第三章 3 『屋台に魔法は必要ですか?』
王都魔法祭の開催発表から二日後、特別実習班の五人には学院側から新しい仕事が割り当てられた。
場所は学院南側の臨時屋台区画。普段は実技授業用の広場として使われている場所へ、木製の骨組みや長机、調理器具、看板用の板材が山のように積み上げられ、祭典本番へ向けた準備が進んでいる。
「屋台!」
広場へ入った瞬間、フィナの声が弾んだ。
「手伝いだからな」
隣を歩くレオンは、学院側から渡された作業指示書を開いたまま念を押す。
「分かってるよ。屋台を手伝うんでしょ?」
「食べる側じゃないという意味だ」
「まだ食べるなんて言ってない!」
「顔が試食を探してるわよ」
エルナに指摘されたフィナは反射的に周囲を見回しかけ、途中で自分から証拠を増やしたことに気づいて動きを止めた。
「今のは設備確認だから」
「何で鍋の中から確認するのよ」
「大事な場所かなって」
「食欲の重要地点でしょ」
そんなやり取りを横目に、リリカは配布された作業表を両手で持ち、今日の担当を真剣に確認していた。
「私たちは設営補助と調理器具の配置、その後に試験調理のお手伝いですね!」
「試験調理?」
フィナの反応速度が明らかに上がる。
レオンはその変化を見逃さず、作業表をさっと持ち上げてフィナの視線から遠ざけた。
「食うなよ」
「手伝うだけだよ!」
「今、目が変わった」
少し後ろを歩いていたネムが、眠そうな顔のまま事実だけを置く。
「ネムまで!?」
抗議するフィナを置いて、五人は割り当てられた区画へ向かった。
屋台の骨組みは既に半分ほど組み上がっており、残っているのは長机の固定、天幕の取り付け、調理台と食器箱の配置だった。フィナが木材をまとめて持とうとした瞬間、レオンが念のため重量を確認したものの、本人は何の苦もなく数人分を抱え上げている。
「これ、どこ?」
「奥の壁際。床に印があるだろ」
「分かった!」
フィナが一度に運び始める横で、エルナは天幕を広げ、リリカと一緒に左右の留め具を確認していた。
「リリカ、そっち少し引いて」
「はい、エルナ先輩!」
「引きすぎ。皺を伸ばすだけでいいから」
「はい!」
力加減を修正したリリカが天幕を固定している間、ネムは一人だけ明らかに別の目的で長机の周囲を調べていた。
机の下へ身を屈め、奥行きを確認し、床板を手で軽く叩いたあと、今度は天幕から落ちる影の位置まで見ている。
「ネム、何してるの?」
木材を置き終えたフィナが近寄ると、ネムは机の下から顔だけを出した。
「確認」
「何の?」
「昼寝場所」
「また!?」
「本番、人多い」
ネムはそう言いながら机の下へ完全に潜り込み、持ってきていた小さな敷物を広げ始める。
「今から場所取りするの!?」
「早い者勝ち」
「祭りの準備で最初に確保するものじゃないよ!」
フィナが机の下を覗き込んでいると、作業指示を確認していたレオンがその光景へ気づき、深いため息を落とした。
「ネム。せめて作業が終わってから寝ろ」
「終わるまで場所、守る」
「何と戦ってるんだ」
「人混み」
あまりに迷いのない返答に、レオンはそれ以上説得するのを諦めた。
設営が一段落すると、次は調理台の確認へ移った。
試験調理で使うのは簡単な焼き菓子と軽食で、学院側から渡された材料も必要量だけ用意されている。
レオンが火元、水場、作業導線を順に確認し、エルナとリリカが器具を並べている間、フィナは調理台の中央に置かれた小型炉をじっと見つめていた。
「これ、火つけるんだよね?」
嫌な予感を覚えたレオンが、作業表から顔を上げる。
「そうだが、備え付けの着火魔導具を使う」
「私がやった方が早くない?」
「駄目だ」
「まだ何もしてない!」
「する前に止めてる」
レオンが即答すると、反対側で食器を並べていたエルナも手を止め、警戒するようにフィナへ身体を向けた。
「絶対やめなさいよ」
「何で!?」
「何でって、本気で聞いてるの?」
「調理するだけだよ?」
「あなたの『調理するだけ』が怖いのよ!」
フィナは納得できない顔で小型炉を指差した。
「でも小さい火なら大丈夫でしょ?」
その瞬間、レオンとエルナの表情が同時に固まった。
「その台詞、禁止」
レオンが短く切る。
「何回聞いたと思ってるのよ!」
エルナも調理器具を置き、完全にフィナを止める側へ回った。
「今回は本当に小さい火だよ!」
「お前の『小さい』は大きさの話であって、威力の保証になってない」
「料理用なんだから弱くするよ!」
「何度『弱くした』結果がおかしくなったと思ってるの!」
「最近はちゃんと加減できるよ!」
「できることと、やらせていいことは別だ!」
二方向から止められ、フィナは助けを求めるようにリリカへ振り返った。
視線が合った瞬間、リリカは迷いなくフィナの側へ一歩進む。
「私はフィナ師匠を信じます!」
「リリカ!」
唯一の味方を見つけたフィナの顔が輝く。
「フィナ師匠ほどの方が、焼き菓子一つを失敗するはずがありません!」
「そこまで言ってないよ!?」
援護が一気に重くなり、今度はフィナ自身が慌てる番になった。
