第一章 30 『第一特別実習班、記念写真を撮る』
正式な特別実習班として学院の記録へ登録された翌週、五人の班室へ一通の通知が届いた。
内容は簡潔だった。班員全員の顔と所属を記録するため、魔導撮影器を使って集合写真を一枚撮影し、学院事務室へ提出すること。所要時間は十分程度を想定している、と最後に添えられていた。
「一枚撮るだけなら、すぐ終わりそうだね」
通知を読んだフィナは、何の疑いもなく笑った。
「光量が一定ならな」
レオンは既に班室の窓際へ立ち、外から差し込む光の角度を確認していた。片手には小型の照度計が握られ、もう片方では記録用紙へ数字を書き込んでいる。
「室内撮影なら、午後より午前の方が影は浅い。ただし窓硝子からの反射が撮影器へ入る可能性がある。背景の色、撮影距離、身長差も考慮すると――」
「一枚撮るだけだよね?」
フィナが途中で確認すると、レオンは照度計から視線も上げずに返した。
「正式な記録だ。適当に残して、十年後に顔が判別できなかったらどうする」
「十年後もこの写真を使うの!?」
「記録とはそういうものだ」
フィナが驚いている間に、エルナは机の上へ櫛、布、襟元を整えるための小さな鏡を並べていた。
「正式な記録なんだから、姿勢と身だしなみくらい整えるのは当然でしょ。フィナ、髪の編み込みが少し緩んでる。リリカは襟が曲がってる。レオンは前髪が目にかかりすぎ」
「俺は普段どおりだ」
レオンが眉を寄せるが、エルナは取り合わない。
「普段どおりなら直さなくていいと思ってるところが駄目なのよ」
エルナはレオンの返事を待たず、前髪を指先で横へ払った。
続けてフィナの編み込みを整え、リリカの襟を直し、ネムの大きなローブの皺を伸ばす。最後に自分の髪を鏡で確認し、髪先を左右へ分け、また戻した。
その様子を見ていたフィナが、鏡を覗き込むエルナへ声をかける。
「エルナ、自分の髪は三回目だよ?」
「確認よ。人の髪を直した後は、自分の髪も乱れるでしょ」
撮影用の椅子へ座ったネムが、眠そうな目で鏡を見た。
「さっきから触ってるの、鏡だけ」
エルナの手が止まる。
「鏡を見る動作で髪が乱れてないか確認してるの!」
「その確認でまた鏡を見るんだね」
「フィナは黙って笑顔の練習でもしてなさい!」
「いつも笑ってるよ!?」
フィナが頬を膨らませた時、撮影器の準備を終えたレオンが床へ細い線を引いた。
「撮影器から三・二メル。中央はここだ。フィナとエルナを左右へ置き、身長差を――」
「待ってください!」
リリカが勢いよく手を挙げ、中央の椅子を指した。
「フィナ師匠は中央の椅子へお座りください! 私たち四人が、その背後へ並ぶ構図が最もふさわしいと思います!」
「私だけ座るの?」
「はい! 師匠と四人の弟子です!」
レオンとエルナがほぼ同時にリリカへ振り返った。
「俺は弟子じゃない」
「私は弟子じゃない!」
二人の否定が完全に重なった。
フィナだけが勧められた椅子の前で立ち止まり、座るべきか戻るべきか分からず、二人を交互に見た。
レオンは床の線と撮影器の位置を確認しながら、自分の配置案を主張する。
「俺は記録補助役だ。立ち位置へ役割を反映するなら、フィナの斜め後方で撮影器と記録板の両方を確認できる位置が適切だ」
エルナはすぐにフィナの隣へ移動し、譲る気のない顔で腰へ手を当てた。
「私はライバルよ! ライバルならフィナの真横でしょ!」
「記録写真で対抗関係を表現する必要はない」
「記録補助役を立ち位置で表現する必要もないでしょ!」
「少なくとも弟子より事実に近い」
「私だって弟子よりは事実に近いわよ!」
二人は床に引かれた線を挟み、左右からフィナの隣を指した。
その構図を見たリリカが、嬉しそうに両手を合わせる。
「右側の副師匠と、左側の副師匠ですね!」
「副師匠じゃない!」
「勝手に左右へ分類するな!」
再び声が重なった。
