第一章 24 『五人で行こう』
古代施設での戦闘が終わった後、学院地下は夜明けまで封鎖された。
侵入者は多重拘束術式を施されたまま学院の監視区画へ移送され、黒い結晶と記録媒体も別々の保管庫へ収められた。地下施設の床や壁には戦闘の痕跡が残っていたが、学院本棟や寮、外周結界に大きな被害は出ていない。
「本当に、あの神話級術式だけを消したのか……?」
施設の点検に訪れた教員たちは、焦げ跡一つない床を何度も調べていた。
一方、戦闘を終えた五人は、学院内の休憩室へ集められている。
レオンは机いっぱいに記録札を並べ、侵入者から回収した記録媒体の写しを解析していた。目の下には薄い隈ができ、文字列を追う視線も普段より重い。
「レオン、少し休んだ方がいいよ」
「この記録は、時間が経つほど内容が崩れる。読める部分だけでも先に保存しておく必要がある」
「でも、さっきから同じ札を三回裏返してるよ?」
「表裏で術式層が違う」
「二回目から裏だった」
フィナの膝へ頭を載せているネムが、目を閉じたまま事実を告げた。
レオンの手が止まる。
「……少し休む」
「判断が速いね」
「ネムに指摘されるまで気づかなかった時点で遅いわよ」
向かい側の長椅子では、エルナが腕を組んで座っていた。
負傷はないものの、魔力消耗と緊張が残っている。背筋はいつもどおり伸びているが、杖を握る指先にはまだ僅かな震えがあった。
その隣では、リリカが自分の戦いを振り返っている。
「分身体は、姿ではなく足元の影を見る。大きな火球へ頼らず、必要な場所だけを焼く……」
「今度はちゃんと自分の判断も書いてるね」
「はい! フィナ師匠の教えを、自分の魔法として使えるようになりたいです!」
「私が教えた部分、どこだったっけ!?」
「また見失ったの?」
エルナは呆れた声を出したものの、リリカの手帳を覗く目は柔らかかった。
「でも、さっきの分身体の見分け方は悪くなかったわ。敵が増えたからって慌てず、一体ずつ処理できてた」
「ありがとうございます、副師匠!」
「副師匠は認めてない!」
「昨日、一度認めました」
「あれは崩落中で訂正する暇がなかっただけ!」
「緊急時に本音が出たのですね」
「違うわよ!」
リリカが嬉しそうに書き足し、エルナが慌てて手帳を取り上げようとする。
そのやり取りを見ながら、フィナは笑った。だが、胸の奥には、侵入者から告げられた言葉が小さな棘のように残っている。
完全な原初魔法適合者。
自分でも知らない力の名前を、敵は知っていた。しかも、ずっと以前からフィナの存在を探していたらしい。
フィナの指が、眠るネムの髪を撫でる途中で止まった。
「ねえ、みんな」
普段より少し小さな声に、四人の視線が集まる。
「私の魔法って、本当に何なんだろう?」
笑って誤魔化そうとしたが、頬がうまく上がらなかった。
「原初魔法って呼ばれてたけど、私は初級魔法を使ってるつもりだったし……。知らないうちに、みんなを危ないことへ巻き込んでるのかなって」
侵入者はフィナの反応を集めるため、学院へ入り込んだ。
黒い結晶も古代施設も、自分の魔法へ反応した。今後も同じことが起きるなら、そばにいる四人が狙われる可能性もある。
「一人で考えても分からなかったから、ちゃんと聞いてみようと思って」
フィナは膝の上で手を重ね、四人の顔を順番に見た。
「私と一緒にいるの、怖くない?」
短い沈黙が落ちる。
最初に口を開いたのはレオンだった。
「魔法の正体が何であれ、俺の役割は変わらない」
記録札を重ね、疲れた目でフィナを真っ直ぐ見る。
「お前が何を考え、どんな現象を起こしたのかを記録する。危険なら止める。止められなければ被害を減らす。名前が原初魔法になったところで、仕事が一つ増えるだけだ」
「一つで済むの?」
「希望的観測だ」
「正直だね!?」
「今後の被害を考えると、嘘はつけない」