「なるほど……これも修行なのですね」
「何でそうなるの?」
リリカは完全に別方向へ理解を進め、胸元で拳を握る。
「国家規模の魔法を制御できる師匠が、あえて小さな炉へ挑むことで究極の精密制御を――」
「料理だからね!? 修行回じゃないよ!」
「ならなおさらです! 日常へ力を落とし込むことこそ真の――」
「壮大にしないで!」
話が危険な方向へ拡大していく中、机の下からネムの声が聞こえた。
「前、壁なくなった」
全員の動きが止まる。
フィナだけがゆっくりネムのいる机へ顔を向けた。
「それはかなり前の話だよね?」
「事実」
「今回とは関係ないよ!」
「火、同じ」
「同じじゃない!」
フィナが必死に否定する横で、レオンは調理台から着火魔導具を取り上げた。
「結論。規定通りこれを使う」
「多数決してない!」
「必要ない」
「横暴!」
フィナが抗議しているうちに、レオンは着火魔導具で炉へ火を入れてしまった。
小さな橙色の炎が安定して燃え始めると、フィナは悔しそうにそれを見つめる。
「私の方が綺麗に出せるのに」
「料理に炎の美しさは要求されてないわよ」
そう言いながらエルナは調理台全体を見回し、ふと今の簡素な屋台へ眉を寄せた。
「でも、ちょっと地味じゃない?」
「何が?」
フィナが尋ねると、エルナは天幕、木製看板、普通の長机を順番に指し示した。
「せっかく王都魔法祭に学院代表として出す屋台なのよ。もう少し見栄えがあってもいいでしょ」
その目に妙な火が入ったことへ、レオンがすぐ気づく。
「余計なことを考えるなよ」
「余計じゃないわよ。例えば天幕に学院章の刺繍を入れて、食器も統一して、看板もちゃんと彫刻して――」
「予算外」
「まだ途中よ!」
「聞く必要がない」
レオンは作業指示書の後ろに付いていた予算表を開き、エルナの前へ突き出した。
「この区画の追加予算はここまで。装飾費も上限が決まってる」
「少しくらいなら何とかなるでしょ」
「その『少しくらい』をエルナまで使うな」
「フィナと一緒にしないで!」
少し離れたところで炉を見ていたフィナが、すぐ振り返る。
「今、私悪くないよね!?」
「今回はな」
「今回はって何!?」
エルナは予算表を覗き込みながら、まだ諦めていなかった。
「じゃあ装飾を減らして、食器だけでも上質なものに――」
「割れ物を祭典区画に増やすな」
「なら看板!」
「規定サイズ内」
「天幕!」
「学院指定品」
「机!」
「備品」
「何なら変えられるのよ!」
「料理の並べ方」
「地味!」
完全に予算と規則に包囲されたエルナが悔しそうに拳を握る。
その横でフィナが少し考え、真面目な顔を作った。
「じゃあ料理を豪華にすれば?」
「材料費も固定だ」
レオンの返答は早かった。
「レオン、祭りを楽しむ気ある?」
「規則内でならある」
「言い方が祭りじゃない!」
騒ぎが続く一方で、リリカは実際の試験調理を進めていた。
備え付けの炉へ小さな焼き型を置き、指定された時間だけ熱を通す。昨日まで初級火魔法競技へ向けて何度も火力を調整していたせいか、炉の炎を見ながら温度の変化をかなり細かく気にしている。
「リリカ、上手だね」
フィナが横から覗くと、リリカは嬉しそうに笑った。
「競技の練習にもなる気がします! 火が強すぎても駄目なんですよね」
「そうだね。じゃあ私も――」
「駄目だ」
「言う前に止めないで!」
少し遠くからでもフィナの意図を察したレオンに遮られ、リリカは思わず吹き出した。
その笑いにつられるように、エルナも肩の力を抜く。結局、高級食器も刺繍入り天幕も採用されなかったが、看板の文字配置と料理の並べ方だけは彼女の意見が通り、最初より随分見栄えがよくなっていた。
日が傾く頃には、木製の屋台に天幕が張られ、調理台と長机も正しい位置へ収まっていた。
炉は普通の着火魔導具で点火され、焼き菓子も無事に形になっている。机の下には、いつの間にかネムの敷物と枕が完全に配置されていた。
「そこ、本当に本番も使うつもり?」
フィナが机の下を覗くと、ネムは既に横になったまま小さく目を開けた。
「予約済み」
「誰に?」
「ネムに」
「自己承認だ!」
少し離れたところでは、レオンが完成した屋台と作業表を照らし合わせ、エルナは看板が傾いていないか最後まで確認している。
リリカは焼き上がった菓子を前に満足そうな顔をし、フィナはようやく一つ試食を許可されて嬉しそうに頬張った。
「おいしい!」
「一個だけだからな」
「分かってるよ」
そう答えながら二個目へ伸びかけたフィナの手を、レオンとエルナが左右から同時に止める。
リリカがその様子を見て笑い、机の下からネムが「捕まった」とだけ呟く。準備だけでこれほど騒がしいのだから、本番になればどうなるのか誰にも想像できなかった。
それでも完成した屋台を前にした五人の表情には、面倒さより楽しみの方がはっきり浮かんでいた。
祭典の日は、まだ少し先だった。
けれど学院のあちこちで組み上がっていく天幕や看板、試験調理の甘い匂いに囲まれながら、王都魔法祭はもう日常のすぐ隣まで近づいていた。




