第一章 6 『大きい火では登録できない』
特例入学が決まった直後、フィナは喜ぶ間もなく、実技試験場の隣にある記録室へ連れていかれた。
長机の上には分厚い魔導書が何冊も積まれ、壁一面の棚には、学院で確認された魔法の記録札が属性ごとに並んでいる。試験補助を終えたはずのレオンも、なぜかフィナの向かい側へ座らされていた。
「それでは、先ほど使用した魔法の名称を教えてください」
学院職員が筆を構え、フィナへ問いかけた。
「いっぱい火です」
「……もう一度お願いします」
「いっぱい火」
聞き取れなかったのだと思い、フィナは少しだけ大きな声で繰り返した。
学院職員は困った顔で筆先を止め、隣に座るレオンへ視線を移す。レオンは目を閉じ、既に頭痛を堪えているような顔をしていた。
「ほかにも呼び方はあるか?」
「分かれる火?」
「疑問形で答えるな」
「だって、一個の火が五個に分かれたから。すごく分かりやすいよ?」
「学院の魔法記録は、子どもの観察日記ではない」
「えぇ!? ちゃんと何が起きたか伝わるのに!」
フィナは納得できず、頬を膨らませた。
試験で使ったものは、本人の認識では普通の初級火魔法だった。一つの火球で五つの標的を狙う必要があったから、途中で分けただけだ。わざわざ新しい魔法として扱われる理由が分からない。
「先ほどの魔法は、既存の初級火魔法とは異なります」
学院職員は記録板をフィナへ向けた。
「通常の火球は、術式構築時に進行方向と威力を定め、発動後は基本的に直進します。複数へ分裂させるには、別の術式を重ねる必要があります」
「でも、火を小さく分けただけですよ?」
「その『だけ』で済まないから説明している」
レオンが記録板の端を指で叩く。
「お前が行ったのは、火球の五分割だけじゃない。分裂後の個別制御、異なる軌道の設定、移動標的への自動追尾、命中箇所の選択、外縁と背後への余波遮断まで同時に成立している」
「うん」
「理解したのか?」
「五個に分かれて、いい感じに当たったんだよね?」
「半分どころか一割も伝わっていない!」
レオンの声が記録室へ響いた。
フィナは肩を跳ねさせた後、学院職員へ小声で尋ねる。
「レオンって、いつもこんなに細かいんですか?」
「聞こえているぞ」
「耳もいいんだね」
「距離が机一つ分しかない!」
学院職員は笑いを堪えるように口元へ手を当て、それから記録作業へ戻った。
「正式名称がなければ、新魔法として学院記録へ登録できません。少なくとも、既存の火球と区別できる名称が必要です」
「新魔法じゃないのに……」
「まだ言うか」
「普通の火球を分けただけだよ?」
「普通の魔法使いは、発動済みの火球を思いつきだけで五つに分けられない」
「じゃあ、最初から五個出せば普通?」
「問題が増えるだけだ!」
フィナは机へ頬杖をつき、積み上げられた魔導書を眺めた。
どの背表紙にも長く難しい魔法名が並んでいる。筆記試験で見た上級魔法の名称を思い出すだけで、頭の中が重くなった。
「短い名前じゃ駄目なの?」
「登録後は学院の教本や報告書でも使われます。ほかの魔法と混同しないことが重要です」
「でも、長いと使う前に忘れませんか?」
「お前は名前を呼ばずに発動しているだろう」
レオンから即座に返され、フィナは口を閉じた。
確かに、魔法名を言う必要はない。先ほども「行って」としか言っていなかった。名前を覚えられなくても使えるなら、なおさら短い名前で十分な気がする。
「レオンが考えてよ」
「なぜ俺が」
「私、こういう難しい名前を付けるの苦手だから。レオンなら詳しいし、格好いいのを知ってそう」
フィナは期待を込めて身を乗り出した。
突然任されたレオンは眉を寄せたが、拒絶はしなかった。記録板へ並んだ情報へ目を落とし、試験場で起きた現象を一つずつ整理し始める。
「火属性。単一火球からの多重分裂。複数対象への同時追尾。指定部位だけを消失させ、余波は完全遮断……」
「いっぱい機能があるね」
「今になって他人事のように感心するな」
「私は、真ん中だけに当たってって思っただけだから」
「それがすべての原因だ」
レオンは魔導書を二冊開き、既存の火属性魔法と名称が重ならないことを確認した。
フィナは最初こそ興味深そうに見ていたが、古代語の語幹や術式分類の説明が始まると、目に見えて表情が曇っていく。三つ目の専門用語が出た頃には、机の上へ頬をつけていた。
「まだ名前を考えてるだけだぞ」
「説明が長いよ……」
「後で重複が見つかれば登録し直しになる」
「じゃあ、いっぱい火でよくない?」
「よくない。歴史級の魔法が『いっぱい火』という名前で教本に残る事態だけは避ける」
