第四章 33 『三重の防壁』
地殻竜の巨大な眼がフィナだけを捉えたまま、喉の奥で低い振動を鳴らした。
直前までの土石流とは違う。周囲の地面が広い範囲で震え始め、拳大の石だけでなく、岩盤から剥がれた巨大な塊までゆっくり浮かび上がっていく。それらが砂や土と混ざりながら、地殻竜の開いた口元へ吸い込まれていた。
「またブレス……?」
フィナは両手を構えたまま、集まっていく岩石の量を見上げる。
「違う!」
少し後方で記録板を握っていたレオンは、地殻竜の口元へ視線を固定した。
「さっきより圧縮してる! 岩も土砂も、全部一箇所へ押し込んでる!」
ミアも片耳の音響魔導具へ指を当て、地殻竜の内部から返ってくる音を追っていた。いつもなら攻撃の前兆を短く伝える彼女が、今回は一度息を呑んでから声を張る。
「来るまで十秒もない! 真正面、フィナ狙い!」
フィナはすぐ背後を確認した。
右後方の岩陰にはセリアとネム、それに負傷者たちがいる。ガレスたちは左右へ散っているが、あの規模の攻撃を横へ逸らせば、どちらかへ巻き込む可能性が高い。
吹き飛ばして避けるのも違う。ここは、自分が受ける。
「みんな、私の後ろから離れないで!」
フィナの声を聞いたガレスは、即座に意図を理解した。
「前は嬢ちゃんに任せる! 左右へ回り込むな! あれが抜けた時だけ動け!」
「了解!」
エルナは雷をまとったまま地殻竜の右側へ距離を取り、カイルも左脚を庇いながら反対側へ下がる。二人とも攻撃へ飛び出せる位置は保っているが、今はフィナの防御線より前へ出なかった。
地殻竜の口元で、圧縮された塊が光を帯びる。
岩石と土砂、濃密な魔力が一つへ潰され、巨大な砲弾のような形へ変わっていく。
「来る!」
ミアの声と同時に、地殻竜が頭を突き出した。
轟音とともに、大地を削りながら超圧縮された奔流が一直線に放たれる。
「——すごい水!」
フィナの前方へ巨大な水壁が立ち上がった。高さも厚みも、これまでの戦闘で使ったものとは比べものにならない。負傷者たちまで覆える幅を持たせながら、地殻竜の砲撃が来る真正面だけを何重にも厚くしている。
激突した瞬間、水壁全体が白く弾けた。
「えっ」
フィナの目が見開かれる。
砲撃は止まらない。大量の水が衝撃を吸収し、岩石を削り、土砂を散らしている。それでも圧縮された中心部分だけが水を突き抜け、真っ直ぐこちらへ迫ってくる。
「フィナ、水だけじゃ抜かれる!」
レオンの声に、フィナは驚きを引きずる暇もなく次の魔法へ切り替えた。
「——強い風!」
水壁のすぐ後ろへ圧縮した風の壁が生まれる。真正面から押し返すだけではなく、砲撃の表面を削り、左右へ力を逃がすように風を回転させた。
水を抜けた岩塊が風へ突っ込み、爆発したような音が響く。
「うそ……まだ来る!」
離れた右側から、エルナが声を上げた。
風壁の中で岩石が砕かれ、細かな破片が周囲へ散っていく。それでも中心に残った圧縮塊は勢いを失い切らず、フィナの風を押し込むように前進していた。
フィナの髪が後方へ激しくなびく。身体が押されているわけではない。魔法そのものが、真正面から押し返されている。
「……すごい!」
思わず声が漏れた。
怖いより先に、純粋な驚きが胸へ飛び込んでくる。自分の水を抜け、風まで押してくる。そんな攻撃を、フィナはほとんど知らない。
けれど、すぐ背後には仲間がいる。驚いているだけでは終われない。
「フィナ師匠!」
後方で杖を構えていたリリカの声が届く。
「まだ来てます!」
「うん、分かってる!」
フィナは両手を地面へ向けた。
「地面、出てきて!」
