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全魔法が使える私、初級魔法しか使いません  作者: 谷元 黒
第一章 初級魔法の転校生
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第一章 21 『迷宮を直して帰ります』



 黒い結晶から伸びた魔力線が迷宮核へ食い込んだ瞬間、最下層の広間が大きく傾いた。


 壁へ埋め込まれた金属板が次々と砕け、天井から拳ほどの石片が降り注ぐ。地上へ続く通路の奥では、上位冒険者と実習生たちが教員の指示に従い、一斉に出口へ向かっていた。


「全員、壁際から離れろ!」


 レオンが広間の中央へ結界を展開する。


 落下した石材が透明な膜へ激突し、鈍い音を立てて左右へ転がった。しかし、亀裂は天井だけでなく床や壁にも広がり、結界で防げる範囲を越え始めている。


「帰還通路が三か所で崩れてるわ!」


 エルナは広間の入口へ雷光を走らせ、倒れかけた支柱の位置を確認した。


「上の人たちは!?」


「既に二層まで退避している。だが、俺たちは最下層だ。黒い結晶を放置して走れば、迷宮核の崩壊が先に来る!」


「つまり、逃げる前にどうにかするのね!」


「理解が速くて助かる!」


「褒めるなら後にして! 今は全然嬉しくないから!」


 迷宮核の周囲から黒い魔力が噴き出し、先ほど倒した魔物たちの身体へまとわりつく。


 気絶していた迷宮主が再び腕を動かし、通路の奥からも複数の魔物が押し寄せてきた。迷宮の崩壊に追い立てられ、敵味方を見分ける余裕もなく暴れている。


「ネム、崩落を止められるか!」


「全部は無理。少しだけ、静かにする」


 ネムはフィナの袖を離し、両手を広げた。


 広間から音が消える。


 落下していた石材が空中で鈍り、広がっていた亀裂も一時的に進行を止めた。完全な停止ではなく、崩壊という巨大な動きへ無理やり眠気を押しつけているような状態だった。


 ネムの膝が震え、額へ汗が浮かぶ。


「重い。迷宮、うるさい」


「長く保たせなくていい。十秒でいい!」


「十五秒、頑張る」


「無理に増やすな!」


「褒められたい」


「今それを申告するの!?」


 エルナが叫びながらも、片手でネムの背中を支えた。


「分かったから倒れないで! 終わったら甘い物でも何でもあげるわよ!」


「果実菓子、三個」


「交渉まで始めた!?」


「四個なら、十六秒」


「崩落を菓子の個数で競り上げないで!」


 その間に、リリカが広間の入口へ立った。


 押し寄せる小型魔物は六体。背後には崩壊を止めているネムがいるため、一歩も通すわけにはいかない。


「私が足止めします!」


「全部倒そうとしなくていいわ! 通路の中央だけ塞ぎなさい!」


「はい、副師匠!」


「今は訂正してる暇がないから、それでいい!」


 リリカは驚いたように振り返った。


「ついに認めてくださったのですね!」


「そこだけ拾わないで! 前を見なさい!」


 放たれた小さな火球が床へ並び、魔物たちの進路を限定する。炎を避けて壁際へ寄った個体を、エルナの雷が正確に撃ち抜いた。


「——雷縛穿〈ヴェルシオン〉!」


 細い雷光が魔物の脚だけへ絡みつき、動きを止める。


 リリカは火力を上げず、火球の位置を変えながら敵を中央へ戻した。先ほどの失敗を繰り返さず、自分が制御できる範囲でエルナの雷へ繋いでいる。


「リリカ、そのまま維持! 上手くできてるわ!」


「はい!」


 明るく返したリリカの表情には、恐怖よりも自信が浮かんでいた。


 レオンは黒い結晶と迷宮核の間へ測定札を挟み、魔力線の構造を追っていた。黒い線は核へ力を流し込んでいるのではなく、迷宮全体の構造を狂わせる命令を送り続けている。


「結晶を引き抜くだけでは駄目だ! 接続が切れた瞬間、核に残った異常が一気に広がる!」


「じゃあ、先に迷宮を元気にすればいい?」


「そんな病人みたいな扱いで――」


 レオンは言いかけて、フィナを見た。


 彼女は崩れていく壁や通路、空中で止まりかけている石材を順番に見回している。迷宮の形を確かめるように、ゆっくりと両手を広げた。


「フィナ、何をする気だ」


「壊れたところを元に戻すよ」


「広間だけか?」


「迷宮全部」


