第一章 18 『迷宮の最短経路』
王都近郊に現れた小規模迷宮の前で、フィナは学院から渡された実習書類を覗き込んでいた。
班員の欄には、フィナ、レオン、ネム、リリカ、エルナの五人の名前が並んでいる。引率教員は入口周辺で待機し、内部の探索と記録は五人で行う形式だった。
「エルナも正式に同じ班なんだね」
「書類に名前があるだけで、正式加入したつもりはないわよ。黒い魔力痕を調べるために、今回だけ協力するんだから」
「でも、班員って書いてあるよ?」
「学院側が勝手に書いたの!」
「署名もある」
ネムが書類の下へ指を置いた。
そこには、エルナ自身の整った署名が残っている。エルナは一瞬だけ固まり、すぐに顔をそらした。
「実習へ参加するには必要だったのよ!」
「もう班員の顔です!」
「リリカまで勝手に決めないで!」
迷宮の入口は、岩壁へ斜めに開いた暗い亀裂だった。
内部へ十歩ほど進むと人工的に整えられた石造りの通路へ変わり、壁には古い照明石が等間隔で埋め込まれている。レオンは入口脇へ記録札を固定し、持参した地図を広げた。
「確認する。この迷宮は三層構造と推定されている。迷宮核は最下層中央にあり、通路と魔物の発生を維持しているが、現在の活動は弱い」
「迷宮核を壊せば終わるの?」
「壊すな。迷宮全体が崩れる可能性がある」
「まだ何もしてないよ!?」
「質問の直後に手を握っただろう」
「持って帰れる大きさかなって思っただけだよ」
「壊すより悪化している!」
レオンは地図上の赤い印を指でなぞった。
「罠は主に分岐と扉の前だ。踏圧式、魔力感知式、術式反応式が確認されている。ネムが先に反応を探り、俺が構造を解析して解除する。勝手に前へ出るな」
「リリカは?」
「小型魔物が現れた場合、無理のない範囲で実戦を担当する。エルナは補助と撃ち漏らしの制圧。フィナは――」
「一番下は、あっちだよ」
フィナが地図とは反対側の壁を指さした。
全員の視線が集まる。
「迷宮の魔力が、奥で渦みたいに集まってるの。出口は後ろで、最下層はこの壁の向こうを下へ行ったところかな」
「お前、迷宮全体を探知できるのか?」
「できるっていうか、今分かったよ」
「探索魔法まで使えるなら先に言え!」
「今分かったから、今言ったんだよ!」
「その返答で安心できる要素が一つもないわよ!」
エルナも腰へ手を当て、レオンと並んでフィナを睨んだ。
フィナは困ったように壁を見た後、指先で空中へ短い線を描く。
「でも、出口まで直接行けそうだよ」
「壁を壊すな!」
「絶対に壊さないでよ!」
「まだ壊すって言ってないよ!?」
レオンとエルナが同時に前へ出たため、フィナは驚いて両手を上げた。
「壁の向こうへ空間を繋げたら、直接移動できそうって話だよ」
「どちらにしても先に言え!」
「迷宮の内部で、行き先も確認せずに空間転移しようとしないで!」
「壁を壊すより安全かなって」
「比較対象が悪い!」
「息、合ってる」
ネムの評価に、エルナが即座に振り返る。
「合ってないわよ!」
「今の否定も速かったです!」
「リリカは感心しなくていい!」
結局、学院の実習である以上、確認済みの経路を順番に進むことになった。
先頭はネム、その半歩後ろをレオンが歩く。中央にリリカとフィナ、最後尾をエルナが守り、狭い通路では全員が二歩以上離れないよう進んだ。
「右の壁、眠ってる罠。床に二つ。前に魔物、三」
ネムは足を止め、床の石板と壁の継ぎ目を順番に指した。
レオンが膝をつき、淡い光の線で術式を浮かび上がらせる。踏圧と魔力感知が二重に組まれた罠だったが、供給線を分離し、解除した部分を簡易結界で固定した。
「解除完了。中央の白い石だけを踏め」
「すごいね、レオン。罠が寝たみたい」
「止めただけだ。勝手に起こすなよ」
「ネムの仲間」
「罠と一緒にするな」
次の曲がり角から、犬ほどの大きさをした三体の小型魔物が飛び出した。