エルナは一瞬だけレオンを見てから、フィナの右側へ移動する。
「私は右よ。雷魔法は右手から撃つことが多いもの」
レオンは窓から入る光と床の位置関係を示した。
「写真の立ち位置と発動方向に関連はない。光源が左にある以上、反射を考えれば俺が右へ立つべきだ」
「何よ。私の髪が光を反射しすぎるって言いたいの?」
「誰も髪の話はしていない」
「なら私が右で問題ないでしょ!」
「論理が繋がっていない」
二人が左右の所有権を争い始めた横で、ネムは中央の椅子へ身体を沈めた。
それに気づいたフィナが、椅子の背へ手をかける。
「ネム、それ私が座る椅子みたいだよ」
「空いてた」
「私、座ろうとしてたよね?」
「まだ座ってなかった」
「順番待ちの概念がないの!?」
フィナが椅子の背へ手をかけると、ネムは枕型魔導具を抱え直し、目を閉じた。
「少しだけ」
「写真を撮る前に寝ないでよ!」
「撮る時、起こして」
「今がその時だよ!」
レオンとエルナの議論が長引き、撮影開始までに二十分が経過した。
レオンは光量と距離を三度測り直し、エルナは全員の襟と髪を四度整えた。最初は笑顔で立っていたフィナも、途中から壁へ背を預け、最後には自分の番を待つ子供のように床へしゃがみ込んでいた。
「私たち、写真を撮るだけだったよね?」
フィナが疲れた顔で見上げると、レオンはまだ記録用紙を確認していた。
「正式な記録を残すための準備だ」
エルナはしゃがみ込んだフィナの口元を見て、眉を寄せる。
「準備で顔が疲れたら意味ないでしょ!」
「フィナ、口元が下がってるわよ。笑って」
「エルナたちのせいだよ!?」
ようやく一枚目の撮影が始まった。
ネムを椅子から立たせることには失敗したため、中央の椅子にはネムが座り、その後ろにフィナが立つ。レオンとエルナは左右端、リリカはフィナの隣という、誰の提案とも違う配置へ落ち着いた。
レオンは撮影器の起動位置へ手を伸ばし、四人へ視線を送る。
「撮影まで三秒だ。全員、正面を向け」
レオンが撮影器を起動させ、急いで右端へ移動する。
魔導撮影器の光が点滅した瞬間、エルナはレオンの立ち位置が線から外れていることを指さし、レオンはフィナの肩が中心からずれていることを別方向から指した。リリカは正面ではなくフィナを尊敬の眼差しで見上げ、ネムは目を閉じたまま眠っている。
正面を向いていたのは、状況を何も理解できないまま笑顔を維持していたフィナだけだった。
出来上がった写真を見たフィナは、四人の顔を順番に確認して肩を落とす。
「……これ、私以外誰も写真を撮る気がないよね?」
レオンは自分の立ち位置を確認しながら、真顔で弁明した。
「位置のずれを修正しようとしただけだ」
「撮影の瞬間にやらないでよ!」
エルナは一枚目を確認し、全員の配置を細かく直した。
「次は完璧にするわよ」
二枚目では、レオンが撮影器へ戻る時間まで計算し、エルナも髪へ触れないよう両手を身体の横へ下ろした。ネムはフィナが後ろから肩を支え、辛うじて目を開けている。
フィナは全員の顔を確かめてから、今度こそという気持ちで笑顔を作った。
「今度こそ、普通に撮ろうね」
「はい、フィナ師匠!」
撮影器が光った。
完成した二枚目には、フィナを中央に四人が正しく並んでいた。
ただしリリカだけが両手を胸の前で組み、フィナへ向かって深々と頭を下げていた。
写真を見たフィナが、信じられないものを見るようにリリカへ振り返る。
「リリカ、どうして拝んでるの!?」
リリカは悪びれるどころか、誇らしげに胸を張った。
「フィナ師匠を中央へ置くと、自然と身体が!」
「自然に拝む身体にならないでよ!」
「師匠と弟子の正式な姿を残そうと思いまして!」
レオンは写真の端にいる自分とエルナを指して眉を寄せる。
「俺たちまで弟子に見える構図を作るな」
エルナも自分の姿を指さし、即座に否定する。
「私は頭を下げてないでしょ!」
フィナは写真全体を両手で示した。
