第二章 1 『次の実習先、国外なんだけど!?』
正式な特別実習班として認められてから数日。フィナたちの班室には、以前までなかったものが一つ増えていた。
壁の中央、五人がいつもの机を囲めば自然と目に入る場所に、学院提出用として撮影した集合写真の複製が飾られている。
写真の中では、レオンとエルナが互いに顔を向けて何かを言い争い、その間へフィナが慌てて割り込んでいる。少し後ろではリリカが感動したように目を輝かせ、フィナの腕の中ではネムが完全に眠っていた。
「何度見ても、なぜこれを選んだのか理解できない」
机の上へ学院資料を広げていたレオンは、記録用のペンを止めると、壁の写真へ深い青の瞳を向けた。写真の中の自分がエルナへ何かを主張している姿を見るたび、納得できないものがあるらしい。
「いいじゃん。みんな楽しそうだよ?」
フィナは椅子の背へ腕を回し、写真を見上げながら笑った。
「少なくとも俺とエルナは楽しそうには見えない」
「それはレオンが立ち位置について細かいこと言い始めたからでしょ!」
窓際で制服の袖を整えていたエルナが即座に振り返った。腰へ片手を当てた姿勢まで写真の中と妙に似ている。
「撮影記録として残す以上、立ち位置にも合理性が必要だ。身長差と窓からの光量を考えれば――」
「一枚の写真に何個理屈を詰め込むつもりだったのよ!」
机を挟んで始まった言い争いを眺め、フィナは壁の写真と現実を交互に見比べた。
「……すごい。今、写真とほとんど同じになってる」
「本当です!」
隣に座っていたリリカが勢いよく語録帳を開いた。新緑色の瞳には、どういうわけか感動まで浮かんでいる。
「記録とは過去を閉じ込めるものではなく、今へ受け継がれていくもの……! あの一枚は、私たちの絆が今も続いている証明なんですね!」
「ただ同じことで揉めてるだけだからね!?」
フィナが慌てて両手を振ると、リリカはさらに感銘を受けたようにペンを走らせようとした。
「なるほど……! 同じ失敗を繰り返してこそ見えてくるものが――」
「ないよ! 今のところ反省だけだよ!」
フィナの隣では、ネムが二脚の椅子を贅沢に使って横になっていた。枕型魔導具へ頬を埋めたまま、銀紫色の髪だけが机の端から垂れている。
「進歩、ない」
眠そうな声で落とされた一言に、班室の時間が止まった。
フィナは笑顔のまま固まり、レオンとエルナは示し合わせたようにネムへ振り向く。リリカだけが語録帳の上でペンを止め、「進歩がないことにも意味が……?」と真剣に悩み始めた。
「待って。今の誰に言ったの?」
恐る恐る尋ねるフィナへ、ネムは目を閉じたまま答えた。
「全員」
「範囲広い!」
フィナが机へ突っ伏しかけた、そのときだった。
班室の扉の下から、白い封筒がするりと滑り込んでくる。表面には王立セレフィア魔法学院の紋章があり、封蝋には正式通知を示す術式が淡く光っていた。
「あ、何か来た」
フィナが身体を起こすより早く、レオンは椅子を引いて封筒へ向かった。床から拾い上げると、宛名、封印、術式の順に確認し、破損がないことまで確かめてから封を切る。
「特別実習班宛てだ。通常の課外実習通知とは様式が違う」
「新しい依頼?」
机越しに身を乗り出したフィナへ、レオンは一枚目を読みながら片手を向けた。
「待て。今確認している」
一枚目。
二枚目。
さらに同封されていた別紙。
レオンの視線は紙面を上から下へ滑り、時折前のページへ戻って内容を照合している。
フィナは十秒ほど待った。
「……レオン?」
「まだだ」
さらに十秒。
フィナの身体が少しずつ机へ沈んでいく。
「通知一枚でそんなに読むところある?」
「ある。実習期間、参加条件、移動経路、現地での行動規定、安全管理責任、緊急時の権限、持込禁止物――」
「題名! 題名だけ先に教えて!」
とうとう我慢できずに訴えると、レオンは小さく息を吐き、一枚目の最上部へ目を戻した。
「《国外特別実習に関する正式招待》」
フィナの動きが止まった。
「国外?」
「ああ」
「国外って……外国!?」
琥珀色の瞳が一気に輝き、フィナは椅子から半分立ち上がった。
「外国なんだ!」
「国外に別の意味があるなら俺も知りたい」
「どこ!? どこ行くの!?」
今にも通知書を奪いそうな勢いで迫るフィナから紙を守りつつ、レオンは本文の該当箇所を指で追った。
「アクアレイア海洋魔導国。セレフィア王国南東の海域にある国だ」
「海洋!」
フィナの反応が一段大きくなった。
「海ある!?」
「国名に海洋と入っているだろう」
「海だ!」
「話を最後まで聞け」
レオンが通知書を軽く持ち上げて制止する横で、エルナも興味を隠しきれない様子で机へ近づいてきた。
「国外特別実習ってことは、普通の課外実習とは違うんでしょ?」
「ああ。国際魔導技術交流会への参加が主目的だ。加えて、現地学院との交流実習。それから――」
レオンが次の行へ指を移した瞬間、フィナは既にその文字を横から覗き込んでいた。
「海中迷宮施設見学!?」
「近い。顔が近い」
