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全魔法が使える私、初級魔法しか使いません  作者: 谷元 黒
第四章 深層迷宮と眠れる大地
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第四章 36 『十二の円環』



 地殻竜が再び瞳を閉じてからも、最深層ではしばらく誰も大きな声を出さなかった。数百メートルに及ぶ巨体は大地へ伏せたまま、ゆっくりと呼吸を繰り返している。


 そのたびに背中へ積もった岩山がわずかに上下し、戦闘の余韻だけが静かな振動となって足元へ伝わってきた。


 フィナも地殻竜の額から戻ると、その場へ座り込みたくなるのを堪えながら仲間たちを見回した。


 ガレスは巨大剣へ片手を預け、カイルは痛めた左脚を伸ばして地面へ腰を下ろし、エルナも少し離れた岩へ背中を預けて荒い呼吸を整えている。


 リリカは杖を両手で支えながら立っていたが、小さな火を使い続けた反動で、顔には明らかな疲れが残っていた。


「まず動かないで。戦闘が終わったからって、怪我まで終わるわけじゃないから」


 セリアは自分の疲労を後回しにし、ガレスの肩から順番に状態を確認していった。カイルの左脚、レオンの右肩、リリカとエルナの魔力消耗まで確かめてから、最後に枕型魔導具を抱えて座っているネムの前へしゃがむ。


「ネムは?」


「……少し休む」


 いつもの眠そうな声だったが、自分からそう伝えたネムに、セリアは何も付け足さなかった。


「分かった。今日はもう長いのは使わないで。歩く時も、無理ならすぐ言って」


「……うん」


 その近くでは、ミアが地図と人数を交互に確認し、ガレスも一人ずつ顔を見ていた。担架の負傷者を含めて全員が揃っていることが分かると、ガレスはようやく巨大剣の柄から少し力を抜いた。


「欠けてねえな。全員いる」


 その言葉を聞いて、フィナはそこで初めて肩から力が抜けた。


 地殻竜を倒さずに止められたことも嬉しかったが、それ以上に、誰もいなくなっていないことが今は何より大きかった。


 少し休んだあと、レオンは一人で遠くへ行くことなく、フィナたちのすぐ近くで戦場跡を確認し始めた。


 視線の先にあるのは、地殻竜の攻撃で抉れた地面ではなく、先ほどフィナが「消えて」と告げた場所だった。


「……やっぱり、壊したんじゃない」


 右肩への負担を避けながら記録板を持ち、レオンは残留反応を何度も確かめる。


「岩の破片もない。粉塵もない。転移した痕跡も、分解された物質や魔力も残ってない」


 記録板には、発動直前まで巨大岩盤が存在していたことが残っている。質量も位置も、地殻竜の魔力によって押し込まれていたことも記録されているのに、その次の瞬間には対象そのものが存在していない。


「途中がないんだ」


 レオンは記録板の一点を指した。


「ここまでは『ある』。次はもう『ない』。その間に何が起きたかを示す情報が、本当に何も残ってない」


 フィナは自分の手へ視線を落とした。あの時は難しい魔法を使おうとしたわけでも、何かを壊そうと考えたわけでもない。


「私、本当に消しちゃったんだね」


 口にすると、少しだけ怖さが戻ってきた。


 その横で休んでいたエルナが、膝へ置いていた手を上げてフィナを見る。


「だから最後は使わなかったんでしょう」


「……うん」


「なら、今はそれでいいじゃない。できることと、やることは別でしょ」


 枕型魔導具へ頬を預けていたネムも、フィナへ目だけを向ける。


「……フィナは、選んだ」


 リリカは何か大げさな言葉へ置き換えることなく、静かに頷いていた。いつものようにフィナの力そのものへ感動しているのではなく、使わなかったという判断を見ていることが、フィナにも分かった。


 その時、少し離れた場所で周囲を調べていたミアが顔を上げた。


「隊長、こっち見て!」


 地殻竜が伏せ直したことで、それまで巨体と背中の岩山に隠されていた壁面が大きく露出していた。フィナたちが近づくと、そこだけ表面が不自然なほど平らで、巨大な石材が一定の間隔で組まれている。


 レオンは壁へ触れる前に、継ぎ目と細い伝導構造を目で追った。扉らしい縁の寸法まで確認すると、その表情がはっきり変わる。


「……同じだ」


「街の中で見たのと?」


 フィナが尋ねると、レオンは記録板へ視線を落としたまま答えた。


「それだけじゃない。学院地下、アクアレイアの古代施設、この地下都市で確認した技術体系と同じだ。材質は違っても、加工比率と伝導構造、それに扉の基準まで一致してる」


 今までは、離れた場所に似た技術が残っているという段階だった。けれど、世界最深部と呼べる場所まで降りた先にも同じ基準が現れたことで、レオンは記録板を閉じながら一つだけ言い切った。


「ここまで来たら、偶然じゃない」


 ガレスは人工壁の奥へ続く開口部を見ても、すぐ前進を命じなかった。残っている食料と灯り、負傷者の状態、崩落の危険を確認し、セリアとミアの意見も聞いてから、ようやく入口へ向き直る。


