第一章 4 『魔法学院の特別受験』
閉じかけた正門の隙間へ滑り込んだフィナは、その勢いのまま石畳を数歩走り、ようやく足を止めた。
背後で重い門が閉じ、ほとんど同時に受付終了を告げる鐘が鳴る。危うく間に合わないところだったと胸を撫で下ろした直後、正面の受付台に座る係員たちの視線が一斉に集まった。
「す、滑り込みでも間に合ったことになりますよね?」
「鐘が鳴る前ではありましたが……まず、入学に必要な書類を提示してください」
「書類……」
嫌な予感がして、フィナの笑顔が固まった。
王都の門で受け取った一時入場札と、目覚めたときから持っていた名前の札を差し出す。係員は二枚を確認したものの、表情を曇らせた。
「これは王都への一時入場許可証です。こちらは……フィナ・アウセリアという名前が書かれているだけですね」
「はい。門でも同じことを言われました」
「家名の確認書、出生記録、居住証明、保護者または推薦者の署名はありますか?」
「全部ありません!」
元気よく答えた後で、元気に答える場面ではなかったと気づいた。
係員たちは困惑した顔を見合わせる。通常なら、その時点で入学受付は終了だった。
「身元が確認できない以上、一般の入学手続きは行えません」
「そこを何とか……! 私、魔法のことを調べたくて来たんです!」
「調べたいと言われましても、学院は身元不明者を無条件で受け入れる施設ではありません」
「ですよね……」
あまりにも正しい。
フィナは肩を落としたが、ここで諦めれば行く場所がない。王都へ入れたのも当日限りの許可で、明日からどこで暮らせばいいのかさえ決まっていなかった。
係員の一人が、正門から送られてきた記録へ目を落とした。
「商人三名の証言。街道で魔物を撃退。火、水、風、土を無詠唱で発動。簡易属性検査では複数系統へ反応し、測定器は停止……」
「最後、ひびも入りました」
「自分から不利な情報を追加しなくても結構です」
「でも、後で見つかったら隠したみたいになるかなって」
正直に話すほど、係員の眉間の皺が深くなっていく。
それでも、追い返されるよりはいい。フィナは自分が話せる範囲で、目覚めてからのことを説明した。
「気づいたら、王都から離れた草原にいたんです。私は日本にいた雪城澪華だったはずなのに、身体も服も変わっていて、この札にはフィナ・アウセリアって書いてありました」
「ニホン? ユキシロ・ミオカ?」
「前の私の名前です。たぶん、別の世界から来たんだと思います」
口にすると、改めて現実味のない話だった。
自分でもすべてを理解しているわけではない。なぜこの身体になったのか、元のフィナがいたのか、どうしてエルシアの言葉を知っているのかも分からなかった。
「信じにくいですよね」
困らせないように笑ったものの、係員たちはすぐには答えなかった。
やがて、王都正門の検査記録とフィナを何度か見比べ、通常入学とは別の扱いが提案された。
「身元を保証するものはありません。しかし、未知の魔力適性を放置することもできません。学院による調査を兼ねた特別受験なら、認められる可能性があります」
「受けます!」
「内容を最後まで聞いてください」
「受けられるなら何でも受けます!」
「——何でも、と軽々しく言うな」
背後から聞き覚えのある声が落ちてきた。
振り返ると、灰色がかった黒髪の少年が立っていた。昨日、学院とは反対方向へ歩いていたフィナへ道を教えてくれた相手だ。
「逆じゃない方の人!」
「俺の名前は方向ではない」
「あ、ごめん。昨日はありがとう! 本当にぎりぎりだったよ!」
「見れば分かる。鐘と競争して門へ滑り込む受験者は初めて見た」
少年は呆れたように息を吐き、受付から渡された記録へ目を通した。
「レオン・アルヴェイン。試験補助として、特別受験の記録と安全確認を担当する」
「私はフィナ・アウセリア。まだちょっと、この名前に慣れてないけど」
「昨日も測定器が反応していた。近づくと、さらに分かるな」
「何が?」
「お前の周囲にある魔力だ。密度が異常に高い」
フィナは自分の肩や腕を見回した。
「何かまとわりついてる?」
「埃のように探すな。目には見えない」
「じゃあ、取れないの?」
「汚れでもない」
真面目に説明されるほど、よく分からなくなっていく。
レオンはそんなフィナから半歩だけ距離を取り、測定用の札を腰の収納具へ戻した。その表情には、道を教えたときより明らかな警戒があった。
特別受験は、学院内の小さな試験室で行われた。
最初は筆記試験だった。文字の読み書きや簡単な計算は、日本で学んだ知識とエルシアの言語理解があれば問題なく解ける。
