第三章 6 『前夜祭』
王都魔法祭を翌日に控えたセレフィア王都は、朝から普段とはまるで違う姿へ変わり始めていた。
大通りには王国旗と学院旗が交互に掲げられ、商業区の建物には六属性を模した飾り布が渡されている。中央広場では大型の祭典用魔法灯《六彩灯〈ヘクサ・ルミナ〉》が次々と設置され、普段なら荷馬車が行き交う道沿いにも、明日から営業する屋台の骨組みが隙間なく並んでいた。
学院も同じだった。
校舎の壁には色とりどりの幕が垂らされ、中庭には競技案内の看板や臨時休憩所が増えている。普段は授業の鐘だけが響く場所を、装飾担当の生徒や教師、魔導技師たちが慌ただしく行き交い、廊下から外を見るだけでも祭りの気配を感じられた。
「すごい……昨日よりもっとお祭りになってる!」
班室の窓へ張りつくように外を眺めていたフィナは、朝から何度目か分からない感嘆の声を上げた。
「昨日も同じこと言ってたぞ」
机の上へ王都魔法祭の案内図を広げながら、レオンは目印を書き込んでいく。
「でも昨日より増えてるよ。あそこにも旗あるし、向こうにも何か光ってる!」
「準備中だから増えるに決まってるだろ」
「じゃあ明日はもっと増える?」
「人がな」
その一言を聞いた途端、窓際の長椅子で枕型魔導具を抱えていたネムが嫌そうに目を細めた。
「減ってほしい」
「祭りの前日に願うことじゃないよ!」
フィナが振り返ると、ネムは膝へ案内図を広げ、混雑予想が書かれた区画を見つめていた。
「中央広場、赤い」
「混雑予想だからな」
レオンが説明すると、ネムは赤く塗られた区域を指先で避けながら別の場所を探し始める。
「ここ、空いてる?」
「学院北側の資料棟裏だな。催しは何もない」
「そこにする」
「何を?」
「昼寝」
フィナは一瞬言葉を失い、すぐ机へ身を乗り出した。
「まだ予定決めてないのに、最初に昼寝場所だけ確定した!」
「重要」
「魔法祭だよ!?」
「だから重要」
噛み合う気配のないやり取りを横で聞いていたエルナが、呆れながら自分の椅子を引いた。
「ネムは放っておきなさい。それより、本当に今日中に決めないと明日絶対ぐちゃぐちゃになるわよ」
「何を?」
「回る場所!」
エルナが机上の案内図を指すと、フィナの表情がすぐに明るくなる。
「じゃあ決めよう!」
「そのために集まったんだ」
レオンは案内図の横へ催し物の時間表まで置いた。
「まず条件を整理する。リリカの競技は外せない。エルナの学院代表競技も――」
「当然よ」
エルナは胸元へ手を当て、待っていましたとばかりに顎を上げる。
「どうせ見るなら一番いい位置を確保しなさいよ。主席の競技を端から見るなんて許さないからね」
「観客席の場所まで指定するの?」
フィナが笑うと、エルナは少しだけ視線を逸らした。
「べ、別に応援してほしいとかじゃなくて、学院代表として見栄えの問題よ!」
「まだ何も言ってないよ?」
「今言いそうな顔したでしょ!」
「今度はエルナが顔で判断してる!」
フィナが抗議する隣で、リリカは両手で予定表を抱えながら真面目に頷いていた。
「エルナ先輩の競技は絶対に見ます! フィナ師匠と一緒に全力で応援します!」
「全力で、は少し抑えて」
「なぜですか!?」
「恥ずかしいからよ!」
「さっき一番いい位置を要求したばかりだろ」
レオンの指摘が刺さり、エルナは一度だけ口を開いてから、反論できずに眉を寄せた。
その隙にフィナは案内冊子を自分の前へ引き寄せ、行きたい催しへ次々と指を置いていく。
「私はまず開会式見たい。それから魔導具展示でしょ、冒険者競技も見たいし、模擬戦もあるし、生活魔法競技も面白そう。あと屋台」
「最後だけじゃないだろ」
「もちろん途中にも行くよ」
「増やすな」
「中央広場の甘い焼き菓子と、商業区の肉串と、学院区画の冷たい果物と――」
フィナが指を動かすたび、レオンの眉間の皺が一つずつ深くなる。
「待て。朝から昼までの間に何回食べるつもりだ」
「全部ちょっとずつなら大丈夫」
「胃の話じゃない。移動時間の話だ」
レオンは案内図へ指を滑らせ、学院から中央広場、そこから商業区までの距離を示した。
「開会式が終わってから魔導具展示へ行って、冒険者競技を見て、それから商業区へ移動したら、この時点でリリカの競技に間に合わない」
「じゃあ急げばいいよ」
「前にも聞いた」
「走れば――」
「それも聞いた」
「空間魔法《空間転移》みたいなので――」
「駄目だ」
「最後まで言わせて!」
「結論が分かってるから必要ない」
あまりに早く封じられ、フィナが頬を膨らませる。
その横からエルナが案内冊子を覗き込み、今度は自分の行きたい場所へ指を置いた。
「じゃあ魔導具展示は午後に回せばいいじゃない。それより学院代表競技のあと、中央広場の装飾展示を見たいわ」
「それ、結構遠いぞ」
「だから先に中央へ移動して、その後で服飾系の魔導具展示を――」
「服飾系?」
フィナがすぐ反応すると、エルナは一瞬だけ目を泳がせた。
「学院代表として最新の魔導技術を把握する必要があるのよ」
「可愛い魔導服の展示って書いてあるよ」
