第一章 23 『五人で捕まえます』
古代施設の奥で開いた転移術式へ、黒い外套の侵入者が後退する。
周囲には七十六体の古代魔導兵が宙づりにされ、フィナの風によって身動きを封じられていた。侵入者は戦う姿勢を見せず、外套の内側へ収めた記録板だけを庇っている。
「目的の反応は得た。ここで君と争う理由はない」
「でも、結晶を盗んだよね?」
「必要だった」
「返したら、少し話を聞くだけで済むかも」
「犯罪者へ近所のお菓子屋みたいな交渉をするな」
フィナの隣で、レオンは転移術式と侵入者の足元を同時に観察していた。
フィナなら、侵入者を一撃で倒せる。しかし、倒し方を誤れば記録板や黒い結晶まで失われる可能性がある。何より相手は、原初魔法という未知の言葉を知っていた。
「フィナ、倒すな。生きたまま捕らえる」
「うん。じゃあ、動けなくするね」
「待て。何をどう動けなくするつもりだ」
「全部?」
「確認して正解だった!」
「侵入者だけに決まってるでしょ!」
レオンとエルナが左右から声を重ねる。
フィナは両手を胸元へ引き寄せ、少し困ったように侵入者を見た。
「でも、私が捕まえようとしたら、記録板ごと潰しちゃうかもしれないよ?」
「自分の加減へ不安を持てるようになった点は成長だ」
「褒めてるように聞こえない!?」
「実際、半分しか褒めていない」
「残り半分、何?」
「恐怖」
ネムが淡々と補った。
侵入者はその会話を聞きながら、転移術式へ片足を踏み入れた。足元の黒い光が強まり、外套の輪郭が薄れ始める。
「作戦どおりに動くぞ」
レオンが短く告げる。
五人は地下へ来る途中で、転移術式を使う侵入者を捕らえる方法を組み立てていた。
フィナが圧倒的な力を見せれば、敵は正面から戦わず逃げる。そのとき、あえて逃走可能な経路を一つだけ残し、そこへ誘い込む。
「フィナ、右側の兵だけ下ろせ!」
「右って、私から見て?」
「全員から同じだ!」
「向かい合ったら逆になるよ?」
「今は向かい合ってないでしょ!」
エルナが怒鳴る間にも、フィナは指定された十二体の魔導兵だけを床へ下ろした。
風の拘束が緩んだ兵たちは、侵入者を守るように一列へ並ぶ。施設の左側と天井側は依然として塞がれ、唯一空いた右通路だけが奥へ続いていた。
侵入者は一瞬、フィナの制御が乱れたと判断した。
転移術式は起動までに僅かな時間が必要になる。この場で待つより、魔導兵を盾に右通路へ走り、次の接続地点で転移した方が確実だ。
黒い光を消し、侵入者が駆け出す。
「逃げた!」
「予定どおりだ。追うぞ!」
リリカが驚いた声を上げた直後、レオンが先頭へ出る。
侵入者は右通路へ入り、三つの黒い影を分離した。四人へ増えた姿が別々の速度で走り、記録板の反応まで複製される。
「分身体です!」
「慌てないで。昨日と同じよ!」
エルナの声を受け、リリカは杖先へ小さな火球を四つ灯した。
大きくしない。全部を一度に吹き飛ばさない。分身体の足元へ伸びる黒い影と、床を踏んだときの僅かな揺れを順番に見る。
一体目へ火球を当てる。
影が焼き切れ、偽物が煙へ変わった。
二体目も、三体目も同じだった。
「残った一体が本体です!」
「正解よ!」
エルナは侵入者が次に踏み込む床を見据え、杖を振り上げた。
「——雷光演算〈ルクシヴェリア〉!」
細い雷光が通路の壁と床を走り、侵入者の重心、足の向き、視線、魔力の収束を読み取る。
正面にはレオン。後方からはフィナたち。侵入者が避けられるのは、左の壁際か右側の柱の陰だけだった。
「右へ行く!」
エルナの宣言と同時に、雷が右側の床へ落ちる。
侵入者は予測を外そうと左へ身体を傾けたが、そこにはレオンの結界が既に張られていた。進路を変え、結局は右の柱へ追い込まれる。
「選択肢を残したように見せて、最初から一つしかなかったというわけか」
「気づくのが遅いのよ!」
侵入者は柱へ手を触れ、新たな転移術式を起動した。
黒い円環が足元へ広がる。
「ネム!」
「転移だけ、静かにする」
ネムが片手を握る。
侵入者の外套も呼吸も止まらない。周囲の魔力も流れたままだった。
ただし、転移術式の中心だけが完全に静止している。
光は灯っているのに回転せず、空間を繋ぐはずの線が次の段階へ進まない。侵入者が魔力を注ぎ足しても、術式は眠ったように沈黙していた。
「何をした?」
「うるさい部分だけ、寝かせた」
「説明がフィナに近づいているぞ」
「ネム、成長」
「そっちへ成長するな!」
レオンは侵入者の動きが止まった隙に、外套の胸元へ測定札を投げた。
札から伸びた光が、黒い結晶と記録板、それぞれに接続された術式を浮かび上がらせる。
「記録板は左胸。転移術式の核は腰の留め具だ!」
「壊していいのは?」
「転移核だけだ! 記録板と結晶には触れるな!」
「今回は具体的で助かるよ」
「俺も学習している!」