リリカは驚いて一歩下がったが、すぐに杖を両手で構え直す。通路は横に三人並べる幅しかなく、後ろには解除した罠があるため、大きく退くことはできなかった。
「リリカ、最初の一体だけ見て。全部を追わなくていいよ」
「魔力流量を一定に! 発動後も供給を切らないで!」
フィナの感覚的な助言へ、最後尾からエルナの理論が重なる。
リリカは頷き、正面の一体へ初級火球を放った。炎は途中で消えず、魔物の前脚近くへ着弾して進路を逸らす。
二体目が壁を蹴って頭上を越えようとした瞬間、細い雷が通路を斜めに走った。
「——雷縛穿〈ヴェルシオン〉!」
雷は魔物だけを貫かずに絡め取り、筋肉の動きを一時的に止める。最後の一体も同じ雷光に足を取られ、床へ転がった。
「今の、すごく正確だった!」
「当然でしょ。狭い通路で余計な場所へ当てるほど未熟じゃないわ」
エルナは胸を張ったが、フィナに褒められた直後から髪先を指でいじっていた。
「エルナ先輩の理論と援護で、私の火が届きました!」
「その前に、あんた自身が最後まで魔力を維持したからよ。そこは自分の成果として覚えなさい」
「はい、副師匠!」
「だから副師匠じゃない!」
その後も、五人は役割を崩さず迷宮を進んだ。
ネムが魔物と罠の位置を探り、レオンが解除と地図の補正を行う。リリカは小型魔物への初撃を担当し、逃れた個体はエルナの雷が正確に止めた。
二層へ降りたところで、石鎧をまとった大型魔物が通路を塞いだ。
肩が左右の壁へ触れるほど大きく、突進されれば後方のリリカたちまで巻き込まれる。レオンが防壁を前方へ展開し、ネムが魔物の脚の動きを一瞬だけ静めた。
「フィナ、装甲だけだ。本体と壁には当てるな!」
「分かった。ちょっと崩れて」
フィナが掌を向けると、初級土魔法が石鎧の継ぎ目だけへ入り込んだ。
鎧は細かな立方体へほどけ、魔物の身体を傷つけずに床へ整然と積み上がる。装甲を失った魔物は、エルナの雷撃を受けてその場へ崩れ落ちた。
「今のどこが『ちょっと崩れて』なのよ!」
「鎧だけ、少しずつ崩したよ?」
「少しずつを同時にやった結果、全部なくなってるじゃない!」
「でも、片づけやすい形だぞ」
レオンは積み上がった石片を見て、悔しそうに補足した。
「そこで実用性を認めないでよ!」
三層の最奥へ到着すると、地図に記された迷宮核の部屋が見つかった。
核に異常はなく、周囲にも黒い魔力反応はない。調査が空振りに終わったかと思われたとき、ネムが部屋の左奥へ歩いていった。
「下に、静かなところがある」
「地図には何もないぞ」
壁際の床は、他と同じ灰色の石板に見えた。
レオンが測定札を近づけると、石の継ぎ目に沿って黒い光が浮かぶ。森で見つけた痕跡と同じ、流れようとしながら不自然に止まった魔力だった。
エルナが雷光演算〈ルクシヴェリア〉を展開し、床下の構造を読み取る。
「階段がある。かなり古いわ。でも、封印術式が重なっていて、地図の探索魔法から隠されてる」
「触れずに記録する。フィナ、近づくな」
「うん。ここで待ってるね」
フィナは素直に足を止めた。
だが、黒い魔力は彼女の存在を認識したように脈打った。床へ複雑な紋章が広がり、重なっていた封印術式が外側から順番に消えていく。
「また私!? 何もしてないよ!?」
「分かっている! 全員、下がれ!」
レオンが結界を張り、エルナがリリカを背後へ庇う。ネムは黒い魔力の動きを探りながら、フィナの袖を強く握った。
石床が音もなく左右へ分かれ、地下へ続く狭い階段が姿を現す。
下から吹き上がる冷たい空気には、迷宮核とは異なる古い魔力が混じっていた。黒い光は階段の縁だけを照らし、五人を奥へ招くように静止している。
レオンは記録札を確かめ、帰還経路へ目印を追加した。
地図に存在しない下層が黒い痕跡と関係するなら、ここで引き返すだけでは実習の目的を果たせない。五人は隊列を組み直し、未知の暗闇へ続く階段を慎重に降り始めた。