「全員、祭壇の横に並んでるみたいだよ!?」
三枚目は、椅子を撤去して全員が立つことになった。
ネムはフィナが片腕で抱き上げる。レオンとエルナは今度こそ口を閉じ、リリカにも正面だけを見るよう念を押した。
配置を確認していたレオンが、フィナの腕の中へ視線を向ける。
「フィナ、ネムの位置が少し低い」
「重いからこれ以上は無理だよ」
ネムは抱えられたまま、わずかに眉を寄せた。
「ネム、軽い」
「自分で言わないでよ!」
エルナがフィナの抱き方を見て、手を伸ばしかける。
「フィナの持ち方が悪いんじゃない?」
「ならエルナが持ってよ!」
「写真の配置が変わるでしょ!」
レオンは二人の間から冷静に口を挟んだ。
「持つ人が変わっても班員は同じだ」
「レオンは口を挟まないで!」
二人が再び言い争い、フィナは腕の中のネムを抱え直しながら止めようと身を乗り出した。
「二人とも、もう撮影器が――」
光が点滅した。
三枚目には、レオンとエルナが互いへ詰め寄り、フィナが困った顔で間へ入ろうとし、リリカがその様子を「仲間同士の熱い対話」と受け取って感動し、ネムがフィナの腕の中で完全に眠っている姿が残った。
出来上がった写真を見たフィナは、とうとう額へ手を当てた。
「真剣に撮ろうとするほど悪くなってない?」
「四枚目を撮る。今度は会話を禁止する」
レオンが撮影器へ向き直る横で、ネムがフィナの腕の中から目だけを開けた。
「呼吸音も止める?」
「そこまでは必要ない」
「ネム、できる」
「能力を使ってまで写真を撮らなくていいよ!」
四枚目の準備が始まった。
しかしレオンが撮影器の角度を一度だけ調整すると言い、エルナがその間に髪型を一度だけ確認すると言い、リリカが一度だけ立ち位置の意味を確認し、ネムが一度だけ眠った。
その全ての「一度だけ」が積み重なり、窓から差し込む光は夕方の色へ変わっていた。
フィナは机の端へ頬をつけ、三枚目の写真をぼんやり眺めた。
綺麗な写真ではない。誰も正面を向いておらず、整えた髪も制服もほとんど意味を成していない。
それでも、レオンとエルナが本気で言い争い、リリカが嬉しそうに見守り、ネムが安心しきって眠る姿は、ひどく見慣れたものだった。
しばらく写真を眺めていたフィナは、頬を机につけたまま小さく笑った。
「私、これがいいな」
フィナの声に、四人が動きを止めた。
写真を手に取ったフィナは、三枚目を全員へ見せる。
「これが一番、いつもの私たちっぽい」
疲れの残った顔には、それでも自然な笑みが浮かんでいた。
エルナは写真を覗き込み、髪先を指へ巻きつけながら顔をそらす。
「まあ……正式な記録が、必ずしも完璧である必要はないかもね」
レオンも不本意そうに配置と光量を確認した後、反論を諦めたように視線を緩める。
「配置も光量も理想からは外れている。ただ、五人の識別には問題ない」
リリカは胸の前で両手を握り、写真へ柔らかな眼差しを向けた。
「五人で正式な班になれた証拠ですね……!」
侵入者事件を終え、迷宮を共に歩き、失敗も不安も分け合ってきた五人が、同じ一枚の中にいる。短い間だけ、班室には言い争いもツッコミもない、穏やかな静けさが満ちた。
その写真をフィナの横から覗き込んだネムが、眠たげな目のまま率直な感想を落とした。
「フィナ以外、ひどい顔」
温かな空気が一瞬で消えた。
フィナ、レオン、リリカ、エルナの四人は同時に写真へ顔を近づけ、それぞれ自分の表情を確認した。確かにフィナだけが困りながらも自然な笑顔で、残る四人は怒っているか、感動しすぎているか、眠っているかのどれかだった。
それでも撮り直しは行われなかった。
その少し不格好な一枚は正式な集合写真として提出され、複製されたもう一枚が班室の壁へ飾られた。
五人が実習や依頼へ出るたび、言い争いと笑いの途中を切り取った写真だけが、変わらず彼らの帰る場所で揺れていた。




