第三章 2 『師匠を真似すれば勝てます!』
王都魔法祭の開催が発表された翌日の放課後、学院の初級魔法訓練場では、小さな火球が規則正しく標的へ飛んでいた。
中央に立つリリカの正面には、距離の異なる五本の標的杭が並んでいる。先端には温度と魔力量を測る簡易計測板が取り付けられ、火が触れた位置だけ淡い赤色へ変わる仕組みだった。
「いきます!」
リリカは胸の前で杖を構え、先端へ集めた魔力を慎重に整える。
最も近い標的まで五歩。二本目は八歩。三本目から先は左右にも位置がずれているため、同じように撃つだけでは中心へ当たらない。
最初の火球が真っ直ぐ飛び、手前の標的中央へ触れた。続けて二発目、三発目と放つたび、計測板へ赤い光がほぼ中央に灯っていく。
「おおー!」
訓練区画の外から見ていたフィナが、リリカの火球が当たるたびに大きく拍手していた。
「すごいよリリカ! 全部真ん中!」
「まだです、フィナ師匠!」
声だけは嬉しさを隠せていなかったものの、リリカは最後まで杖を下ろさなかった。
四本目の標的へ火球を当てたあと、最も遠い五本目へ向けて魔力量を少しだけ増やす。火球は先ほどまでより僅かに大きくなったが、軌道を乱さず距離を伸ばし、標的の中心近くへ吸い込まれた。
計測板へ最後の赤い光が灯る。
「全標的命中。出力誤差も前より減ってるな」
訓練場脇で測定器を確認していたレオンは、数字を書き留めながら五枚の計測板へ目を走らせた。
「一番遠い標的だけ少し出力が高い。それでも許容範囲内だ」
「本当ですか!?」
ようやく杖を下ろしたリリカの顔が一気に明るくなる。
「距離が伸びたからって必要以上に強く撃たなくなったのはいいわね」
少し離れたところで腕を組んでいたエルナも、競技用の標的配置を確かめながら満足そうに頷いた。
「前だったら『届かないかも』って思った瞬間に魔力量を上げすぎてたでしょ。今くらいなら十分調整できてるわ」
「ありがとうございます、エルナ先輩!」
「そう、先輩でいいのよ。副師匠はいらないからね」
「まだ何も言ってません!」
「言う顔してたわよ」
「最近みんな顔で分かりすぎじゃない!?」
自分も散々言われているため他人事ではなかったフィナが、なぜかリリカ側に立って抗議する。
その一方で、訓練場の端ではネムが日差しの当たらない壁際へ小さな敷物を広げていた。枕型の魔導具を置き、最も騒ぎから遠い角度を確認してから横になる。
「ネム、何してるの?」
フィナに見つかると、ネムは枕へ頬を沈めながら目だけを向けた。
「準備」
「何の?」
「練習、長そう」
「寝る準備じゃない!」
「邪魔しない」
「見学する気もないの!?」
フィナが訓練場の端まで追いかける間に、レオンは王都魔法祭の競技要項を開いた。
「初級火魔法競技は単純な命中だけじゃない。第一課題が距離別標的、第二課題が指定出力、第三課題が持続時間、後半は複数条件を同時に満たす形式だ」
その説明に反応し、リリカはすぐレオンの隣へ移動して冊子を覗き込む。
「火力勝負ではないんですよね?」
「ああ。むしろ必要以上の出力は減点だ。標的を壊した場合は大幅減点、課題によっては即失格になる」
そこでフィナがネムを起こすことを諦め、会話へ戻ってきた。
「壊したら駄目なんだ」
「お前は絶対に参加するなよ」
「まだ何も言ってない!」
レオンが即座に釘を刺すと、フィナは頬を膨らませる。
「初級火魔法なんだから、私も条件には合ってるでしょ?」
「条件の文字だけならな」
「小さい火なら大丈夫だよ」
その言葉を聞いたエルナが、反射的に両手を上げる。
「はい禁止!」
