第三章 1 『王都魔法祭がやってくる』
アクアレイアからセレフィアへ帰還して数日が過ぎ、王立セレフィア魔法学院の特別実習班にも、ようやく普段の日常が戻りつつあった。
班室の壁には、旅へ出る前と同じ不格好な集合写真が飾られている。その下の机には国外実習の報告書、持ち帰った資料、そして未だに食べ切れていない大量の土産菓子が積み上がり、一国を巻き込む事件を終えた部屋とは思えないほど平和だった。
「レオン、この報告書、まだ増えるの?」
自分の前に置かれた紙の束を指先で持ち上げながら、フィナは向かい側のレオンへ困った顔を向けた。
「増える。アクアレイア側から追加資料が届いた」
レオンは既に新しい資料へ目を通しており、答えながら必要な頁へ印を付けていく。
「もう国一個救ったんだから、報告書も一枚くらいでよくない?」
「一枚に何を書くつもりだ」
「『海が空に行ったけど、戻しました』」
「国家規模の事件を夏休みの日記みたいにまとめるな」
「ちゃんと最初から最後まで入ってるよ!?」
フィナが本気で反論すると、隣で自分の活動記録を確認していたエルナが呆れたように眉を寄せた。
「それで提出したら、学院長が違う意味で倒れるわよ」
「じゃあエルナならどう書くの?」
問いを向けられたエルナは待っていましたとばかりに姿勢を正し、指を一本ずつ立て始める。
「最低でも事件の発生経緯、被害状況、原因、私たちの対応、それから再発防止と個別の活動記録を――」
「レオンが増えた」
フィナの隣で机へ頬をつけていたネムが、眠そうな目を開けないまま呟いた。
「増えてないわよ!」
すぐさま声を上げたエルナに対し、資料から目を離さないレオンが淡々と追撃する。
「説明の長さは同じくらいだな」
「レオンまでそっちに乗らないで!」
エルナの声が班室へ響いたところで、廊下の向こうから鐘が三度鳴った。
普段の授業開始を知らせるものとは違う、学院全体への集合を告げる音だった。班室の外でも生徒たちが何事かと廊下へ出始め、窓の向こうでは教師たちが中庭中央の掲示板へ大きな布を掛けている。
「何かあるのかな?」
窓辺へ寄ったフィナが外を覗き込むと、レオンは机上の資料を手早くまとめて立ち上がった。
「全学院生への通達だろう。行けば分かる」
「休みのお知らせかな?」
「その期待だけは捨てろ」
「まだ何も決まってないのに!」
「でもフィナ、今すごく期待した顔してたわよ」
鞄を持ったエルナまで当然のように指摘してきたため、フィナは納得できないまま頬を膨らませた。
その横では、リリカが妙にそわそわしながら配布物を片付けている。特例訓練生である彼女にも集合通知は届いており、何か心当たりでもあるのか、視線が何度も中庭へ向いていた。
一方、ネムだけは机から動こうとしない。
「ネム、行くよ」
フィナが袖を軽く引くと、ネムは机に頬をつけたまま片目だけを開いた。
「ここで聞く」
「ここまで聞こえないと思うよ?」
「フィナが帰ってきて教える」
「最初から私を伝言係にする気だ!」
フィナが椅子ごと運べないか真剣に考え始めたところで、ネムはそれを察したらしく、仕方なさそうに上体を起こした。
「運ばれる方が面倒」
「今、私の考えてること分かったの?」
「顔」
「最近みんな顔で判断しすぎじゃない!?」
抗議しながらも、フィナは四人と一緒に班室を出た。
五人が中庭へ着く頃には、各級の生徒や教員が中央広場を埋め尽くしていた。掲示板を覆っていた布が取り払われると、金色の装飾文字と六属性を模した意匠に囲まれた巨大な告知が姿を現す。
中央に書かれた文字を読んだ瞬間、フィナの琥珀色の瞳が一気に輝いた。
《王都魔法祭 開催》
「お祭り!?」
説明が始まるより先に声を弾ませたフィナへ、横に立っていたレオンが早くも嫌な予感を覚えたように目を細める。
「そこだけ拾ったな」
「だってお祭りだよ!」
学院教師から説明が始まる。
王都魔法祭は学院内だけの行事ではなく、王都中央広場、商業区、冒険者区画、学院区画まで広く使用する大規模な祭典だった。
学院生による各種競技や模擬戦。
魔導技師による新作魔導具の展示。
冒険者たちが参加する障害突破競技。
市民も参加できる生活魔法競技。
王都各所に並ぶ屋台。
さらに夜には、複数の魔法使いが王都上空を彩る夜間魔法演舞まで行われる。
「屋台あるって!」
教師の説明中にもかかわらず、フィナが隣のリリカへ小声で身を寄せた。
「はい! 甘いものもたくさんあるそうです!」
同じ程度の声量で返したリリカに、反対側からレオンの低い声が飛ぶ。
「競技説明の途中だぞ」
「夜も何か光るって言ってたよね!」
「夜間魔法演舞だ」
「食べながら見られるかな?」
もはや注意を聞く気のないフィナへ、エルナが額を押さえながら振り返った。
「完全に観光客じゃない!」
「だってお祭りなんだから楽しむでしょ?」
「学院代表として参加するのよ!?」
「エルナも屋台行かないの?」
「行かないとは言ってないわよ!」
反射的に答えてしまったエルナが一瞬固まり、フィナがすぐに笑顔になる。
「じゃあ一緒に行こう!」
「そこを拾うの早いわね!」
説明終了後、五人にも競技案内と会場冊子が配られた。