「範囲を確認してから使え!」


「今、確認したよ?」


「俺が確認したかったんだ!」


 レオンの制止より先に、フィナの魔力が床へ染み込んだ。


「みんな、——元の場所に戻って」


 初級土魔法が迷宮全体へ広がる。


 派手な光も轟音もなかった。


 空中で鈍っていた石材が落下をやめ、それぞれが剥がれた天井へ戻っていく。亀裂は端から順に閉じ、折れた支柱は破片を集めながら元の形へ繋がった。


 崩落した通路が持ち上がり、ずれていた階層が正しい位置へ戻る。


 壁に埋め込まれた金属板は砕ける前の並びへ復元され、床を走る魔力溝も途切れなく繋がった。迷宮核の揺れは収まり、黒い結晶から伸びていた線だけが異物として浮き上がる。


 ネムが力を抜いた瞬間、エルナの腕へ倒れ込んだ。


「終わった?」


「ああ。お前が止めていた間に、全部戻った」


 レオンが答えると、ネムは安心したのか欠伸をしながら、


「果実菓子、四個」


「十六秒じゃなかったでしょ!」


 腕に収まるネムに思わずエルナが口を開く。


「先払いではないから、減らさない」


「妙なところで契約に厳しいわね!」


 フィナの魔法は、通路や壁だけでは終わらなかった。


 崩れて散らばった魔物の巣が、藁一本まで元の位置へ戻る。戦闘で移動していた岩や罠も復元され、解除済みだった罠だけは安全な状態を保ったまま、元のくぼみへ収まった。


 さらに上層では、開けられていた宝箱の蓋が一斉に閉じた。


 避難中の冒険者たちが持っていた回復薬や鉱石、古い硬貨が、袋の中から光となって消える。次の瞬間、それらは元の宝箱の中へ整然と並び直していた。


 地上へ続く通路で、複数の悲鳴が上がる。


「俺の回復薬が消えた!」


「さっき拾った鉱石もないぞ!」


「宝箱が復活してる! 中身まで戻ってる!」


 最下層まで届いた声に、フィナは安心したように胸を撫で下ろした。


「よかった。宝箱も壊れてなかったみたい」


「よくない!」


 レオンとエルナが同時に振り返った。


「既に回収した物まで戻したのか!」


「冒険者の荷物から勝手に返却しないでよ!」


「だって、元に戻すなら中身も一緒かなって」


「修復範囲を確認してから使えと言っただろう!」


「確認したよ。迷宮全部って」


「対象範囲だけでなく、復元条件を確認しろ!」


「細かいなぁ……」


「迷宮一つ修復しておいて、俺の指摘を細かいで済ませるな!」


 エルナは何か言おうと口を開いたが、怒るべき点が多すぎたらしい。


 宝箱、冒険者の荷物、魔物の巣、迷宮そのもの。順番に指を立てた後、どこから始めるか決められず、そのまま両手で顔を覆った。


「取り直せばいい」


 ネムがエルナの腕へ抱かれたまま、簡潔にまとめた。


「採取依頼じゃないのよ! 迷宮の宝箱は早い者勝ちなの!」


「場所、分かってる」


「そういう問題でも……いえ、半分くらいはそういう問題だけど!」


 エルナの言葉を聞いたレオンは、


「エルナ、説明を諦めるまでがさらに速くなったな」


「今はあんたも同じ顔してるでしょ!」


 黒い結晶と迷宮核の接続は、修復された構造から押し出されるように切断された。


 レオンが多重結界で結晶を包み、フィナが触れないよう注意しながら回収する。迷宮主や他の魔物たちも正常な魔力へ戻り、エルナとリリカが拘束状態を確認した。


 五人は役割を崩さず、上層の冒険者や実習生たちと合流した。


 通路は完全に修復され、出口までの安全も確保されている。回収品を戻された冒険者たちだけは複雑な表情を浮かべていたが、ネムの提案どおり宝箱へ引き返す者も現れた。


 地上へ戻った五人は、黒い結晶を学院の研究保管庫へ運んだ。


 レオンが解析記録を提出し、ネムは異常な静けさについて報告する。リリカとエルナの足止め、フィナによる迷宮全体の固定と修復も正式な功績として評価された。


 その夜、学院の研究保管庫で警報が鳴った。


 多重結界は破壊されていなかった。扉の鍵も閉じたまま、監視術式にも侵入者の姿は残っていない。


 それでも、保管台から黒い結晶だけが消えていた。


 床には森で見つけたものと同じ黒い魔力痕が細く残り、学院本棟の奥を通って、立入制限区域である地下へ続いていた。




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