「歴史級って、大げさじゃない?」
「神話級素材の標的を余波なしで消した魔法を、初級の一言で済ませるお前がおかしい」
レオンはしばらく筆を動かした後、一つの名称を記録板へ書き込んだ。
「——《星火万葬〈イグナレクシア〉》」
「……長い」
「四文字だ」
「後ろもあるよ!」
「正式な読みだ。星のように分かれた火が、指定対象だけを同時に焼き消す。現象とも一致する」
「イグナ……レク……何だっけ?」
「イグナレクシア」
「イグナレ……」
「レクシア」
「イグナレシクア?」
「一度聞いた直後に忘れるな!」
フィナは何度か口の中で繰り返したものの、三回目には順番が入れ替わっていた。
最終的に諦めたように笑い、記録板の名前を指さす。
「じゃあ、正式にはそれでいいよ。私はいっぱい火って呼ぶから」
「なぜ命名させた!」
「だって、私には覚えられないもん」
「努力する前に結論を出すな!」
レオンの声へ、今度こそ学院職員が小さく吹き出した。
名前は《星火万葬〈イグナレクシア〉》として正式に記録された。使用者の呼び方については記録へ残す必要がないため、フィナの中では最後まで「いっぱい火」のままだった。
続いて、神話級素材の標的を消した火球も同じ魔法として登録するかが検討された。
「同じ小さい火だよ?」
「結果が違いすぎる。先ほどは五分裂、今回は単発だった」
「標的が一個しかなかったから、分けなかっただけだけど」
「では、対象数に応じて分裂数を自動調整している可能性があるのか……」
「レオン、楽しそうだね」
「楽しんでいない。問題が増えたことを整理している」
そう答えながらも、レオンの筆は先ほどより速く動いていた。
フィナには読めない術式用語を並べ、発動条件と結果を照らし合わせていく。細かいことを考えるのが好きなのだろうと、フィナは勝手に納得した。
学院側での協議の結果、レオンはフィナの魔法記録補助へ正式に任命された。
「俺はまだ学生なんだが」
「試験場で現象を最初から観察し、測定記録も保持しています。何より、本人から具体的な説明を引き出せているのがあなただけです」
「引き出せてる?」
「『いい感じに』『ちょっと』『いっぱい』以外の言葉も増えたでしょう」
「学院職員さんまで私の説明を馬鹿にしてませんか!?」
「事実の確認です」
フィナは不満そうに口を尖らせたが、レオンが担当になること自体は嫌ではなかった。
難しい手続きも、魔法名も、分からない理論も、レオンが横から説明してくれる。言い方は細かくて厳しいが、一人で魔導書と向き合うよりは遥かに心強い。
「レオンが代わりに全部書いてくれるの?」
「全部ではない。お前も、使用した状況と意図は説明しろ」
「それなら大丈夫。小さい火を出したとか、いっぱいに分けたとか」
「結局、俺が翻訳することになるな」
「よろしくね、命名係!」
「命名だけではない。記録補助だ」
「後始末も得意そう」
「今のところ、後始末が必要な被害は出していないだろう」
「じゃあ、これから何かあっても安心だね!」
「何か起こす前提で話すな!」
そのやり取りを聞いていた学院職員は、フィナ専用の魔法使用規則を書類へ加えた。
魔法を禁止するものではない。既存の記録にない現象を使用した場合、発動後に状況、目的、結果を報告し、レオンの補助を受けて正式な記録を残す。危険が予測される場合は、事前に周囲の安全を確認すること。
「毎回報告するの、ちょっと面倒かも……」
「俺が記録をまとめる。お前は聞かれたことへ答えればいい」
「それならできそう!」
「返答が全部『なんとなく』では困る」
「頑張って、もう少し詳しくなんとなくって説明するね」
「詳しくしても、なんとなくは消えないのか」
新しい規則へフィナが署名し、レオンが補助担当として名を記した。
その直後、記録室の床が小さく震えた。
棚に並ぶ記録札が一斉に揺れ、部屋の隅にある魔力感知器が低い警告音を発する。反応は地上ではなく、学院の地下深くから伝わっていた。
「今の、私じゃないよね?」
「まだ何も使っていないなら、おそらくな」
「よかった……最初に疑われるところだった」
「原因候補から外れたとは言っていない」
「えぇ!?」
学院職員が地下区画の反応記録を確認し、レオンへ異常の調査を命じた。
そして、発生時刻がフィナの入学決定直後であること、正体不明の魔力が彼女へ反応した可能性を否定できないことから、原因候補本人としてフィナも同行することになった。
こうして命名係、記録係、そして早くも後始末担当になりかけたレオンは、フィナを連れて学院地下へ向かうことになった。




