第一章 14 『ライバルは一緒にお昼を食べる』
合同実技授業を終えたフィナは、食堂へ向かう途中で何度も後ろを振り返っていた。
少し離れた場所には、エルナが腕を組んで歩いている。近づきすぎず、別の廊下へ曲がることもなく、五歩ほどの距離を妙に正確に保っていた。
「エルナも一緒に食べようよ」
「だから、私はあんたたちと昼食を取るためについてきたんじゃないの。次の勝負に備えて、普段の行動を観察してるだけよ」
「お昼を食べながらでも観察できるね」
「できるけど、そういう話じゃないでしょ!」
勢いよく否定した直後、エルナの腹部から小さな音が鳴った。
全員の足が止まる。
エルナは表情を固め、自分の腹部を見下ろした。耳まで赤くなる一方で、フィナは何も聞かなかったような顔で食堂の扉を開ける。
「今日は何があるかな。私、お腹空いちゃった」
「……あんた、今の聞こえたでしょ」
「私のお腹も鳴りそうだったから、おあいこだよ」
「鳴ってないじゃない!」
「じゃあ、今から鳴らそうか?」
「自由に鳴らせるものじゃないわよ!」
レオンが無言で額を押さえ、ネムはフィナの袖を掴んだまま、エルナの腹部へ眠そうな視線を向けた。
「空腹、正直」
「ネム! そういうときは聞かなかったことにするの!」
「無理。大きかった」
「大きくない!」
食堂の中央に空いた卓を見つけ、五人は同じ場所へ腰を下ろした。
フィナは煮込み料理とパン、レオンは肉料理、ネムは温かいミルクと果実菓子、リリカは野菜入りの焼き料理を選んでいる。エルナは少し迷った末に、香草を挟んだ薄焼きパンを持ってきた。
「エルナ、それ美味しそうだね」
「べつに珍しいものじゃないわよ。学院へ来たばかりなら知らないでしょうけど、焼きたては外側が香ばしくて――」
得意げに説明しかけたエルナは、フィナが嬉しそうに聞いていることへ気づき、慌てて顔をそらした。
「な、何よ。食べたいなら半分くらい分けてもいいけど」
「本当? じゃあ、私の煮込みも少し食べる?」
「仕方ないから交換してあげるわ」
「素直に食べたいと言えばいいだろう」
「うるさいわね、レオン!」
互いの皿を少しずつ交換したところで、エルナの視線がフィナへ戻った。
「それより、さっきの勝負よ。あんた、本当に初級風魔法しか使ってないの?」
「うん。球をこっちへ運んで、雷には当たらないようにしただけだよ」
「だけで雷を包み込んで、私には風を一切触れさせなかったの?」
「服が乱れたら嫌かなって思って」
「模擬戦中に相手の身だしなみを気にしないでよ!」
「でも、髪が綺麗にまとまってたから、崩したらもったいないでしょ?」
「そ、そういうところを褒めなくていいの!」
エルナは髪先へ指を伸ばしかけ、途中で気づいて手を引っ込めた。
「初級魔法で十分なら、どうして上級や最高位魔法を学ばないのよ。あんたなら、術式さえ覚えれば何だって使えるでしょ?」
「名前が長いから」
「はあ!?」
「難しい名前を覚えて、長い術式を組んで、間違えないように使うより、火とか風って思う方が簡単かなって」
「魔法階級を名前の長さで選ぶな!」
「魔法階級を名前の長さで選ばないで!」
レオンとエルナの声が、ほとんど同時に食堂へ響いた。
二人は一瞬だけ顔を見合わせる。
「……今、同じことを言ったな」
「言ったけど、何よ」
「ツッコミ、二人」
ネムがミルクの杯を抱えたまま、淡々と評価した。
「負担が減るなら助かる」
「勝手に役割へ入れないで! 私はフィナの専属ツッコミじゃないわよ!」
「専属じゃなくて、ライバルだよね」
「そうよ!」
「ツッコミするライバル」
「ネムまで変な肩書きを付けないで!」
騒がしくなった卓で、リリカだけは真剣な顔で手帳を開いていた。
「高位魔法の本質は名称や形式ではなく、必要な現象を最短で成立させること……。フィナ師匠は初級魔法へ立ち返ることで、魔法の原点を示されているのですね!」
「そこまで考えてないよ。簡単な方が楽なだけ」
「努力を省いているように聞こえる言い方はやめなさいよ」
エルナの声から、わずかに明るさが消えた。
薄焼きパンを持つ指へ力が入り、視線が皿へ落ちる。最高位に近い魔法を扱うため、毎日何度も術式を書き、失敗を繰り返し、人に見られないところでも練習してきた。
初級だけで何でもできるフィナに「楽だから」と言われると、自分の積み重ねまで軽く扱われたように感じてしまう。
「エルナ?」
「別に。あんたには簡単なんでしょうね」
平気なふりをした声が、ほんの少しだけ硬かった。
フィナはすぐに言い返さず、先ほど見た雷魔法を思い出した。
