第三章 8 『小さい火は禁止です』
王都魔法祭が本格的に動き始めてから一時間も経たないうちに、フィナは予定表に存在しない競技を見つけていた。
学院区画から中央広場へ戻る途中、通り沿いの小さな競技場には《一般参加歓迎・初級火魔法精度競技》と書かれた看板が立っている。参加者が短い列を作り、その先では皿ほどの標的へ小さな火を灯していた。
「これ、私も出られる?」
立ち止まったフィナが看板へ顔を近づけると、横で予定表を確認していたレオンの足も止まった。
「一般参加だから資格上は出られるが……」
「出られるんだ!」
「まだ続きがある」
フィナの顔が一気に明るくなったため、レオンは言葉を切られる前に競技説明へ視線を移した。
内容は単純だった。
三つの標的へ順番に初級火魔法を当て、指定された範囲内の熱量へ収める。標的を破壊せず、周囲の安全線を越えず、規定の大きさより炎を広げなければ得点になる。
「普通の競技ね」
エルナも看板を覗き込み、少し考えてからフィナへ目を向けた。
「普通の学生向けだけど」
「私も学生だよ!」
「そこじゃないのよ」
その後ろで、リリカは競技用標的を見ながら目を輝かせていた。
「フィナ師匠の精密制御なら完璧なのでは!?」
「リリカ、煽るな」
レオンが低く止める。
「煽ってません! 純粋な尊敬です!」
「それが一番危ない時もある」
ネムは既に少し疲れたのか、通り脇の柵へ身体を預けながら競技場を眺めていた。
「参加したら、長くなる?」
「たぶんすぐ終わるよ」
フィナが振り返って笑うと、ネムは眠そうな目のまま小さく首を傾けた。
「フィナの『すぐ』、信用ない」
「時間まで疑われ始めた!」
それでも一般参加の受付へ向かったフィナを、四人も仕方なく追うことになった。
順番が回ってくると、競技台の前には三枚の耐熱標的と一台の魔導計測器が用意されていた。審判役の学院職員は、フィナの白級章を確認してから通常通り説明を始める。
「使えるのは初級火魔法のみです。炎の直径は拳より小さく、標的中央へ二秒以内。周囲の安全線を越えた場合は失格になります」
「拳より小さく……」
フィナは自分の手を握り、少し考え込んだ。
その様子を見たレオンの眉間に、早くも皺が寄る。
「何を考えてる?」
「どのくらいの火にしようかなって」
「今説明されたばかりだろ」
「拳より小さいのは分かったよ。でも、どのくらい?」
フィナは真剣な顔で審判へ向き直った。
「小指くらい? 爪くらい? もっと小さく?」
審判役の職員は、予想していなかった質問に一瞬言葉を失った。
「ええと……規定内であれば、特にそこまでは」
「温度は?」
「標的が反応する最低温度以上で……」
「最低ぴったり?」
「そこまで合わせる必要はありません」
「じゃあ、ちょっと上?」
「普通に初級火魔法を使っていただければ」
その返答を聞いた瞬間、レオンが片手で顔を覆った。
「一番駄目な説明が出た」
審判が不思議そうにレオンへ目を向ける。
「何か問題が?」
「『普通に』はこの場合、条件になってません」
「レオン!」
フィナが抗議する。
「私だって普通にできるよ!」
「お前の普通を競技側へ持ち込むな」
エルナも競技線の外から身を乗り出し、審判へ真顔を向けた。
「念のため、もっと具体的に指定した方がいいです。この子、本当に悪気なく規定の想定を越えるので」
「エルナまで!」
「事実でしょ!」
審判はフィナ、レオン、エルナを順に見比べたあと、戸惑いながら競技規則をもう一度確認した。
「では……炎の直径を五センチ以内、標的表面以外への熱影響なし、飛翔中の拡散なし、標的破損なしでお願いします」
レオンがすぐに指を一本上げる。
「周囲空気の急激な膨張もなし。床、壁、観客への熱伝播なし。衝撃波なし。燃焼後の残留魔力も規定値以下で」
「競技説明に災害対策混ぜないで!」
「必要だから言ってる!」
フィナが頬を膨らませる横で、リリカは何故か感動したように両手を胸元へ寄せた。
「師匠専用の安全条件……!」
「格好よく言わなくていいよ!」
「特別競技みたいです!」
「一般参加だからね!?」
そのやり取りを見ていた審判は、ついに手元の規則板へ追加条件を書き始めた。
