第一章 28 『エルナの可愛いものは戦術装備』
王都の商店街は、休日の昼前から多くの人で賑わっていた。
正式な特別実習班となった五人は、今後の活動に必要な備品を買いそろえるため、学院から渡された購入品一覧を手に店を回っている。鞄、筆記具、薬草用の保存容器、野営用の毛布。どれも実用的で、少なくとも事件が起きるような買い物ではないはずだった。
「保存容器は密閉性を優先する。薬草だけでなく、魔力を帯びた試料を運ぶ可能性もあるからな」
レオンは棚の商品を一つずつ確認し、蓋の構造や内側の加工まで調べていた。
「こっちの方が可愛いよ?」
フィナは花柄の容器を両手で持ち上げた。
「試料の保存性能に可愛さは必要ない」
「でも、可愛い方が大事に使えるかも」
「保存性能の話をしている」
そのやり取りを聞いたリリカは、すぐさま語録帳を開いた。
「道具へ愛情を持つことで扱いが丁寧になる。さすがフィナ師匠、物と心を通わせることまで――」
「そこまで考えてないよ!? 普通に花柄が好きなだけだよ!」
フィナが慌ててリリカの語録帳を閉じる。
その隙に、ネムは商品棚の前から動くことを完全に諦め、エルナの腕へ全体重を預けていた。
「ちょっとネム! 自分で立ちなさいよ!」
「立ってる」
「私が支えてるからでしょ!」
「エルナ、丈夫」
「褒めても駄目!」
そう言いながらも、エルナはネムを振り落とさなかった。むしろ人とぶつからないよう、空いている腕でネムの肩を抱き寄せている。
店を出て十数歩進んだところで、ネムは今度はフィナの背中へ額を押しつけた。
「フィナ。運んで」
背中へかかる重みに気づいたフィナは、呆れ半分に振り返る。
「さっきまでエルナに運んでもらってたよね?」
「交代制」
「決めた覚えないよ!?」
「班の負担を均等化してる」
「ネムだけ負担がないよ!」
フィナが振り返ろうとすると、ネムは背中へさらに体重を預けた。仕方なくフィナがしゃがむと、当然のように背負われる。
「フィナ、甘やかしすぎよ!」
エルナが腰へ手を当てて呆れる横で、フィナは背中のネムがずり落ちないよう支え直した。
「だって、このままだと道の真ん中で寝そうだから……」
「もう寝てる」
背中から声が聞こえ、フィナの笑顔が固まった。
「起きてるよね!? 会話してるよね!?」
「寝言」
「便利な寝言だね!?」
次に入った店は、鞄や毛布、装飾品まで扱う大きな雑貨店だった。
レオンが耐久性の高い鞄を探し、リリカが初心者用の筆記具を比較している間、フィナはネムを背負ったまま柔らかな毛布を眺めていた。
ふと隣を見ると、先ほどまで一緒にいたはずのエルナがいない。
「あれ、エルナは?」
フィナの肩越しに、ネムが眠たげな目だけを右へ向けた。
「右奥」
店の奥、子供向けの玩具が並ぶ棚の前で、エルナが一人立っていた。
その視線の先にあるのは、丸い耳と短い角を持つ、小さな雷獣のぬいぐるみだった。淡い黄色の毛並みに、青い稲妻模様が縫い込まれている。
エルナは両腕を組み、敵の術式でも解析するような真剣さで見つめていた。
フィナはネムを背負ったまま、そっと近づいた。
「エルナ、それ気になるの?」
「ひゃあっ!?」
エルナは飛び上がり、背後の商品棚へ後頭部をぶつけた。
棚が大きく揺れ、上段に積まれていたぬいぐるみが一斉に落ちてくる。フィナが慌てて風魔法で受け止めると、十数体の雷獣が二人の周囲へふわふわと浮かんだ。
「危なかった……」
「危険なのは私じゃなくて、急に声をかけたあんたでしょ!」
「普通に呼んだだけだよ!?」
雷獣たちに囲まれたエルナは、赤くなった顔を隠すように腕を組み直した。
「私は、魔導具としての構造を確認していただけよ」
「ぬいぐるみだよ?」
「見た目だけで判断するのは危険でしょ。内部に術式が隠されている可能性もあるじゃない」
いつの間にか背後まで来ていたレオンが、商品札を手に取った。
「ないな」
そのまま札へ視線を落とし、淡々と読み上げる。
「内部術式なし。魔力伝導素材なし。主素材は綿と柔軟布。用途は観賞および抱擁」
「最後の用途まで読まなくていい!」
「商品の正式な説明だ」
「声に出す必要がないって言ってるのよ!」
エルナが商品札を奪おうとするが、レオンは片手を上げて届かない位置へ逃がした。
その横でリリカが、エルナを助けようと勢いよく手を挙げる。
「分かりました! これは可愛らしさで敵の警戒心を下げ、油断した瞬間に雷撃を放つ戦術装備なのですね!」
渡りに船とばかりに、エルナが即座に食いついた。
「そう! その可能性を確認していたのよ!」
直後、自分が何へ同意したのか理解したらしく、目だけが横へ泳ぐ。
「副師匠式心理戦……敵の戦意を可愛さで奪い、雷撃で肉体の自由も奪う二段構え……!」
「リリカ、それエルナを助けてるようで、もっと逃げられなくしてるよ!」
「フィナ師匠。副師匠の尊厳を守るためです!」
「守り方が攻城戦みたいになってるよ!」
フィナの背中にいたネムが、いつの間にか床へ降りていた。
ネムはエルナの前を通り、浮かんでいる雷獣の一体を両腕で抱える。頬を柔らかな毛並みへ押しつけ、小さく息を吐いた。
「柔らかい」
全員の視線がネムへ向いた。
ネムはぬいぐるみを抱いたまま、その場から動こうとしない。