「深追いはしねえ。入口から短時間だけ見る。帰る体力を削るようなら即座に切り上げるぞ」


「はい」


 フィナたち五人も異論を挟まなかった。


 人工壁の向こうには、黒灰色と白灰色の素材が交互に使われた巨大通路が続いていた。床と壁には現代の魔法陣とは違う紋様が走っているが、レオンが見ても意味は読み取れず、フィナが近づいても何かが頭へ流れ込んでくるようなことはない。


 ミアが反響で先を確認し、ガレスが安全を見ながら進む。その先にあった巨大扉を越えたところで、探索隊は揃って足を止めた。


 円形の大広間だった。


 壁面を囲むように、十二個の巨大な円環が並んでいる。一基だけでも建物ほどの大きさがあり、表面へ刻まれた意匠はどれも違っていた。


 炎の揺らぎを思わせるもの。流れ続ける水のようなもの。空気の渦にも見えるもの。重なる地層や山脈を思わせるもの。明暗を分けるような意匠もあれば、フィナには何を表しているのか想像すらできないものもある。


「十二個……」


 リリカは圧倒されたように、ゆっくり数え直していた。


「全部、形が違います」


 疲労を忘れたように円環を見上げていたエルナも、その違いを確かめる。


「でも、同じ施設の一部みたいね」


 フィナが広間の中央へ数歩近づいた、その瞬間だった。


 低い音が響いた。


 一つではない。


 十二の円環すべてから同時に、一度だけ深い共鳴音が広がる。


「今、鳴ったよね?」


 ミアが音響魔導具を押さえ、周囲を見回した。


「全部から」


 フィナは思わず足を止める。


「私、何もしてないよ?」


 レオンもすぐ測定札を広げたが、円環はすでに沈黙している。光もなく、動いた部分も見つからない。


「フィナが中央へ入ったことが条件だった可能性はある。でも断定できない。施設側の周期反応かもしれない」


 セリアの近くで休んでいたネムは、十二の円環を順番に見ながら小さく眉を寄せた。


「……フィナの魔力と、ちょっと似てる」


 その声に、レオンが振り返る。


「似てる?」


「……途中が、静か」


 ネムは少し考えてからフィナを見る。


「……でも、フィナじゃない。少し似てるだけ」


 直後、最深層全体がゆっくりと一度だけ震えた。


 地殻竜が身体を動かしたのか、深層地震なのか、それとも施設が何かに反応したのか。判断できないまま、十二の円環のうち一基へ淡い光が灯った。


 地層と山脈を思わせる円環だった。


 最初は中心部だけだった光が、刻まれた溝を通って巨大な輪郭全体へ広がっていく。フィナが近くに立った時、ほんの僅かに明るさが増したようにも見えたが、それすら見間違いなのか確かめられない。


「原初魔法……」


 レオンが低く呟いた。


 学院地下で敵から聞いた《完全な原初魔法適合者》という言葉。王都魔法祭で客観的に確認された、フィナの魔法には術式処理が存在しないという事実。そして今、存在していた大地そのものを途中過程なく消した現象が、一つの線として頭の中へ並び始めているのがフィナにも分かった。


「関係している可能性はある」


 それでもレオンは、光る円環を見上げながら慎重に言葉を選んだ。


「でも、まだ何も証明できない。これが何なのかも、原初魔法って呼び方が本当に正しいのかも分からない」


 フィナは光る円環へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。


 あの時も、術式なんて考えていなかった。ただ消えてほしいと思った。それだけで、本当に世界からなくなった。


「……私、本当に何を使ってるんだろう」


 少しだけ胸が冷える。


 けれど横を見れば、レオンは測定札を持ったまま離れていない。ネムも座った位置からこちらを見ていて、リリカとエルナも当たり前のようにフィナの近くにいる。


 フィナはそのことを確認して、ゆっくり息を吐いた。


「隊長、こっちにも通路ある!」


 広間の外周を調べていたミアが、円環とは反対側の壁を指した。


 巨大な保守用らしい通路が、緩い傾斜を描いて上方へ続いている。レオンが入口付近の構造を確かめると、少なくとも崩落してきた昇降路とは別系統で、都市より上層方向へ伸びていることは読み取れた。


「地上まで繋がってる保証はない」


 レオンの確認を受け、ミアは反響結果を地図へ書き込む。


「でも、戻るよりはましだね。かなり先まで上向きに続いてる」


 ガレスは光る円環と通路を順番に見たあと、迷わず巨大剣を背負い直した。


「今日はここまでだ。円環の謎より、生きて帰る方が先だ」


 誰も反対しなかった。


 探索隊が広間を離れ始める中、フィナだけが入口で一度振り返った。


 十二の巨大円環のうち、十一基は再び暗闇へ沈んでいる。ただ一つ、大地を思わせる円環だけが、誰もいなくなっていく古代の大広間で、静かな光を放ち続けていた。



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