《参加者フィナ・アウセリアに限り、炎直径五センチ以内。標的以外への熱・衝撃・魔力影響禁止》
書き終えた規則板を見たフィナは、しばらく無言でそれを見つめる。
「私だけ一行増えてる」
「安全になった」
柵へ寄りかかっていたネムが、少しだけ目を開いた。
「不公平じゃない?」
「フィナだけ条件増えてるから、不利」
「ネムが味方してくれた!」
「でも必要」
「戻された!」
ようやく競技開始が認められると、フィナは一枚目の標的へ向き直った。
普段なら何も考えずに「小さい火」と呼ぶところだが、今回は指定が細かい。
直径五センチ以内。
熱は標的だけ。
衝撃なし。
周囲へ影響なし。
残留魔力も少なく。
「……これでいいかな」
フィナが指先を標的へ向ける。
小さな炎が空中に灯った。
拳どころか指先ほどしかない火は、揺らぎもせず真っ直ぐ標的へ進み、中央へ触れた瞬間だけ必要な熱を残して消えた。
標的は壊れない。
床も焦げない。
空気も揺れない。
安全線内に変化は一つもなかった。
「できた!」
嬉しそうに振り返ったフィナへ、レオンは一度標的を確認してから小さく息を吐いた。
「一枚目は問題なし」
「言い方が爆発物の検査みたい!」
「二枚目も同じ条件だ」
「分かってるよ!」
フィナは二枚目へ向き直り、今度はさらに慎重に火を出した。
また小さな炎が飛び、ぴたりと中央だけを温める。
三枚目も同じだった。
規定通り。
破損なし。
熱の漏れもない。
競技としては完全に成功している。
「全部できた!」
フィナが両手を上げると、競技線の外でリリカが真っ先に拍手した。
「さすがフィナ師匠です!」
「今回は本当に何も壊してないでしょ!」
フィナが胸を張ると、エルナは標的を慎重に見回してからようやく肩の力を抜いた。
「……そうね。今回はちゃんと普通だったわ」
「その言い方!」
「褒めてるのよ!」
少し離れた位置では、ネムも焦げ跡のない床を見ながら小さく呟く。
「奇跡」
「普通に成功しただけ!」
「フィナにしては」
「余計だよ!」
競技自体は事故なく終了した。
審判もようやく安堵した表情で得点記録へ目を移し、最後に魔導計測器へ保存された数値を確認しようとする。
ところが、画面へ表示された結果を見たところで動きが止まった。
「……あれ?」
レオンがその声に気づき、競技線の外から計測器を覗き込む。
「どうしたんです?」
「術式記録が……取れていませんね」
「記録失敗?」
「おそらく」
審判は計測器側面へ触れ、再測定用の確認術式《術式照合〈アルカ・コンパラ〉》を起動した。
装置そのものは正常に反応する。
魔力残量も問題ない。
先ほどまで参加した学生たちの術式記録も残っている。
しかしフィナが放った三つの火だけ、発動時の術式構築を示す欄が空白だった。
「火は出てたよ?」
フィナも画面を覗き込み、不思議そうに首を傾げる。
「見れば分かる」
レオンは空欄になった記録へ目を細めた。
「ただ、普通なら初級火魔法でも発動時の術式反応は残る」
「じゃあ壊れた?」
フィナが気軽に尋ねると、審判は少し困った顔で装置を叩かない程度に確認した。
「他の記録は正常ですから、一時的な読み取り不良でしょう。祭典中は使用回数も多いですし」
「なら交換した方がいいな」
エルナも深く気にした様子はなく、既に次の予定を確認するため案内冊子を開いている。
「ほら、フィナ。競技終わったなら移動するわよ。レオンがまた予定表と喧嘩し始める前に」
「俺が喧嘩してるんじゃない。お前たちが予定を壊してるんだ」
「今の競技は予定外だったもんね」
フィナが悪びれずに笑う。
「自覚があるなら反省しろ!」
四人が再び騒ぎながら競技場を離れていく。
ネムは最後尾でフィナの袖を掴み、リリカは「師匠専用規則」という言葉を記録冊子へ残そうとして本人に止められていた。
レオンも数歩遅れて後を追いかけたが、途中で一度だけ振り返った。
審判はまだ計測器を確認している。
他の参加者の術式反応は残っているのに、フィナの三回分だけが綺麗に空白になっていた。
機器故障。
祭典中なら、それで済ませても不自然ではない。
それでもレオンは空欄になった記録を頭の隅へ残したまま、先を行く四人の背中を追って歩き出した。