「早いよ!」
「何回その『小さい』に騙されたと思ってるのよ!」
「今回は本当に競技用だよ!?」
フィナが抗議している横で、リリカだけは目を輝かせていた。
「でも、フィナ師匠の小さい火を再現できれば、競技ではすごく有利なのでは?」
その一言に、レオンとエルナの視線が同時にリリカへ向いた。
「待て」
「待ちなさい」
二人から同時に止められたリリカは、驚いたように杖を胸へ寄せる。
「な、何ですか?」
「なぜそこでフィナを基準にする」
レオンが要項を閉じて問いかけると、リリカはむしろ不思議そうに首を傾げた。
「師匠だからです!」
「説明になってない」
「一番すごい魔法使いのやり方を真似すれば、一番すごくなれると思います!」
「理屈だけ聞くと正しそうなのが厄介ね……」
エルナが眉間を押さえる一方、フィナは自分へ向けられた期待に少し照れたように髪を触った。
「じゃあ、やってみる?」
「はい!」
リリカの返事は迷いなく、数分後には新しい標的が一本だけ訓練場中央へ置かれていた。
距離は五歩。求めるのは、ごく小さな火を標的表面へ触れさせ、熱量を一定範囲に収めること。
「フィナ師匠、お願いします!」
「うん。小さい火ね」
フィナは杖も構えず、標的へ手を向けた。
次の瞬間、指先ほどの炎が空中に灯る。
炎は揺らめきながら標的まで進み、表面へ触れたところでふっと消えた。計測板には必要な範囲ぴったりの熱だけが残り、周囲の木材には焦げ目一つ付いていない。
「完璧です!」
感動するリリカとは対照的に、レオンは測定器を見て難しい顔をしていた。
「参考にするなとは言わないが、今のをそのまま再現しようとするな」
「でも大きさも温度もちょうどいいです!」
「結果だけはな」
リリカは納得し切れないまま標的位置へ立ち、今見たばかりのフィナの動きを思い出すように片手を前へ出した。
「小さく……そのまま……ふわっと……」
杖を使わず、できるだけフィナと同じ姿勢を取る。
しかし魔力を指先へ集中させようとした瞬間、普段なら杖を通して安定していた流れが崩れた。
「あっ」
生まれた火は豆粒ほどの大きさで一瞬だけ揺れ、その場で消える。
リリカはすぐにもう一度試したものの、今度は魔力が集まりすぎ、小さな火球が標的へ届く前に膨らんだ。
「わっ!」
慌てて杖を構え直し、途中で魔力供給を止める。
火球は空中で散り、標的へは届かなかった。
「どうしてですか!?」
リリカが自分の手とフィナの手を交互に見比べる。
「同じようにやったのに!」
「そもそも同じじゃないからな」
レオンが測定器を持ったまま近づいてくると、リリカは真剣な顔で首を傾げた。
「フィナ師匠、何を意識しているんですか?」
「えっと……小さくする?」
「どうやってですか?」
「大きくならないように?」
「その方法を聞いています!」
期待に満ちていたリリカの顔へ、僅かに困惑が混じり始める。
フィナも必死に説明しようと、自分の指先を見ながら考え込んだ。
「最初に火を出すでしょ?」
「はい!」
「それを、こう……小さいって思うの」
「はい!」
「それで小さくなるよ」
「なるほど!」
「納得するな!」
横からレオンが即座に止めた。
「今の説明には魔力操作も術式構築も一つも入ってない!」
「でも私はそれでできるよ?」
「そこが問題なんだ!」
フィナが本気で分からなそうな顔をしているため、レオンは一度額を押さえたあと、リリカの前へ測定板を置く。
「いいか。フィナの説明を普通の魔法理論へ置き換えるなら、まず火属性への魔力変換率を――」
「始まった」