「よかった。足し算は世界が変わっても足し算だ」
「何を当然のことに安心している」
隣の補助席に座るレオンが、答案を覗かない位置から淡々と返した。
しかし、安心できたのは最初の頁までだった。
『千年前の大魔災後、現代術式の基礎を制定した六名の賢導について、それぞれの功績を記せ』
「……六人もいるの?」
「試験中の独り言に答える義務はない」
『複合属性術式における第二環と第三環の接続規定を記せ』
「第二環があるなら、第一環から説明してほしい……」
「問題文へ要望を出すな」
フィナは眉間へ皺を寄せ、次の問題へ進んだ。
そこには、長い正式名称を持つ魔法が並んでいた。上級火属性魔法《炎獄多重収束砲》、最上級風属性魔法《天嵐旋界断層陣》、さらに聞いたこともない術式名が一行を埋め尽くしている。
「名前、長すぎない?」
「階級、属性、構造、効果を区別するために必要だ」
「使う前に名前を忘れそう」
「正式名称を覚えられない者が上級魔法を扱うな」
「私、簡単な魔法だけでいいかも」
「今の段階では、それ以前に基礎理論を覚えろ」
レオンが真面目に説明するたび、フィナの顔は目に見えて曇っていった。
「上級になると、もっと長くなる?」
「複合術式なら構成名も加わる」
「……初級魔法だけで生きていきます」
「筆記試験中に人生の方針を決めるな」
魔法史と分類問題は、ほとんど答えられなかった。
それでも最後の頁にあった、術式の誤りを探す問題で、フィナの筆が止まる。三重の円環と複雑な記号が組み合わされた魔法陣だったが、一か所だけ見ていると落ち着かない部分があった。
「ここ、なんとなく変じゃない?」
フィナは外周の記号を一つ消し、隣の線を中央へつなぎ直した。
「なぜ、そこを変更した?」
「こっちから来たのと、こっちから来たのが、ここで喧嘩しそうだから」
「魔力経路は喧嘩しない」
「じゃあ、ぶつかる?」
「……それなら意味は通る」
レオンが模範解答を確認すると、修正箇所は正しかった。
ただし、理由欄には《ここだけ流れが窮屈そうだったから》としか書かれていない。答えは合っているのに、理論的な説明は一文字もなかった。
「お前、本当に術式を知らないんだな」
「だから最初から言ってるよ?」
「知らない者が、なぜ三重循環式の逆流箇所を見抜ける」
「見たら変だったから」
「説明になっていない」
「私もそれ以上は分からないもん」
レオンは答案とフィナを見比べたまま、しばらく黙り込んだ。
筆記試験の次は、属性適性検査だった。
検査室の中央には、透明な柱状の魔導具が置かれている。周囲の環には火、水、風、土、光、闇を示す六色の刻印と、その外側に派生属性を判別する細かな紋様が並んでいた。
「今度は壊さないように触ればいいんだよね?」
「普通は、壊さないよう意識する必要がない」
「正門では触っただけでひびが入ったから……」
「その情報を聞いた後では、俺も普通とは言いにくい」
レオンが安全結界を準備するのを待ち、フィナは恐る恐る柱へ右手を置いた。
最初に火の赤が灯る。
続いて水の青、風の緑、土の黄、光の白、闇の紫が連続して輝いた。さらに雷、氷、植物、鋼、音、空間を示す色が次々と走り、検査室全体が祭りの飾りのように明滅する。
「きれい……!」
「見物している場合か」
「だって、全部光ってるよ!」
「それが問題だ」
最後に、どの刻印にも属さない透明な光が柱の内部を満たした。
判定針が左右へ激しく揺れ、属性名を表示する板へ意味のない記号が連続して浮かぶ。やがて魔導具は低い音を一度だけ響かせ、すべての表示を消して停止した。
「……止まった」
「今回はひび、入ってないよ!」
「それを成果として喜ぶな」
学院側は故障を疑い、予備の確認札を接続した。
しかし、魔力の供給経路にも内部術式にも破損はない。魔導具は正常な状態のまま、判定だけを放棄していた。
「故障ではありません」
レオンは記録板を確かめ、硬い表情で結論を出した。
「測定可能な属性分類から外れたため、判定不能として停止した可能性があります」
「つまり、どういうこと?」
「少なくとも、お前を既存の一属性や複合属性として扱うのは無理だ」
「全部使えるってことかな?」
「まだ断定するな。実際に発動できるか、実技で確かめる必要がある」
その言葉を受け、実技試験で使用する魔法を選ぶことになった。
候補の一覧には、属性別の初級魔法が並んでいる。フィナは長い名前を避けるように指を滑らせ、最も短く、最も簡単そうな一つで止めた。
筆記試験で十分に疲れたフィナが選んだのは、標的へ小さな炎を飛ばすだけの初級火魔法だった。




