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全魔法が使える私、初級魔法しか使いません  作者: 谷元 黒
第三章 王都魔法祭と消えた初級魔法
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第三章 7 『王都魔法祭、開幕!』



 王都魔法祭の朝、セレフィア王都は日の出より先に目を覚ましていた。


 学院へ向かう大通りには色鮮やかな旗と祭典用魔法灯《六彩灯〈ヘクサ・ルミナ〉》が連なり、その下を普段の何倍もの人々が行き交っている。地方から訪れた学院生の制服、冒険者たちの装備、魔導技師が引く展示用の機材、商品箱を抱えた商人たちが入り混じり、王都全体が巨大な会場へ変わっていた。


「すごい……!」


 学院正門前で足を止めたフィナは、目の前を流れていく人波を追うだけで忙しく、いつもの数倍は落ち着きがなかった。


「昨日と全然違う! あっちにも屋台ある! 向こう、何か動いてるよ!」


「魔導具展示の搬入だ。あと、最初に屋台へ走るなよ」


 隣で今日の予定表を開いていたレオンは、フィナが視線を向ける方向を先回りするように牽制した。


「まだ走ってないよ!」


「足がもう半歩出てた」


 ネムがフィナの隣から事実だけを置く。


 指摘されたフィナは自分の右足を見下ろし、確かに少し前へ出ていたことへ気づいて慌てて戻した。


「これは人混みに押されただけ!」


「誰も後ろにいないわよ」


 エルナが振り返って確認し、逃げ道を塞ぐ。


「朝から食べ歩きで予定崩すの禁止だからね。今日は学院代表としてちゃんと行動するんだから」


「私、代表競技ないよ?」


「同じ特別実習班でしょ!」


「急に連帯責任が広い!」


 そのやり取りの横で、リリカは胸元へ下げた競技参加証を何度も触っていた。


 昨日まで何度も確認したはずなのに、今日ばかりは本番という文字が頭に残る。緊張を隠すように周囲を眺めれば、同年代の学院生だけでなく、大人の魔法使いや冒険者まで王都へ集まっているのが見えた。


「リリカ、大丈夫?」


 すぐに気づいたフィナが隣へ寄ると、リリカは参加証から手を離した。


「はい! 緊張してますけど、楽しみです!」


「じゃあ今日はいっぱい応援するね!」


「ありがとうございます、フィナ師匠!」


「声量は周囲に合わせろよ」


 予定表から目を上げたレオンが釘を刺す。


「まだ応援してない!」


「予防だ」


「昨日から予防されすぎ!」


 五人が正門を抜けると、学院内の景色も完全に変わっていた。


 中庭には臨時の案内台が設けられ、各競技場へ続く道ごとに色の違う旗が立っている。普段は生徒が歩くだけの通路にも展示台が並び、魔導具を説明する技師たちの声と、屋台から漂う甘い匂いが混ざっていた。


「焼き菓子」


 フィナが呟く。


「見つけるの早すぎない?」


 エルナが呆れながら視線の先を追うと、学院棟の横に小さな菓子屋台が出ていた。


「開会式の前だぞ」


 レオンは予定表と学院時計を見比べる。


「中央広場まで移動する。寄る時間はない」


「一個買うだけだよ?」


「列がある」


「私、すぐ戻れるよ」


「空間魔法は禁止」


「まだ言ってない!」


「もう思考経路が読める」


 フィナが不満そうに頬を膨らませる一方、エルナも菓子屋台の方へ一度だけ視線を向けていた。


 表面へ薄く砂糖をまぶした焼き菓子が籠へ並べられ、朝の光を受けてきらきらしている。


「……まあ、あれは少し気になるけど」


 小さく漏らしたエルナへ、フィナの顔が勢いよく向く。


「行く?」


「行かない!」


「今、気になるって言った!」


「気になるのと予定を破るのは別でしょ!」


「じゃあ帰りに行こう!」


「それなら……って、何で私が最初から食べる前提なのよ!」


 完全には否定し切れないエルナを見て、レオンは今日一日この調子になるのだろうと察したように予定表を持ち直した。


 中央広場へ向かうにつれ、人の数はさらに増えていった。


 地方学院の生徒たちは学校ごとに異なる色の制服を着ており、腕章や胸章で所属を示している。その間を武器を背負った冒険者たちが歩き、大型魔導具を運ぶ技師の一団が通るたび、人波が左右へ分かれていく。


 商人たちの呼び込みも既に始まっていた。


「王都限定の魔法祭菓子だって!」


 フィナが右側の屋台を指す。


「開会式」


 レオンが予定表を持ち上げる。


「こっちは串焼き!」


「開会式」


「果物を凍らせてる!」


「開会式!」


「レオン、言葉減ってるよ!」


「お前が同じことを繰り返すからだ!」


 何度目かの制止を受けても、フィナの視線は屋台から屋台へ忙しく移動している。


 その後ろではネムが既に人混みへ疲れ始め、フィナの袖を掴んだまま歩く距離をできるだけ減らそうとしていた。


「ネム、まだ始まってないよ?」


 リリカが心配そうに覗き込むと、ネムは前方を埋める人の背中を見ながら小さく息を吐いた。


「もう多い」


「本番ですから!」


「帰りたい」


「早いよ!」


 フィナが振り返ると、ネムは袖を掴む力だけ少し強めた。


「昼寝、前倒ししたい」


「予定に昼寝があるだけでもすごいのに前倒し申請するの!?」


「疲れた」


「中央広場までまだ半分よ」


 エルナが案内塔を確認しながら指摘すると、ネムの表情がさらに眠そうになる。


「聞かなかったことにする」


「距離は消えないわよ!」


 騒がしいまま到着した中央広場は、学院前とは比べものにならない規模だった。


 広場中央には巨大な祭典壇が組まれ、その周囲を各地方学院の旗が囲んでいる。冒険者競技用の掲示板、魔導具展示の案内塔、商業区へ続く装飾門まで視界へ入り切らず、フィナは数歩進むたびに立ち止まりそうになった。