「フィナ!」
「ここに書いてある!」
冊子を指差すフィナから奪い取ろうとしたエルナが机越しに身を乗り出し、レオンが慌てて案内図を引き寄せる。
「地図の上で争うな!」
「フィナが余計なところ読むからでしょ!」
「エルナが見たいって言ったんじゃん!」
「私は技術的関心で――」
「昨日、屋台も学院代表として必要って言ってた」
長椅子からネムの声が落ちる。
エルナがゆっくりそちらを向いた。
「ネム?」
「理由、便利」
「違うわよ!」
ネムはそれ以上追及せず、自分の案内図へ視線を戻す。
「昼寝、十二時」
「予定表へ入れる気なのか?」
レオンが尋ねると、ネムは当然のように頷く代わりに、空白になっている正午付近を指で叩いた。
「一時間」
「長い!」
フィナが声を上げる。
「せっかくのお祭りなのに一時間も寝るの!?」
「朝から人混み。必要」
「十五分じゃ駄目?」
「寝た気しない」
「三十分」
「交渉始めないで!」
エルナが呆れて止める一方、レオンは本当に検討するように時間表へ目を落とした。
「待て。正午ならリリカの競技前だ。移動時間を考えると三十分なら――」
「レオンまで昼寝を正式予定に入れようとしてる!」
「疲労管理だ」
「急に作戦会議みたいにするな!」
気づけば、フィナが大量に追加した催し、エルナが増やした展示、ネムの昼寝によって、予定表は既にかなり埋まっていた。
その騒ぎの少し外側で、リリカだけは自分の名前が書かれた競技時間を何度も確認している。
フィナがそれに気づき、予定表から顔を上げた。
「リリカ、明日のこと考えてる?」
「はい」
リリカは冊子を閉じたものの、指先だけは表紙の端を少し強く握っていた。
「楽しみなんです。でも、ちょっとだけ緊張してます」
「予選の時より?」
「本番ですから」
リリカは自分の杖へ視線を落とし、昨日までの練習を思い返すように指を滑らせる。
「ちゃんとできるかなって考えると、今から少し手が落ち着かなくて。でも、出たいって言ったのは私ですし、楽しみでもあるんです」
フィナはその言葉を聞きながら、机を回り込んでリリカの隣へ移動した。
「大丈夫だよ」
「フィナ師匠……」
「リリカ、前よりすっごく上手になってるから」
難しい理屈を並べることも、失敗しないと言い切ることもしない。ただ、これまで見てきたものをそのまま伝えるように、フィナは笑った。
「もし失敗しても、次どうするか考えられるでしょ。アクアレイアでもそうだったし」
「……はい!」
緊張で少し硬かったリリカの肩が緩む。
「それに私、すごく応援するから!」
「ありがとうございます!」
「だから最前列で――」
「競技の邪魔になる声量はやめろよ」
レオンが予定表から顔を上げて釘を刺す。
「まだ声出してない!」
「予防だ」
「じゃあ旗とか作る?」
「もっと目立つ!」
エルナが慌てて止めると、リリカだけが目を輝かせた。
「師匠の応援旗……!」
「リリカも乗らないで!」
「文字は『初代弟子・リリカ』で――」
「誰が持つのよ!」
「フィナ師匠です!」
「私!?」
話が競技の緊張から巨大応援旗の制作へ逸れ、レオンは予定表へ額を近づけるようにして深いため息をついた。
結局、旗の制作案は却下された。
フィナの希望は半分ほど削られ、エルナの服飾魔導具展示は「時間があれば」に回され、ネムの昼寝は三十分だけ正式に確保された。レオンがようやく完成した予定表を机の中央へ置いた頃には、窓の外も夕方の色へ変わっている。
「これで本当に回れるの?」
フィナが予定表を覗き込むと、レオンは疲れた顔で椅子へ背を預けた。
「予定通りならな」
「予定通りになると思う?」
「お前がいる時点で不安だ」
「ひどい!」
五人が班室を出る頃には、学院の準備作業もほとんど終わっていた。
中庭の天幕は全て張られ、競技場へ続く道には祭典用案内灯《導光標〈ルクス・マルカ〉》が並んでいる。屋台区画からは試験調理の甘い香りが残り、昼間はまだ作業場だった学院が、今は祭りの開幕を待つ会場へ変わっていた。
正門近くまで来たところで、王都のあちこちから小さな光が浮かび始めた。
「わあ……」
フィナが足を止める。
大通りの魔法灯《六彩灯〈ヘクサ・ルミナ〉》へ一つずつ光が入り、商業区、中央広場、学院前の通りへと連なっていく。赤、青、緑、白の淡い光が夜の王都を縁取るように広がり、遠くの塔にも祭典用の大きな光輪《天輪照灯〈ホロナ・ルミナ〉》が灯った。
エルナも言葉を止め、レオンは手元の予定表から視線を上げた。ネムさえ眠そうな目を少しだけ開き、リリカは胸元へ抱えた競技冊子を握りながら、いつもより明るくなった王都を見つめている。
明日になれば、この道を地方から来た学生や冒険者、商人、市民が埋め尽くす。
競技が始まり、屋台の声が飛び交い、魔法が空を彩る。
まだ誰もいない祭典会場へ灯された無数の光を眺めながら、五人の間にも自然と同じ期待が広がっていた。
静かに準備を終えた王都は、夜の中で明日の訪れを待っている。
——そして次の朝、王都魔法祭が始まる。




