第二章 4 『ようこそ、水の国へ』
海上魔導列車がアクアレイアへ近づくにつれ、車窓の景色は「海の上に都市がある」という言葉だけでは説明できないものへ変わっていった。
最初に見えてきたのは、海面から垂直に立ち上がる二本の巨大な塔だった。白銀色の外壁には青い魔力光が幾重にも走り、その間を塞ぐように、都市一つを守れそうな巨大水門が横たわっている。
「大き……」
窓際へ身を寄せたフィナは、首を反らすようにして塔の頂上を追った。列車が近づくほど、水門の巨大さが実感へ変わっていく。
「これ、開くの?」
「列車用の通行路が別にあるはずだ。正面水門そのものを開閉する必要は――」
レオンが説明を始めた直後、巨大水門の中央部を走る青い線が上下へ分かれた。
水の壁が左右へ滑る。
その奥から、列車一本が通れる細長い通路が現れた。
「開いた!」
「俺が今、別の通行路があると言っただろ」
「説明より実物の方が速かったね!」
嬉しそうに振り返るフィナへ、レオンは口を閉じた。
向かいのエルナはそのやり取りを見て笑いかけたものの、次の瞬間には窓の外へ目を奪われていた。
列車が巨大水門を抜けた。
その瞬間、五人の視界いっぱいにアクアレイアの市街が広がった。
「……何よ、これ」
エルナの声から、いつもの勢いが消える。
海上へ築かれた白い街並みの上を、透明な水路が何本も横切っていた。太いものは建物ほどの直径があり、内部では青い魚の群れが泳ぎ、その脇を細長い小型魔導艇が滑るように進んでいる。
「魚が空飛んでる!」
フィナが窓へ両手をついた。
「飛んでいるわけじゃない。水路の中を泳いでるのよ」
そう訂正したエルナ自身も、頭上を横切る透明水路から目を離せていなかった。
「でも、あんな高さまで水を上げ続けるって……どれだけ大きな術式を使ってるのよ」
「水圧だけじゃないはずだ」
レオンは既に鞄から記録器具を取り出していた。窓の向こうへ流れる青白い術式線を追い、車体の振動も気にせず記録を始める。
「水路の外壁そのものに流動制御が組み込まれてる。高さごとに圧力を分散して、水の自重を――」
「レオン先輩、もう少しゆっくりお願いします!」
横でリリカが必死にペンを走らせている。
「全部書くの!?」
フィナが驚いて覗き込むと、リリカの記録帳には既に細かな文字がびっしり並んでいた。
「国外で学んだことは一つも無駄にできません!」
「その情熱を授業でも出せたらすごいね」
「出しています!」
「フィナが言える立場でもないけどな」
「レオン!?」
不意打ちを受けたフィナが振り返る。
その騒ぎの横で、ネムだけは座席へ深く沈んだまま、透明水路を見上げていた。
「魚、いっぱい」
「ネム起きてる!」
「起きた」
「海見たときより反応あるじゃん!」
ネムは返事の代わりに、水路を泳ぐ丸い魚を指で追った。興味があるのかないのか分かりにくい表情だったが、少なくとも眠るつもりはないらしい。
やがて列車が速度を落とし、海上駅へ入っていく。
ホームへ降り立った瞬間、潮の匂いと涼しい風が五人を包んだ。
「わあ……」
フィナは荷物を持ったまま、ゆっくりその場で一周した。
駅の向こうには海上市場が広がっている。色鮮やかな天幕の下に魚介類や魔導雑貨が並び、さらに奥の港には、学院の建物より大きく見える巨大魔導船が停泊していた。
「船でかっ!」
「声もでかいわよ!」
エルナが反射的に注意しながらも、自分も巨大船へ顔を向けている。
船体の側面には複数の青い魔法陣が回転し、海面との間には淡い光の膜が浮かんでいた。帆よりも魔導機関を主軸にしているらしく、甲板の上には大型の術式塔まで立っている。
「レオン、あれ何?」
「今見ている」
「分からないんだ」
「初見で全部分かったら逆に怖いだろ」
「ちょっと安心した」
「何にだ」
レオンがわずかに眉を寄せたところで、頭上を低い音が通過した。
五人が同時に見上げる。
海上駅の先に立っていた灯台が、地面から離れていた。
「浮いてる!」
白い塔の下には円形の魔法陣が何層も展開され、灯台そのものが海上数十メートルの位置に静止している。さらに上空では、別の浮遊灯台がゆっくりと位置を変えていた。
「航路に合わせて移動するのかもしれないな」
レオンの声には、今度こそ隠しきれない興味が滲んでいた。
エルナがその横顔を見て、半眼になる。
「もう顔が研究者なのよ」
「学院生だ」
「今の顔で言っても説得力ないわよ」
駅から市街へ続く通路へ進むと、今度は円筒形の透明な施設が現れた。
内部では大量の水が上から下へ流れている。その中央に人が乗れる足場が浮き、水流に逆らうように上昇していた。
「水のエレベーター?」
フィナが目を輝かせる。
「水流昇降機だろうな。流速と浮力を調整して――」
「乗りたい!」
「まだ説明の途中だ!」
フィナは早くも入口へ近づこうとしたが、エルナに制服の背を掴まれて止められた。
「案内もなしに勝手に乗らない!」
「見るだけ!」
「そのまま乗る顔してたでしょ!」
「顔で行動決められるの、最近多くない!?」
フィナが抗議していると、少し離れた位置から足音が近づいてきた。