フィナが少しだけ笑うと、膝の上でネムが目を開けた。
「フィナの魔力は、フィナのもの」
「原初魔法って呼ばれても?」
「呼び方が増えただけ。うるさいけど、フィナはフィナ」
「最後に少し悪口が混ざってない!?」
「事実」
ネムはそれだけ答えると、再びフィナの膝へ頬を沈めた。
リリカは手帳を胸へ抱き、迷うことなく身を乗り出す。
「原初魔法でも初級魔法でも、フィナ師匠はフィナ師匠です!」
「そこは変わらないんだ」
「当然です! むしろ《原初の一番弟子》という新しい肩書きが――」
「増やさなくていいよ!?」
「ですが、歴史的な響きが!」
「敵が付けた名前を弟子制度へ取り込むな!」
レオンが即座に止める横で、エルナはしばらく黙っていた。
やがて立ち上がると、フィナの前まで歩いてくる。強気な表情の奥には、心配を隠しきれない揺れがあった。
「一人で勝手に深刻にならないでよ」
「エルナ?」
「分からないなら、一緒に調べればいいでしょ。敵が何か知ってるなら捕まえて聞く。古代施設が反応するなら学院で調べる。危険が来たら、五人で対処する」
エルナはフィナの額を指先で軽く押した。
「一人で何でもできるからって、一人で悩む必要はないのよ」
「でも、みんなを巻き込むかもしれないよ?」
「もう巻き込まれてるわよ!」
エルナの声が休憩室へ響く。
「迷宮に行って、崩落に巻き込まれて、侵入者を追って、神話級魔法まで見たの! 今さら入口で悩んでるみたいな顔しないで!」
「入口どころか地下だったね」
「場所の話をしてるんじゃない!」
「エルナ、元気になった」
「怒鳴れるくらいにはね!」
フィナは額を押されたまま、ゆっくり笑った。
作った笑顔ではないことを確認するように、ネムの指が膝の上で一度だけ動く。
その日の午後、学院と冒険者ギルドから五人へ正式な通知が届いた。
迷宮調査、崩落対応、侵入者捕縛、黒い結晶と記録媒体の確保。それぞれの役割と実績が評価され、五人は学院とギルドの共同管理下に置かれる特別実習班として認められた。
「ほら、五人の名前が並んでるよ」
フィナが書類を広げる。
「フィナ・アウセリア、レオン・アルヴェイン、ネム・クォーツ、リリカ・フェルメル、エルナ・ヴァレンティア」
「私は正式に加入したつもりはないわよ」
エルナが書類を見て口にする。
「署名もある」
ネムが書類の下部を指さす。
「これは手続き上必要だっただけ!」
「班員欄の横へ《継続参加を希望する》って書いてあるよ?」
フィナに指摘され、エルナの目が泳ぎ出す。
「学院側の質問が誘導的だったの!」
「どんな質問だったんだ?」
レオンが追い討ちをかけるように質問すると、
「《今後も本班へ参加しますか》よ!」
「直球だな」
「どこが誘導なの!?」
フィナとレオンの声が重なり、エルナは書類を奪おうと手を伸ばした。
リリカが素早く書類を抱えて後退し、ネムは巻き込まれないようフィナの背中へ隠れる。
「証拠を消そうとしています!」
「消さないわよ! 文章を確認するだけ!」
「さっき確認したでしょ?」
ジリジリと近づくエルナに、フィナが両手を広げて止める。
「もう一回よ!」
「二回目から裏だった」
両手を広げるフィナの後ろから、ネムが隠れたまま、言葉にする。
「それはレオンの話でしょ!」
騒ぎが落ち着いた後、フィナは改めて四人を見渡した。
断られるはずがないと思いたかった。それでも、自分の意思として言葉にする瞬間、胸の奥が少しだけ狭くなる。
「——私、これからも五人で活動したい」
声にすると、不安よりも願いの方が大きくなった。
「原初魔法のことも調べたいし、冒険者の依頼も受けたい。学院の授業も、迷宮も、みんなと一緒に行きたい」
レオンは長く息を吐き、記録板を閉じた。
「後始末が増える未来しか見えないな」
「嫌?」
