくていい!」
リリカまで楽しそうに身を乗り出した。
「私たちの応援、聞こえてたんですね!」
「聞こえてない!」
「じゃあ何で観客席見たの?」
フィナが追撃すると、エルナは一瞬言葉を詰まらせる。
「……標的の向こうを確認しただけよ!」
「競技終わった後だったぞ」
レオンが冷静に逃げ道を塞いだ。
「レオンまで敵なの!?」
高得点を出した学院主席の余裕は、合流して数分も持たなかった。
フィナが笑い、リリカが褒め続け、ネムが余計な事実を落とし、レオンが訂正を加える。その中心でエルナが必死に平静を取り戻そうとする光景は、競技場で注目を集めていた学院代表とはまるで別人だった。
それでも五人で歩き出したエルナの足取りは、競技前よりほんの少しだけ軽くなっていた。