訓練場の端からネムの小さな声が飛んできた。
しかしレオンは聞こえなかったことにして、測定板へ術式線を書き込み始める。
「発生時の魔力量を抑えた上で、術式内部の熱量指定と形状指定を分離する。さらに飛翔中の拡散率を一定以下へ――」
「レオン」
フィナが途中で手を上げる。
「何だ」
「もう分からない」
「お前には説明してない!」
「私も少し分からなくなってきました!」
「リリカまで!?」
話が完全に理論へ沈み始めたところで、エルナが二人の間へ入り、レオンの測定板を横から取り上げた。
「難しくしすぎなのよ。リリカ、いつも通り杖を使いなさい」
「でもフィナ師匠は使ってません」
「今は師匠を完全再現する練習じゃなくて、競技の練習でしょ」
エルナは標的を示しながら、自分の指先で火球の大きさを作るように小さな円を描いた。
「いつもの魔力経路で、最初から量を減らすの。途中で無理やり押さえるんじゃなくて、出す前から必要な分だけ流す。そうすれば形も崩れにくいわ」
「なるほど……!」
「それだと距離が伸びた時の減衰を考慮してない」
すかさずレオンが横から口を挟む。
エルナはゆっくり振り返った。
「今は五歩先でしょ?」
「競技本番は距離が変わる」
「だから段階的に教えるのよ!」
「最初から構造を理解させた方が応用が利く」
「理論を全部一気に詰め込んで混乱させてどうするの!」
いつの間にかリリカへの指導から、レオンとエルナの教育方針対決へ変わっていた。
「レオンは説明長すぎ!」
フィナがエルナ側へ加勢すると、レオンは信じられないものを見るように眉を寄せる。
「お前の説明が短すぎるんだ!」
「『小さく思う』よりは私の方がちゃんとしてるでしょ!」
「エルナは怒ると説明が増える!」
「誰のせいよ!」
騒ぎから逃げるように、ネムは敷物ごと少しだけ壁際へ移動していた。
「ネム、遠くなってない?」
フィナが気づくと、ネムは枕へ顔を半分埋める。
「声、大きくなった」
「ごめん!」
「フィナはまだ普通」
ネムの視線がレオンとエルナへ向く。
「二人、競技中」
「何の競技だ!」
「指導権争奪戦じゃないわよ!」
二人がまた同時に反応し、今度は互いを睨む。
その間にリリカはもう一度標的の前へ立ち、今度はエルナに言われた通り、普段使っている杖をしっかり握った。
魔力を少なく。
形を小さく。
それでも頭に浮かんでいるのは、先ほど何の苦もなく指先へ火を灯したフィナの姿だった。
「フィナ師匠みたいに……!」
放たれた小さな火球は、最初より安定した形で標的へ飛んだ。
だが途中で必要以上に大きさを抑えようとしたため、火が弱まり、標的へ届く直前で消えてしまう。
「ああっ……!」
肩を落としたリリカのところへフィナが近づく。
「でもさっきよりすごく真っ直ぐ飛んだよ!」
「標的には届きませんでした……」
「次は届くよ」
「はい!」
リリカはすぐ顔を上げた。
失敗そのものを引きずっている様子はなく、むしろ何か新しい課題を見つけたように杖を握り直す。
「もっと練習します!」
「無理しすぎないでね」
「大丈夫です!」
明るく答えたリリカは、標的の向こうではなく、隣に立つフィナを見上げた。
「もっと師匠を真似できるようになります!」
その言葉に迷いはなかった。
レオンとエルナが一瞬だけ顔を見合わせたものの、この時点では二人とも何も言わない。リリカ自身も、憧れへ近づこうとするその考え方に、まだ一つも疑問を抱いていなかった。
訓練場には再び小さな火球が飛び始め、そのたびにリリカの視線は標的だけでなく、少し先で見守るフィナの姿へ向いていた。