フィナが指を動かすより早く、侵入者は腰の転移核を自ら引きちぎった。
黒い留め具が床へ落ち、内部の魔力が暴走する。逃走用の術式を失う代わりに、侵入者の胸元に刻まれた黒い紋章が施設全体へ光を伸ばした。
「ならば、記録を守るための最後の手段を使う」
低い声から、それまでの余裕が消える。
施設の壁、床、天井に、何千もの赤黒い術式線が浮かび上がった。線は地下だけに留まらず、学院本棟、訓練場、寮、外周結界へ向けて広がっていく。
地上全体を包むほど巨大な魔法陣が、学院の地下から組み上がり始めた。
「学院全域へ術式が伸びている!」
レオンの顔色が変わる。
「起動すれば、外周結界と施設防衛が同時に反転する。生徒たちが内側へ閉じ込められるぞ!」
「これは神話級魔法だ」
侵入者は両腕を広げ、黒い術式の中心へ立った。
「数年を費やし、学院の古代基盤へ刻み続けた術式。今さら一人の魔法使いに止められるものではない」
「数年もかけたの!?」
フィナは天井へ広がる線を見上げ、素直に感心した。
「すごいね。こんなにいっぱい書くの、大変だったでしょ」
「感想を述べている場合か!」
「敵の努力を称えないでよ!」
「でも、これなら火球で消せそう」
全員の動きが止まった。
侵入者さえ、何を言われたのか理解できないように沈黙する。
「……聞こえなかったのか。これは神話級魔法だ」
「うん。でも、火で書いてあるみたいだったから」
「魔法陣を文字みたいに扱うな!」
「術式を絵みたいに消そうとしないで!」
レオンとエルナが同時に叫んだ。
二人は互いの声へ一瞬だけ顔を向けたものの、今度は争わず、真顔で同時にフィナへ向き直った。
「ただし、できるなら今すぐやれ!」
「早く消しなさい!」
「さっき止めたのに!?」
「状況が変わった!」
「ツッコミ、方針転換」
ネムの評価に構っている余裕はなかった。
フィナは掌の上へ、普通の火球を一つ作る。
拳より小さく、熱も光も初級火魔法の範囲にしか見えない。フィナが軽く押し出すと、火球は侵入者ではなく、床へ伸びた最初の術式線へ触れた。
赤黒い線だけが燃えた。
炎は壁を焦がさず、床を傷つけず、古代施設の装置にも触れない。術式線を伝って枝分かれし、学院全体へ広がりかけていた魔法陣だけを追い続ける。
一つ、十、百、千。
数年かけて刻まれた線が、紙へ描いた文字を消すように焼き尽くされていく。
やがて最後の円環が消え、施設へ静寂が戻った。
侵入者は両腕を広げた姿勢のまま固まっていた。
「……数年、だぞ……」
「うん。大変だったね」
「数年かけた神話級術式だぞ!?」
「でも、火で書いてあったから」
「書いていない!」
侵入者が初めて声を荒らげた。
「術式だ! 世界最高位の構造式だ! 筆跡でも落書きでもない!」
「敵が魔法理論への尊厳を取り戻そうとしてるわよ!」
「そこだけは俺も同意する!」
「レオン、敵側!?」
「術式を落書き扱いする点に限ればな!」
その横で、リリカが目を輝かせて語録帳を開いていた。
「《術式は火球で消せる》――」
「書くな!」
「書かないで!」
「駄目!」
レオン、エルナ、フィナの三人が同時に手帳へ手を伸ばした。
リリカは三方向から押さえられ、筆だけを空中で止める。
「ですが、実際に消えました!」
「条件を全部省くな!」
「今後、火球で魔法陣へ突撃する気でしょ!」
「私も毎回できるか分からないから、真似しないで!?」
「師匠の真似は禁止……以前の教えへ繋がりました!」
「別の語録が強化された!?」
戦意を失った侵入者へ、エルナの雷が絡みつく。
ネムが残った転移術式を静止し、リリカは再び生まれた二体の分身体を小さな火球で消した。レオンが記録板と黒い結晶を結界で切り離し、最後にフィナの風が侵入者の両腕と両脚だけを床へ固定する。
誰一人欠けても、記録も結晶も確保できなかった。
「捕まえられたね」
「お前一人なら、施設ごと吹き飛ばして終わっていた可能性がある」
レオンの言葉にフィナは頬を膨らませながら、
「そこまでしないよ!」
「宝箱の中身まで元へ戻した人の自己評価は信用できないわ」
エルナが肩を竦めながらレオンの言葉に補足する。
「今回は、みんながいたからちゃんとできたよ」
フィナが笑うと、エルナは少しだけ目を見開いた。
すぐに顔をそらしたものの、口元には勝負に勝ったときとは違う、柔らかな笑みが残っていた。
侵入者を拘束し、五人が記録板と黒い結晶を確認していると、施設の最奥で淡い光が灯った。
黒い術式が消えたことで、隠されていた壁面が露出している。
そこには現代の魔法文字とも古代文字とも異なる、複雑な記号が並んでいた。レオンの測定札にも、エルナの雷光演算〈ルクシヴェリア〉にも反応しない。
しかし、フィナが視線を向けた瞬間だけ、未知の文字列が金色に輝き始めた。