人混みの中から現れたのは、整った制服姿の少女だった。
青を基調にしたアクアレイア式の制服を隙なく着こなし、手には数枚の資料を抱えている。年齢はフィナたちよりわずかに上に見え、歩く速度も姿勢も一定だった。
「——王立セレフィア魔法学院、特別実習班の皆さんですね」
少女は五人の前で足を止めると、丁寧に一礼した。
「初めまして。アクアレイア海洋魔導国、首都水流管理局実務参加生のセレスティア・マレインです。今回の国際魔導技術交流会では、学生代表兼、皆さんの案内役を担当します」
「よろしくお願いします!」
真っ先にフィナが笑顔を向ける。
続いてレオンとエルナが正式な挨拶を返し、リリカも慌てて頭を下げた。ネムはフィナの隣で小さく会釈したあと、すぐ枕型魔導具を抱え直している。
セレスティアは五人を一人ずつ確認し、最後にフィナへ視線を止めた。
「フィナ・アウセリアさん」
「はい!」
明るく返事をしたフィナを見たあと、セレスティアは手元の資料へ目を落とした。
そして、もう一度フィナを見る。
再び資料。
またフィナ。
「……?」
フィナは自分の顔を触った。
「何か付いてる?」
「いえ」
セレスティアは一度首を横へ振ったものの、すぐ資料へ視線を戻した。
「王立セレフィア魔法学院、白級在籍」
「はい」
「戦力評価……《測定不能》」
「そうなってるみたいです」
セレスティアの眉がわずかに寄る。
さらに別の資料を一枚めくった。
「冒険者資格、木級」
「はい!」
「ただし、ギルド内部指定……《特別危険指定》」
「はい……?」
今度はフィナ自身も返事に自信がなくなった。
セレスティアは資料に記載された文字を確認し、目の前にいる少女を見る。
フィナは普通に旅行鞄を持ち、片側を編み込んだ淡桃茶色の髪を潮風に揺らしている。肩には可愛らしい杖まで掛かっており、どう見ても「特別危険指定」という言葉から想像する雰囲気ではなかった。
「確認してもよろしいでしょうか」
セレスティアは慎重な声でフィナへ向き直った。
「この二つの記録は、同一人物のものですか?」
「多分?」
「多分じゃない」
レオンが即座に訂正した。
「同一人物だ。学院評価も冒険者記録も間違っていない」
「そうですか……」
セレスティアはもう一度資料を見た。
それからフィナを見た。
また資料へ戻った。
「すごく見られてる……」
フィナが小声でエルナへ寄る。
「仕方ないでしょ。記録だけ見たら意味分からないもの」
「本人見ても分からないと思う」
ネムが枕を抱えたまま短く付け足した。
その声を拾ったセレスティアがネムへ視線を移す。
「本人を見ても、ですか?」
「壊すまで分からない」
「壊さないよ!?」
反射的にフィナの声が上がった。
セレスティアの肩がわずかに跳ねる。
エルナは額へ片手を当て、次いでフィナの肩を掴んで少し引き寄せた。
「その返事、もう少し信用できる顔でしなさい!」
「どんな顔!?」
「少なくとも『絶対大丈夫!』みたいな笑顔やめなさい! 過去の実績と噛み合ってないのよ!」
「今日はまだ何も壊してないよ!」
「『今日は』を付けるな!」
今度はレオンまで同時に突っ込んだ。
フィナが二人の間で口を尖らせる横では、リリカが何かを思いついたらしく、語録帳へ手を伸ばしかけていた。
「リリカ」
フィナが即座に止める。
「まだ何も書いてません!」
「今の状況を教えにしようとしたでしょ!」
「《信用とは日々の積み重ね》と……」
「やっぱり書こうとしてた!」
五人のやり取りを前に、セレスティアは数秒ほど言葉を失っていた。
やがて資料を胸元で揃え直し、姿勢を正す。
「……皆さんの関係性については、移動しながら理解することにします」
「それがいいと思う」
ネムの結論に、フィナ以外の三人まで一瞬だけ黙った。
セレスティアは気を取り直すように市街側へ身体を向けた。
「まず滞在施設へご案内します。その途中で、首都の主要設備をご説明します。空中水路、水流昇降機、海上市場、港湾区画についても順に確認していただく予定です」
「全部行けるの!?」
フィナは一瞬で機嫌を直し、目を輝かせてセレスティアの隣へ並んだ。
「見学可能な範囲であれば」
「魚が泳いでる水路も?」
「もちろんです」
「浮いてる灯台も?」
「見学経路から確認できます」
「大きい船は?」
「港湾区画へ行けば、さらに大型のものもあります」
「アクアレイアすごい!」
フィナの声が弾むたび、セレスティアの表情に先ほどまでとは別の困惑が増えていく。
《白級在籍・戦力測定不能》。
《木級・特別危険指定》。
その記録の持ち主は、今のところ巨大魔導船より魚の泳ぐ水路へ強く感動している、ごく普通の十五歳の少女にしか見えない。
セレスティアはもう一度だけ手元の資料を確認してから、先頭に立って歩き始めた。
透明な空中水路の影が白い通りへ揺れ、その中を無数の魚が泳いでいく。浮遊灯台が遠くでゆっくり位置を変え、水上市場からは活気ある声と海の香りが届いていた。
フィナたち五人はセレスティアの後を追い、初めて足を踏み入れた水の国の市街へ、揃って歩き出した。




