第三章 5 『私の魔法じゃない』
初級火魔法競技の予選通過が決まった翌日も、リリカは放課後になると真っ先に訓練場へ向かっていた。
王都魔法祭の開催前とはいえ、学院内では既に競技参加者の調整が本格化している。初級魔法訓練場にも距離や高さの異なる標的が並び、端には出力、温度、持続時間を記録する測定器まで用意されていた。
「次、三番から五番まで続けます!」
中央に立ったリリカは杖を構え、正面に並ぶ三つの小型標的へ視線を巡らせた。
一つ目は低温で三秒。
二つ目はその倍の大きさで一秒。
三つ目は最も遠く、指定範囲から炎をはみ出させてはいけない。
開始の合図代わりにレオンが片手を上げると、リリカはすぐ最初の術式を組み上げた。
小さな炎が標的中央へ灯り、三秒を数え終える直前に消える。続く二つ目では魔力量を僅かに増やし、指定された大きさへ炎を広げながら、周囲の木枠へ熱を逃がさなかった。
「いいわ。そのまま三つ目」
訓練場脇で腕を組んでいたエルナの声に、リリカは呼吸を整えたまま杖先を遠い標的へ向ける。
三発目の火球はそれまでより長い距離を真っ直ぐ進み、標的の中心へ触れたところで小さく広がった。
測定器が正常判定を示す。
「全部成功!」
少し離れたところで見ていたフィナが両手を叩くと、リリカは抑えきれない笑顔を浮かべながら杖を下ろした。
「今の、かなり良かったですか!?」
「前よりずっと良かったよ! 三個目なんて真ん中だった!」
「フィナ師匠に褒められました!」
「そこだけ切り取るな」
記録板を確認していたレオンが、数値を指で追いながら顔を上げる。
「一番遠い標的でも出力誤差は小さい。温度も指定範囲内だ。予選前より安定してる」
「本当ですか!」
「お前自身のやり方で撃ってる時はな」
最後の一言だけ少し意味ありげだったが、リリカは気づかなかったらしい。
「では次は、もっと難しくしてみます!」
やる気のまま標的を見回したリリカは、一番近くにある小型標的へ目を止める。
「今度は、フィナ師匠の小さい火みたいに、最初からもっと小さく――」
「またやるのか?」
レオンの声へ振り返る前に、リリカは既に杖を下げていた。
「はい! 昨日より少し分かった気がするんです!」
普段なら杖を通して安定させる魔力を、今度はできるだけ直接手元へ集めようとする。
フィナが何気なく指先へ火を灯した時の姿勢を思い出し、手首の角度まで似せようとした。
「小さく……最初から、小さく……」
魔力が指先へ集まる。
けれど普段使っている術式経路から外れたせいで流れが不安定になり、火は生まれる前に一度散った。
「あれ?」
リリカは眉を寄せ、もう一度試す。
今度は魔力量そのものを減らしすぎたため、指先に生まれた炎が標的へ向かう前に消える。
「もう一回です!」
三度目は逆に少し強くした。
小さな火球は形になったものの、今度は指定より大きく膨らみ、リリカが慌てて魔力供給を切ったことで途中で崩れた。
「なんで……」
先ほどまで三つの標的を続けて正確に処理していたのに、今は同じ初級火魔法で連続して失敗している。
フィナはそれでも深刻そうには見ておらず、リリカの隣まで歩いてくると、失敗した標的を覗き込んだ。
「でも火はちゃんと出てたよ」
「フィナ師匠のとは全然違います!」
「私のと違っても、さっきのリリカの火すごく綺麗だったけど」
「でも、もっと師匠みたいにできた方が強いです!」
リリカの答えには迷いがなく、フィナも「そうかな」と首を傾げるだけだった。
そのやり取りを聞きながら、レオンは記録板の数値を前回分まで遡っていた。
通常練習。
距離変化。
持続時間。
指定温度。
どれも安定している。
それに対し、記録が不自然に乱れているのは決まって、リリカがフィナの動きや感覚を再現しようとした時だけだった。
「リリカ」
レオンが測定板を持ったまま中央へ近づくと、もう一度挑戦しようとしていたリリカが顔を上げた。
「はい?」
「一回止めろ」
「でも、まだ三回しか――」
「回数の問題じゃない」
レオンは記録板をリリカにも見える角度へ向け、安定している部分と、急激に数値が乱れている部分を順に示した。
「ここ。普段の撃ち方なら出力も経路も安定してる。なのにフィナを真似し始めた瞬間だけ、魔力の流し方そのものが変わってる」
「それは、師匠のやり方に近づけようとしてるからです」
「それだよ」
レオンの指が、乱れた記録の上で止まる。
「それ、フィナならどうするかしか考えてないだろ」
リリカの表情から、さっきまでの明るさが少しだけ引いた。
「……それの何が悪いんですか?」