前方の大地が大きく隆起し、厚い土壁が何層にも重なりながら立ち上がる。水と風で削られた砲撃の正面へ割り込み、最初の壁が砕け、二枚目にも大きな亀裂が走った。
三枚目で、ようやく速度が落ちる。
「止まれ……!」
フィナがさらに地面を押し上げる。
風壁も同時に前へ押し返し、水も左右から中心へ巻き戻す。三種類の魔法が重なった瞬間、地殻竜の砲撃はようやく完全に止まった。
巨大な岩塊が砕け、土砂が滝のように地面へ落ちる。
その場へ重い静寂が生まれた。
「……止めた」
セリアの横から、ネムが小さく呟く。
フィナは両手を下ろさず、砕けた三枚の土壁を見ていた。
自分の水を抜け、風まで押し、土を加えてようやく止まった。
「ほんとに、すごい……」
今度の声には笑いも恐怖もなく、ただ素直な驚きだけが混じっていた。
「感心してる場合じゃないわよ!」
地殻竜の右側で雷をまとったエルナが叫ぶ。
「次が来る前に削るわ!」
「その通りだ!」
ガレスは巨大剣を構え直し、地殻竜の前脚へ視線を向けた。
「今ので口と前側へ意識が寄ってる! 左右から行け!」
カイルはすでに動いていた。
風をまといながら左側の岩山へ駆け上がり、途中の突起を足場にして地殻竜の脚部へ近づいていく。負傷した左脚の負担を抑えるため、連続で走り切るのではなく、壁面と風を使って踏み込みそのものを減らしていた。
「エルナ!」
「分かってる!」
反対側では、エルナが雷を脚へ集中させ、《紫電歩〈パソ・センテリア〉》の加速で地面から地殻竜の前脚へ一気に駆け上がる。
二人の進路は違う。けれど、狙っている場所は同じだった。
カイルが前脚の内側、エルナが外側。巨大甲殻の重なりが僅かに薄くなっている部分へ、左右から同時に迫る。
「ミア、動く!?」
走りながらカイルが声を飛ばす。
音響魔導具へ意識を集中していたミアは、地殻竜の内部を走る重い反響を追い、すぐに答えた。
「右前脚に体重移す! あと三秒! そのあと左が浮く!」
「十分!」
カイルが返すと、反対側のエルナがすぐに声を飛ばした。
「カイル、勝手に決めないで!」
「じゃあ降りる?」
「行くに決まってるでしょ!」
エルナの雷が一段強くなる。
地殻竜が体重を移した瞬間、狙われた左前脚が僅かに浮いた。
「今!」
ミアの合図が響く。
カイルは岩壁を最後の足場にして跳び、風を槍先へ集めながら全身ごと一直線に突き込んだ。
正面から甲殻を破ろうとするのではない。リリカの小さな火やエルナの雷で何度も熱と衝撃を受け、わずかに歪んでいた甲殻の重なりへ穂先を滑り込ませる。
槍が深く食い込んだ。
「エルナ!」
「合わせるわ!」
エルナはカイルの槍そのものではなく、その周囲へ雷撃を集中させた。青白い雷が甲殻の隙間へ沿って走り、内側から弾けるような音が響く。
「まだ!」
カイルが槍を押し込む。
「言われなくても!」
エルナも雷を切らない。
風と雷、二つの攻撃が同じ一点へ重なり続ける。
地殻竜が低く唸り、初めて前脚を大きく引いた。
「二人とも離れて!」
フィナが叫ぶ。
次の瞬間、地殻竜が脚を振り払う。カイルは槍を抜いて風で退き、エルナも雷の加速で反対側の岩場へ飛び降りた。
巨大な爪が二人のいた場所を薙ぐ。
けれど、その動きの途中で、これまでとは違う音が響いた。
ぴしり、と甲殻が割れる。
「……割れた?」
リリカが目を見開く。
地殻竜の左前脚。カイルの槍が刺さっていた場所を中心に、巨大甲殻へ一本の亀裂が走っている。
細い傷ではない。建物ほどもある甲殻の表面を横切り、その奥まで続く大きな亀裂だった。
フィナは崩れた三重の防壁の向こうで、その亀裂をはっきりと見た。
圧倒的な巨体を前にして初めて、探索隊の攻撃が地殻竜の堅牢な甲殻を大きく破り始めていた。