レオンは受け取るなり、参加資格、安全基準、使用可能魔法、失格条件、補助魔導具制限と順番に読み始めている。
「レオン、まだ始まってないよ?」
フィナが横から冊子を覗き込むと、レオンは頁をめくったまま答えた。
「始まってから読む方が遅い」
「祭りってもっと気持ちで参加するものじゃない?」
「競技規則を気持ちで解釈するな」
「でもここに『楽しく参加してください』って書いてあるよ」
「そこだけ読むな」
そのやり取りの隣で、エルナは学院代表競技の頁を見つけると、先ほどまでとは明らかに違う真剣な表情になった。
「学院代表競技もあるじゃない」
「エルナ出るの?」
フィナに尋ねられ、エルナは胸元で冊子を閉じる。
「当然でしょ。黒級主席が出なくてどうするのよ。地方学院の代表も来るみたいだし、学院代表として恥ずかしい姿なんて見せられないわ」
「前に寝癖ついたまま授業来たのは?」
「フィナ」
声の温度が一段下がり、フィナは即座に背筋を伸ばした。
「はい」
「今それ関係ある?」
「ないです」
素直に引き下がったフィナの横から、会場図を眺めていたネムが顔も上げずに呟く。
「写真、ある」
エルナの視線が勢いよくネムへ向いた。
「何の!?」
「寝癖」
「誰が持ってるのよ!」
ネムは眠そうな目を巡らせた末、黙ってレオンを見る。
つられて全員の視線が集まると、レオンはほんの一瞬だけ冊子から顔を背けた。
「レオン!?」
「記録用だ」
「何を記録する必要があったのよ!」
「学院生活の記録として――」
「消して!」
「資料としての価値が」
「ないわよ!」
いつの間にか学院代表としての決意が寝癖写真の処遇へ変わっており、フィナは笑いを堪えながらネムの持つ会場図へ目を落とした。
「ネムはどこ行きたい?」
尋ねられたネムは、学院区画から中央広場まで指先を滑らせる。
「中庭、人多い。中央広場、もっと多い。屋台、たぶん無理」
「何が?」
「昼寝」
「会場案内を昼寝場所としてしか見てない!」
「大事」
「競技より?」
「競技、寝られない」
フィナが言葉を失っている間に、寝癖写真を巡る攻防から戻ってきたエルナが呆れた顔を向ける。
「何しに魔法祭へ参加するつもりなのよ」
「休む」
「目的が真逆じゃない!」
その横で、レオンは会場図と競技時間表を照らし合わせ始めていた。
「初日は学院競技と魔導具展示が重なる。中央広場への移動時間を考えると、全部見るのは無理だな」
「じゃあ走ればいいんじゃない?」
フィナが当然の解決策のように言うと、レオンは冊子から目だけを上げた。
「移動速度の問題じゃない」
「空間魔法ならすぐ――」
「祭りの移動に空間魔法を使うな!」
レオンの制止へ重なるように、エルナまでフィナへ身を乗り出す。
「絶対駄目だからね!」
「まだ最後まで言ってないよ!」
「使うつもりだったでしょ!」
「ちょっとだけなら便利かなって」
「駄目だ!」
「駄目に決まってるでしょ!」
レオンとエルナの声が綺麗に重なった。
フィナが二人を見比べて笑う。
「また揃った」
今度はレオンとエルナが同時にフィナを振り返ったものの、その動きまで重なったことに互いが気づき、今度は二人の間で別の火種が生まれた。
「今のはエルナが合わせただろ」
「はあ!? そっちが私に合わせたのよ!」
「発声は俺が先だった」
「一瞬の差を解析しないで!」
「二人とも空間魔法の話忘れてない!?」
フィナが本来の問題へ戻そうとしたところで、少し離れていたリリカだけが会話へ入らず、配布された競技一覧をじっと見つめていることに気づいた。
先ほどまでなら真っ先にフィナの発言を語録帳へ書き留めていたはずなのに、今は一つの項目から目を離していない。
「リリカ、何見てるの?」
フィナが隣へ寄ると、リリカは冊子を少し持ち上げ、指先で一つの競技名を示した。
《初級火魔法競技》
指定された複数標的へ火を灯し、出力、距離、持続時間、精度を競う。使用できるのは初級火魔法のみで、過剰な火力は評価どころか減点になると記されていた。
「火の競技だ!」
フィナが嬉しそうに声を上げると、リリカも冊子を胸元へ抱き直した。
出会った頃は、怖さから魔力供給を途中で止めてしまい、まともに火球を飛ばすことさえできなかった。今では小さな火を必要な位置へ運び、アクアレイアでも自分にできる役割を考えて動けるようになっている。
それでもフィナを見る新緑色の瞳には、出会った頃と変わらない真っ直ぐな憧れが残っていた。
「フィナ師匠」
いつもより少しだけ力の入った呼び方に、フィナはリリカへ身体を向ける。
「うん?」
リリカは冊子を握る指へ力を込め、一度だけ緊張を逃がすように息を吸った。
その様子に気づいたレオンはエルナとの言い争いを止め、エルナもリリカへ視線を向ける。ネムも会場図から僅かに顔を上げた。
「私、初級火魔法競技に出ます!」
宣言したリリカの顔には、緊張よりも期待の方が強く浮かんでいた。
フィナの表情にもすぐ大きな笑みが広がり、競技案内を囲むように四人の視線が集まる。
王都魔法祭は、まだ始まってすらいない。
それでもリリカが握りしめた一枚の競技案内をきっかけに、五人にとっての新しい祭りは、学院の賑やかな中庭ですでに動き始めていた。