「嫌なら、最初から記録係を引き受けていない」
ネムはフィナの袖を握る。
「フィナの近くなら、どこでもいい。寝られるから」
「活動理由が睡眠なんだ!?」
「重要」
「一番弟子として当然です!」
リリカは両手を上げて喜び、その勢いで手帳を落とした。
拾おうとして机へ額をぶつけ、痛みに耐えながらも笑顔だけは崩さない。
「弟子の道は険しいです……!」
「今のは修行じゃなくて不注意だよ!?」
「痛みからも学びを得るのですね!」
「机が師匠になり始めたぞ」
レオンがそう言うと、最後に、全員の視線がエルナへ向いた。
エルナは腕を組み、しばらく顔をそらしていたが、逃げ切れないと悟ったようにフィナへ向き直る。
「私は、あんたに勝つまで離れないわよ」
「やっぱり一緒にいてくれるんだ」
「ライバルとして監視するだけ!」
「班員として?」
「ライバルとして!」
「友達として?」
「話を増やさないで!」
正式な特別実習班の成立を祝い、その夜は学院食堂で小さな歓迎会が開かれた。
長机には煮込み料理、焼き肉、魚料理、パン、スープ、果実菓子が並ぶ。しかし準備に時間がかかり、料理の一部は少し冷めていた。
「温めようか?」
「待て。何をするつもりだ」
「小さい火で、ちょうどよくするだけだよ」
「範囲は?」
「料理」
「どの料理だ」
「全部?」
「確認して正解だった!」
レオンが止める前に、フィナは指先へ小さな炎を灯した。
炎は食堂内へ広がらず、各皿の下へ一瞬だけ現れる。
冷めたスープは飲みやすい温度へ戻り、焼き肉は脂が最も香る熱さになった。魚料理は身を乾燥させず、パンは外側だけが温まり、果実菓子は溶けないよう常温のまま保たれている。
食堂中の料理が、一皿ごとに最適な温度へ調整されていた。
「美味しい!」
「スープがちょうどいい!」
「パンまで焼きたてみたいだぞ!」
生徒たちと料理人から歓声が上がる。
その中心で、レオンとエルナだけが料理を見比べ、同時に頭を抱えていた。
「料理ごとに水分量と熱伝導率を識別している……」
「同じ皿の中でも肉と野菜で温度を変えてるじゃない……」
「美味しくしただけだよ!?」
「その一言で済ませるな!」
「食堂全体へ精密温度管理をかけないでよ!」
「でも、みんな喜んでるよ?」
二人は周囲を見た。
生徒たちは嬉しそうに料理を食べ、料理人たちはフィナへ次回も頼めないか相談している。正論を続ける場所を失ったレオンとエルナは、何とも言えない表情で同時に椅子へ沈んだ。
「ツッコミ、敗北」
ネムは温かくなったスープを両手で持ち、眠そうに一口飲んだ。
「おいしい。寝られる」
「飲みながら寝ないで!」
エルナが反射的にネムの背中を支える。
リリカはその光景まで含め、語録帳へ夢中で書き込んでいた。
「《料理にも心を配る師匠の魔法。仲間の身体と食卓を温める》……!」
「今回は少し綺麗にまとまったね」
「待て。後半に何か加える気だろう」
「《副師匠は眠る仲間を支える》」
「私まで語録へ入れないで!」
賑やかな声と笑いが、夜の食堂へ広がっていく。
その頃、遠く離れた暗い部屋では、黒い紋章を刻んだ記録板へ新たな文字が浮かんでいた。
完全な原初魔法適合者を確認。
報告を受けた何者かは返答を残さず、記録だけを深い闇の奥へ送った。組織の名も、集う者たちの全貌も、まだ表へ現れることはない。
原初魔法という未知の名前も、黒い紋章を持つ者たちの目的も分からないままだった。
それでもフィナは、もう一人で考え込まない。
レオンは次の依頼に必要な記録用具を確認し、ネムはフィナの肩を次の昼寝場所に決め、リリカは新しい語録帳を準備する。エルナは正式加入を否定しながら、誰より先に五人分の携行品を点検していた。
こうしてフィナ、レオン、ネム、リリカ、エルナの五人は、正式な特別実習班として次の依頼へ向かう準備を始めた。