「こんなに大きいんだ……」


 今度の声には、さっきまでの食べ物への興奮とは少し違う驚きが混じっていた。


 昨夜、無人の大通りへ祭典用魔法灯《六彩灯〈ヘクサ・ルミナ〉》が灯った時にも十分大きな祭りだと思っていた。しかし実際に人が集まると、王都そのものが一つの催しへ変わったように見える。


 開会を知らせる合図が響き、広場のざわめきが徐々に落ち着いた。


 祭典壇の上で開幕が宣言されると、周囲に設置された大型祭典魔法灯《六彩灯〈ヘクサ・ルミナ〉》が一斉に輝き、その光が広場から各通りへ伸びていく。


 続いて開会演出魔法《六彩天弧〈ヘクサ・アルクス〉》が発動し、火、水、風、土、光、闇を模した六色の魔力光が空中で弧を描き、最後に王都の紋章を作った。


「わあっ!」


 フィナが両手を胸元へ寄せ、子供のように目を輝かせる。


「夜じゃないのにこんなに綺麗なんだ!」


「これは開会用の演出よ。夜間演舞はもっと大規模になるはず」


 エルナも平静を装っていたものの、視線は空に残った光からなかなか離れない。


「エルナも楽しみなんじゃん」


「楽しんじゃ悪いとは言ってないでしょ!」


「昨日は学院代表だからってずっと言ってたのに」


「代表でも祭りは楽しむの!」


 フィナが笑う横で、リリカも緊張を忘れたように空を見上げていた。


 ネムだけは光よりも人の密集具合を見ていたが、色とりどりの魔法が消える直前には、ほんの少しだけ顔を上げている。


 開会式が終わると、人の流れが一斉に複数の通りへ分かれ始めた。


「よし。最初は学院区画へ戻る」


 レオンは混雑が本格化する前に予定表を開き、五人へ移動方向を示す。


「午前最初の競技まで余裕はあるが、途中の混雑を考えると――」


「レオン」


 フィナが袖を引く。


「何だ」


「あれ」


 指差した先には、開会式に合わせて営業を始めたばかりの屋台が並んでいた。


 焼き菓子、串焼き、果実水、薄く焼いた生地へ甘い蜜をかけた菓子まで、視界の端から端まで続いている。


「駄目だ」


「まだ何も言ってない!」


「寄るんだろ」


「一個だけ!」


「さっきも聞いた!」


 フィナが屋台方向へ一歩動くと、レオンは反対側から腕を掴んで止める。


 ところがエルナまで、少し先にある菓子屋台へ視線を奪われていた。


「……あれ、昨日言ってた店よね」


「エルナ!?」


 レオンが信じられないものを見るように振り返る。


「見るだけよ!」


「フィナと同じ言い方になってるぞ!」


「私は節度があるから大丈夫!」


「じゃあ一緒に一個だけ!」


 フィナがすぐにエルナの腕へ絡むと、本人は一瞬迷った末に完全拒否できず、視線だけ菓子へ戻した。


「……本当に一個だけなら」


「エルナまで!?」


「五分なら予定に余裕あるでしょ!」


「そういう問題じゃ――」


「レオン、列短いよ!」


「お前は追加するな!」


 予定を守ろうとする一人と、早くも予定を曲げようとする二人。その少し後ろでリリカは楽しそうに笑いながら付き従い、ネムは人波へ流されないようフィナの袖を掴んだまま目を細めていた。


「ネムも食べる?」


 フィナが振り返ると、ネムは屋台と混雑を見比べた。


「座れるなら」


「食べ物より椅子が条件なんだ!」


 結局、レオンが「五分だけ」と厳密に時間を切ることで最初の寄り道が成立した。


 フィナは焼き菓子を受け取った瞬間に笑顔になり、エルナも自分の分を持ちながら「これは予定調整の範囲」と誰に求められたわけでもない言い訳を始める。


「甘い!」


「声大きいわよ」


 そう注意したエルナ自身も一口食べたところで目元を僅かに緩め、その変化をフィナに見つけられて慌てて顔を背けた。


「おいしいんでしょ?」


「普通よ!」


「もう一個買う?」


「買わない!」


「今の間、ちょっと欲しそうだった」


 ネムの追撃に、エルナは菓子を持ったまま固まった。


「ネムまでそっち側なの!?」


 笑い声に囲まれながら、レオンは予定表と学院時計を見比べた。


「あと二分。食べ終わったら移動するぞ」


「はーい!」


 フィナが元気よく返事をした直後、別の屋台から漂ってきた香ばしい匂いに顔だけがそちらへ向く。


 レオンは何も言わず、予定表でフィナの視界を遮った。


「見えない!」


「見るな」


「横暴!」


 その時、王都の各競技場へ届くよう設置された鐘楼から、低く澄んだ鐘の音が響いた。


 一度。


 二度。


 三度。


 雑踏の向こうで歓声が上がり、学院区画へ向かう人々の流れが一気に速くなる。


 最初の競技開始を知らせる鐘だった。


 焼き菓子を手にしたまま顔を上げたフィナの表情から、寄り道への未練よりも新しい催しへの期待が勝っていく。


 開会式を終えた王都では、いくつもの競技場が同時に動き出していた。


 王都魔法祭は、今度こそ本当に始まった。




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