「海の中に迷宮があるの!?」
「施設見学だ。迷宮攻略へ行くとは書いていない」
「見るだけでも楽しそう!」
弾む声を聞いていたリリカは、胸の前で両手を握りしめた。期待に満ちた表情は、国外実習という言葉から明らかに別の結論へ到達している。
「ついに……」
「リリカ?」
「ついに、フィナ師匠の教えが海を越えるんですね……!」
今にも涙ぐみそうな弟子の顔を見て、フィナは嫌な予感に頬を引きつらせた。
「待って。何しに行くつもり?」
椅子へ横になったままだったネムが、枕へ頬を押しつけた状態で結論だけを落とした。
「国外布教」
「しないよ!?」
フィナが勢いよくネムへ振り返る。
「お師匠様の偉大さが、ついに他国でも知られてしまうのですね……!」
リリカは止まらない。それどころか語録帳を開き、《師匠の教え、国境を越える》と書き始めている。
「だから広めなくていいの! 普通に交流して帰ろうよ!」
「正確には技術交流と共同実習だ」
通知を読み続けるレオンが冷静に訂正を入れる。
「レオンまで話を難しくしないで!」
「難しくしていない。書いてある内容をそのまま説明している」
「それがもう難しいの!」
フィナが頭を抱える横で、エルナは通知の下部へ目を凝らしていた。
「滞在って何日くらい?」
「移動を含めて十日前後の予定らしい」
「十日……」
エルナの声がわずかに低くなった。
次いで視線が自分の制服へ落ち、袖口を確認する。さらに髪先へ指を滑らせたところで、フィナと目が合った。
「エルナ、服?」
「ち、違うわよ!」
図星を突かれたエルナは髪先を離し、わざとらしく腕を組んだ。
「国外でしょ? 学院代表として行くんだから、正式な場で恥ずかしくない服装が必要か確認してるだけ! 遊びじゃないんだから!」
「でも今、髪も見てたよね?」
「見てない!」
「見てた」
枕へ沈んだままのネムが即座に追撃する。
「ネムは寝てたでしょ!?」
「目、閉じてても分かる」
「何その能力!」
「それは能力じゃないだろう」
レオンが真顔で訂正すると、エルナは今度こそ彼へ矛先を向けた。
「それより服装規定は?」
「まだそこまで精読していない」
「早く読みなさいよ!」
「さっきまで説明が長いと言われていたんだが?」
「必要なところは早く読みなさいって言ってるの!」
「必要かどうかは実習内容を確認してから判断するべきだ」
「交流会がある時点で必要でしょ!」
「現地側の規定次第だ!」
二人の声が同時に大きくなり、机の中央で通知書を挟んだ議論が始まる。
フィナは右にレオン、左にエルナと首を動かしたあと、そっとリリカへ顔を寄せた。
「……国外実習の話、どこ行ったの?」
「服装の重要性についての討論へ移行しました!」
「移行しなくていいよ!」
そのとき、ネムが枕からわずかに顔を上げた。
「ネム、一個だけ大事」
「何?」
フィナが期待を込めて振り返る。
「移動、何時間?」
班室の視線が、今度は一斉にネムへ集まった。
「そこ!?」
「寝る時間、変わる」
ネムは当然のことのように言い切ると、返事を待つ間にも瞼を閉じていく。
「外国だよ!? 海だよ!? 交流会も迷宮もあるんだよ!?」
「移動中は、全部ない」
「正論みたいに言わないで!」
フィナが両手を広げて抗議する一方、リリカはまた語録帳へ視線を落としていた。
「環境が変わっても己の生活を乱さない精神……これも修行に――」
「リリカ、書かない!」
「まだ最後まで言ってません!」
「書く顔だった!」
騒ぎが一周したところで、レオンがようやく通知書を机へ広げ直した。今度は五人全員へ見える向きに整え、重要部分を指先で示す。
「要点だけまとめる。アクアレイア側から、俺たち特別実習班へ正式な招待が来ている。国際魔導技術交流会への参加、現地学院との交流、海中迷宮施設の見学。細かい日程と持ち物については明日、学院から説明がある」
「私たち五人を指定して?」
フィナの声から、それまでの勢いが少しだけ抜けた。
「ああ。班として招待されている」
その言葉を聞いたフィナは、ゆっくりと壁へ視線を上げた。
数日前に撮った、不格好な集合写真。
写真の中では、レオンとエルナが今と同じように揉めている。自分はその間で慌て、リリカはなぜか感動し、ネムは腕の中で眠っている。
そして今も、机の向こうではレオンが正式通知を整理し、エルナが「必要な服装確認は実習準備の一部」と言い張っている。リリカは国外へ持っていく語録帳の冊数を真剣に考え始め、ネムは移動時間の確認が終わっていないのに再び眠りかけていた。
知らない国へ行く。
知らない海を見る。
学院の外どころか、セレフィア王国の外へ出る。
少し前のフィナなら、それだけでも十分に大きな出来事だった。
けれど今、最初に胸へ浮かんだのは違うことだった。
「五人で外国行くんだね」
フィナは壁の集合写真を見上げたまま、自然と頬を緩めた。
班室という帰る場所を手に入れた五人が、今度はその扉の向こうにある、まだ誰も知らない景色へ一緒に踏み出そうとしていた。