「ネム、それお店の商品だよ」
フィナが手を差し出しても、ネムは雷獣を抱く腕を緩めなかった。
「確認中」
「何を?」
「抱擁用途」
「商品札を忠実に試さなくていいよ!」
フィナが雷獣を返してもらおうとすると、ネムは無言で半歩下がった。さらにフィナが近づけば、ぬいぐるみを抱いたまま商品棚の陰へ避難する。
その様子を見たフィナは、先ほどまでの戦術論をあっさり切り捨てた。
「心理戦じゃないね」
エルナの肩が揺れた。
「まだ分からないでしょ! 敵がネムみたいに抱いたまま離さなくなれば、その間に攻撃できるじゃない!」
「敵へ渡すところから始めるの?」
レオンは雷獣の形と大きさを見比べ、なぜか本当に検討を始めた。
「投擲すればいい。警戒心低下効果自体は否定できない。外見から危険性を認識されにくく、柔軟素材なら内部へ小型の魔導具を収納できる。偵察、攪乱、囮として運用する余地はある」
「待って。レオンまで真面目に考え始めたよ?」
「装備としての可能性を検討しているだけだ」
「ただのぬいぐるみだったよね!?」
「外見を偽装した魔導装備は珍しくない。問題は学院への持ち込み許可と、冒険者装備として登録できるかだ」
「登録するの!?」
話を聞いていた店員が、困惑した顔で近づいてきた。
「あの……そちらは普通のぬいぐるみでして……」
レオンはむしろその言葉を有用な情報として受け取ったらしく、真剣な表情を崩さない。
「その普通という認識が、偽装装備には有効だ」
「レオン、店員さんまで作戦会議へ入れないで!」
「仮に内部へ魔導具を入れた場合、保証の対象外になるか確認したい」
「入れないでください」
「では外付けなら?」
「そういう問題ではなく……」
店員は助けを求めるようにフィナを見た。
フィナも助けてほしくて、レオンとエルナを交互に見た。目が合った店員とフィナは、しばらく無言で見つめ合う。
「私たち、どうしたらいいかな」
「私が聞きたいです」
二人の間に、妙な連帯感だけが生まれた。
その横では、エルナまで腕を組み直し、戦術装備という建前を完全に補強し始めていた。
「学院へ持ち込む場合、危険物ではなく心理補助具として申請すれば――」
「精神安定効果も期待できるわね。任務中の緊張を和らげる装備としてなら、正式な理由になるでしょ」
「抱くだけで?」
「フィナは黙ってて!」
「私だけ会議から外された!?」
リリカは語録帳へ《副師匠式心理戦》という新しい項目を作り、雷獣の簡単な絵まで描き始めている。
「可愛さとは無防備ではなく、相手の心へ侵入する最初の雷撃……!」
フィナはエルナの横顔と語録帳を見比べ、勢いよく首を振った。
「それ、絶対にエルナは考えてなかったよ!」
「……考えてたわよ!」
「今、少し間があったよね!?」
「戦術的な間よ!」
エルナが胸を張った横で、ネムは雷獣を抱いたまま毛布売り場の椅子へ座っていた。議論が長引くことを見越したらしく、足元には自分用の柔らかな毛布まで確保している。
「ネム、それもう自分の物みたいにしてるよね?」
「識別装備」
「まだ決まってないよ!」
「名前つけた」
「もっと駄目だよ!?」
フィナがぬいぐるみを見下ろすと、エルナはそっと髪先へ触れた。視線は雷獣へ向いているが、手を伸ばすことはできずにいる。
そんな様子へ気づいたフィナは、深く考えず素直な感想を口にした。
「エルナが持ったら、似合ってて可愛いと思うよ」
「な、何よ急に!」
エルナは顔をそらし、髪先を指へ巻きつけた。
「べつに私が持ちたいわけじゃないんだから! 班全体の装備として有効か確認してるだけで――」
雷獣へ頬を埋めたまま、ネムが長い説明を真ん中から切った。
「エルナ、欲しいだけ」
レオンがエルナを見る。リリカも筆を止めて振り返る。フィナと店員まで、ほとんど同時にエルナへ顔を向けた。
雷獣を抱えたネムだけが、最初から結論を知っていたような目をしている。
エルナの顔が、耳まで一気に赤くなった。
「ち、違うわよ! 私は班員全員が同じ装備を持っていれば、遠方でも所属を識別できると思っただけ! だからこれは、班の識別装備として必要なの!」
フィナは店内に並ぶ雷獣と五人を数え、確認するように指を折った。
「五人分買うの?」
「買うわよ! そこまで言ったんだから買えばいいんでしょ!」
レオンは誰もそこまで要求していなかったことを冷静に指摘する。
「誰も買えとは言っていない」
「今さら引き返せるわけないでしょ!」
エルナは半ば自棄になりながら、雷獣のぬいぐるみを五体まとめて店員へ差し出した。
店員は最後まで戦術装備という言葉へ納得できない顔をしていたが、五体分の代金は正確に受け取った。ネムが抱えていた一体だけは、会計の間も最後まで腕から離れなかった。
翌朝、特別実習班の五人が班室へ集まると、それぞれの鞄には同じ小さな雷獣が揺れていた。
フィナは嬉しそうに耳を整え、リリカは《副師匠式心理戦装備》と書いた札まで付け、ネムは自分の物だけ枕として使い、レオンは「識別性は高い」と真面目に記録している。
誰より丁寧に雷獣の毛並みを整えていたエルナだけが、最後までこれは可愛いぬいぐるみではなく、第一特別実習班の正式な戦術装備なのだと言い張り続けていた。