「悪いとは言ってない」
「でも師匠を目標にするのは普通ですよね?」
リリカは杖を握り直しながら、いつもより強い調子で言葉を続ける。
「私はフィナ師匠に教えてもらって、初めてちゃんと火魔法を出せるようになったんです。迷宮でも、アクアレイアでも、師匠を見てきたから頑張れました」
「それは分かってる」
「なら、師匠みたいになろうとするのも間違ってないです!」
声を荒げているわけではない。
それでも普段ならレオンの指摘を素直に聞こうとするリリカが、今は一歩も譲ろうとしなかった。
少し後ろにいたフィナは、二人の間へ入り込むべきか迷うように視線を往復させる。
「リリカ、そんな怒らなくても……」
「怒ってません!」
反射的に返してから、リリカは自分でも少し強く言いすぎたと気づいたらしく、慌てて声を落とした。
「……すみません。でも、私は本当に師匠みたいになりたいんです」
「うん。それは嬉しいけど」
フィナは困ったように頬を掻いた。
「私、リリカはもう普通に上手だと思うよ?」
「まだ全然です!」
「そうかなあ」
本気で不思議そうなフィナを見て、エルナが小さく息を吐いた。
「フィナは一回黙ってた方がいいかも」
「何で!?」
「悪い意味じゃなくて、あんた本人が一番分かってないからよ」
「何を!?」
「自分が参考資料として特殊すぎること!」
エルナはフィナをいったん横へ押しやり、代わりにリリカの前へ立つ。
「リリカ。目標にすること自体は悪くないわ」
「ですよね?」
「でも、目標と真似は違う」
リリカの返事が止まる。
エルナは訓練場の標的へ視線を向け、先ほどリリカが成功させた三つを指した。
「最初の三つ、すごく良かったでしょ。あれは誰の魔法?」
「私のです」
「じゃあ、その後失敗した三回は?」
リリカはすぐには答えなかった。
エルナは責めるようには言わず、自分の経験を思い返すように腕を組み直す。
「私だってフィナに勝ちたいとは思ってるわよ。今でもね」
「急に宣戦布告された」
横でフィナが驚いた顔をすると、エルナはそちらを一度睨んだ。
「今は黙ってなさい!」
「はい!」
「でも私は、フィナの火を出そうとは思わない。私が使えるのは雷だし、私には私のやり方があるから」
エルナの視線がリリカへ戻る。
「フィナを目標にして上を目指すのと、フィナそのものになろうとするのは別よ」
「でも……」
リリカは杖を胸元へ引き寄せた。
「師匠みたいにできたら、もっと色々できるようになると思います」
「できないことを無理に真似して、できることまで崩してるのが今だ」
レオンが横から記録板を示すと、リリカの眉が僅かに寄る。
「だったら、真似するのが下手なだけです」
「そこへ行くのか」
「上手くできるようになれば、失敗しません!」
レオンが口を開きかけたところで、訓練場の端から小さな声が飛んできた。
「堂々巡り」
壁際で枕型魔導具を抱えていたネムが、半分閉じた目のままこちらを見ていた。
「ネム、起きてたの?」
フィナが驚くと、ネムは枕へ頬を戻しながら答える。
「うるさくて寝られない」
「ごめん!」
「フィナは普通」
ネムの視線がレオン、エルナ、リリカへ順番に移る。
「三人、長い」
「まとめるな」
「私はそんなに長くないわよ!」
「すみません……」
三人がそれぞれ違う反応を返したせいで、張っていた空気が少しだけ緩んだ。
フィナはその隙にリリカの隣へ立ち、失敗した標的と成功した標的を見比べる。
「私は、さっきのリリカの火好きだったよ」
「……最初のですか?」
「うん。ちゃんと三つとも違う火だったのに、全部できてたし」
フィナには深い意図があるわけではなかった。
見たまま、感じたままを言っているだけだ。
だからこそリリカも一瞬だけ言葉を止めたものの、すぐに杖を握り直した。
「ありがとうございます、フィナ師匠!」
「うん!」
「だから次は、師匠の小さい火も成功させます!」
「そっちに戻るの!?」
フィナが思わず大きな声を上げる。
レオンは額を押さえ、エルナは「だからそうじゃないのよ」と天を仰いだ。ネムだけは、予想通りだったと言いたげに枕へ顔を沈めている。
リリカ本人には、まだ自分が何かを間違えているという感覚はなかった。
普段の魔法が上達していることも分かっている。フィナを真似した時だけ失敗することも、事実としては理解している。
けれど、その結論はレオンやエルナとはまったく違っていた。
もっと上手く真似できれば問題ありません。
そう信じたまま、リリカは再び標的へ向き直り、フィナの指先に灯る小さな火を思い浮かべながら杖を構えた。