十個の標的を一つの雷で順に貫き、余分な傷を残さなかった技術。あれは何度も練習した人の魔法だと感じていた。
「私、エルナの雷、好きだよ」
「……は?」
「すごく速いのに、次にどこへ行くか全部考えられてて、線みたいに綺麗だった。私には、ああいう格好いい使い方は思いつかなかったもん」
「何よ、急に……」
「簡単な魔法が好きなのは本当。でも、難しい魔法を使える人がすごくないって意味じゃないよ。エルナがたくさん練習したから、あんなに綺麗にできるんでしょ?」
エルナの頬が一気に赤くなった。
髪先を指でいじりながら、フィナとは反対の方向へ顔をそらす。
「な、何よ急に! そんなこと言ったって、何も出ないからね!」
「薄焼きパンはもうもらったよ?」
「そういう意味じゃない!」
「フィナ師匠の弟子になれば、エルナ先輩もさらに高みへ至れるのではないでしょうか!」
「ならないわよ!」
リリカの提案へ、エルナは椅子から立ち上がりかけるほどの勢いで否定した。
「私はライバル! 弟子じゃない! そもそも、あんたは何でもかんでも師弟関係にしすぎなのよ!」
「ですが、フィナ師匠の教えを学ぶ仲間なら、姉弟子でしょうか?」
「誰が姉弟子よ!」
「声、大きい。眠れない」
ネムはいつの間にかフィナの膝へ頭を載せ、昼寝の姿勢へ入っていた。
エルナは口を開いたまま固まり、それから慌てて声を落とす。
「こんなところで寝たら、食事ができないでしょ。せめて食べ終わってからにしなさい」
「果実菓子、あと一個」
「残ってるじゃない。ほら、起きて食べなさい」
「エルナ、取って」
「目の前でしょ!」
文句を言いながらも、エルナは果実菓子を小さく分け、ネムの口元へ運んだ。
ネムは目を閉じたまま食べ終え、満足そうにフィナの膝へ頬を寄せる。
「エルナ、世話上手だね」
「放っておいたら、この子が食べないからでしょ! べつに好きでやったわけじゃないわ」
「次、ミルク」
「自分で飲みなさい!」
昼食後、五人はリリカの基礎訓練を見るため、小訓練場へ移動した。
標的までの距離は十五歩。リリカは杖を構え、初級火魔法の威力を落とさず最後まで届かせる練習を始める。
「昨日みたいに、火をぎゅっとして、最後までぐーっと押してあげるんだよ」
「はい、フィナ師匠!」
「待ちなさい。その説明だと、魔力を過剰に圧縮する可能性があるわ」
エルナはリリカの杖先と足の位置を確認し、隣へ立った。
「発動時の魔力量を増やすんじゃない。術式へ流す量を一定に保つの。怖くなって途中で供給を止めないよう、最初に決めた流量を標的へ届くまで維持するのよ」
「なるほど!」
リリカの表情が明るくなる。
「フィナ師匠の『ぎゅっとして最後まで押す』という教えを、エルナ先輩が詳しく解説してくださったのですね!」
「違う! 私が一から理論的に説明したの!」
「でも、言ってることは似てるね」
「フィナは黙ってなさい!」
リリカは二人の助言を意識し、火球を放った。
炎は途中で弱まらず、標的の中央近くへ届いて小さな焦げ跡を残す。フィナが嬉しそうに拍手すると、リリカも杖を抱えて笑った。
「エルナ、ありがとう。私だけだと、うまく説明できなかったから助かったよ」
「べ、べつにあんたを助けたわけじゃないわ。リリカが変な覚え方をしたら危ないと思っただけよ」
「これからも一緒に教えてくれる?」
「それは……必要なときだけよ!」
「エルナ先輩、副師匠ですね!」
「違うって言ってるでしょ!」
訓練を終える頃、学院外で実地経験を積む方法が話題になった。
課外活動の選択肢を増やすには、学院の許可だけでなく、冒険者として登録しておくと便利らしい。レオンの提案で、四人はその日のうちに王都の冒険者ギルドを見に行くことになった。
「私は行かないわよ。今日は勝負の結果を整理して、次の訓練計画を立てるんだから」
「そっか。また明日ね、エルナ」
「ええ。また――じゃなくて、次は絶対に勝つから覚悟してなさい!」
学院の正門を出て、フィナたちは冒険者ギルドのある西通りへ向かった。
しばらく歩いたところで、レオンが後ろを振り返る。エルナは腕を組み、また五歩ほどの距離を保ってついてきていた。
「エルナ、お前の帰る方向は東ではなかったか?」
「……知ってるわよ」
「ギルドは西だよ?」
「分かってる!」
「じゃあ、一緒に来るんだね」
「違うわよ! あんたたちが登録で失敗しないか、少し確認するだけなんだから!」
帰る方向とは正反対だと気づきながらも、エルナの足は止まらなかった。
次は絶対に勝つと宣言した黒級主席は、自然な流れへ全力で言い訳を重ねながら、フィナたちと一緒に冒険者ギルドへの道を歩いていた。




