第四章 32 『大地との総力戦』
地殻竜の口から放たれた土石流の奔流は、ただのブレスではなかった。岩、砂、土、魔力が混ざり合い、地面そのものを削り取りながら一直線に押し寄せてくる。
「フィナ、正面!」
レオンの声が飛ぶより早く、フィナは両手を前へ出していた。
「——すごい水!」
巨大な水壁が地面から立ち上がり、土石流ブレスと激突する。水が岩を押し返し、土砂を飲み込む一方で、勢いを殺し切れなかった大岩が水壁を突き破って飛び出した。
「ネム、右側だけ!」
セリアの近くにいたネムは、枕型魔導具を抱えたまま視線を上げる。
「……そこだけなら」
《万象静止〈サイレント・レスト〉》によって、負傷者側へ飛んでいた岩塊が空中で止まった。
「レオン!」
「分かってる!」
レオンは停止した岩の下へ防壁を滑り込ませ、ネムが解除した瞬間に落下方向を外側へ変える。その間にもフィナは水量を増やし、ブレスの中心だけを押し返していた。
「フィナ、全部受けるな!」
巨大剣を構えたガレスが、飛び散る石を弾きながら前へ出る。
「横へ逃がせ!」
「うん!」
フィナは水壁の中央を残し、左右へ流れを開いた。押し寄せる土砂が二つに割れ、探索隊のいる場所を避けるように左右へ流れていく。
やがて地殻竜のブレスが途切れた。
フィナが水を落とした時には、正面の地形が大きく変わっていた。さっきまで平らだった地面が深く抉られ、左右には新しい土砂の丘ができている。
「今の一発でこれなの……?」
リリカが杖を握ったまま、荒れた大地を見つめていた。
「次、来るよ!」
ミアは音響魔導具へ意識を集中させ、地殻竜の内部から返る響きを追っている。
「右前脚! 中で重心が動いた!」
巨大な前脚が持ち上がる。
「散れ!」
ガレスの号令に合わせ、前衛が左右へ分かれた。
フィナも横へ跳ぼうとしたが、その足が止まる。爪の落下先に、まだ移動し切れていない負傷者がいた。
「まずい!」
「フィナ、動くな!」
ガレスがフィナの前を横切った。
「ガレスさん!?」
「後ろを守れ!」
地殻竜の巨大爪が振り下ろされる。
「——《重岩装〈ガルド・ペトリア〉》!」
褐色の魔力がガレスの身体を覆い、岩の装甲が一気に厚くなる。巨大剣を横へ構えた瞬間、爪がその上へ叩きつけられた。
轟音とともにガレスの両脚が地面へ沈み、岩の装甲へ亀裂が走る。巨大剣まで軋んだが、それでも退かず、爪の軌道をほんの少しだけ外側へ押した。
「ぐっ……! カイル、脚!」
「行く!」
左側へ回っていたカイルが、風をまとって地面を駆ける。負傷した左脚を庇いながらも速度を落とさず、地殻竜の支えになっている反対側の前脚へ向かった。
「——《疾風穿〈ヴェル・ラディア〉》!」
槍先が甲殻の継ぎ目へ突き刺さる。深くは入らなかったが、それでも地殻竜の重心が僅かに揺れた。
「今よ!」
エルナは別の方向から岩山を駆け上がり、そのまま地殻竜の前脚へ飛び乗った。《紫電歩〈パソ・センテリア〉》の加速で一気に身体の側面を駆け上がる。
「ほんとに山じゃない!」
足元では、一枚一枚が岩盤ほどもある鱗が連なっている。
「エルナ、背中側に何か来る!」
下からミアの声が届く。
「左から盛り上がる!」
「見えた!」
地殻竜の背中に乗った岩山の間から、尖った岩槍が次々と突き出した。
エルナは雷の加速で進路を変えて一本目を避け、二本目の岩槍を蹴って、さらに高い位置へ飛び移る。
「ちょっと、これ反則でしょ!」
下にいるカイルが声を飛ばす。
「降りるなら今だぞ!」
「誰が降りるって言ったのよ!」
エルナは走り続けながら、背中の甲殻へ雷撃を叩き込んだ。
その頃、地上ではリリカが地殻竜の関節部へ《心火一灯〈カンデリア〉》の小さな火を集中させていた。
「硬いところじゃなくて、動くところなら!」
小さな火は一発ずつ角度を変え、カイルが傷を入れた前脚の内側へ吸い込まれる。大きな炎ではないが、同じ位置へ何度も重ねることで甲殻の隙間に熱が溜まっていく。
「リリカ、そこ続けて!」
フィナが声を掛ける。
「はい、フィナ師匠!」
地殻竜が前脚を振り上げた。
ガレスへの爪撃が外れ、今度は横薙ぎに地面を払う。
「尾も来る!」
ミアの声がさらに鋭くなる。
「後ろ側が先に動いた! 二方向!」
フィナは一瞬で周囲を見た。
前から爪。後ろから尾。負傷者は右後方。
「レオン、後ろお願い!」
「任せろ!」
レオンは右肩を庇いながらも、《連環築壁〈カデナ・フォルティア〉》の防壁を負傷者の前へ複数枚、斜めに展開した。
「真正面で受けない! 流す!」
巨大な尾が防壁へ激突し、一枚目が砕け、二枚目が大きく歪む。それでも斜めに張ったことで、尾の軌道は負傷者から僅かに外れた。
「フィナ!」
レオンの声が飛ぶ。
「こっちはやる!」
フィナは振り抜かれる前脚へ風を叩きつける。
「——強い風!」
爪の勢いが横へずれ、その下をガレスとカイルが抜けた。
直後、地殻竜が大地を踏み込み、探索隊の足元から岩盤が一気にせり上がる。
「下!」
ミアの警告が間に合った。
「土!」
フィナは両手を地面へ向ける。
「——地面を平らにするやつ!」
隆起した岩盤そのものが押し戻され、急角度で持ち上がりかけた足場が水平へ近づく。それでも完全には抑えきれず、左右では地面が壁のように盛り上がった。
「レオン、足場!」
「出す!」
レオンの空中足場が連続して現れ、ガレスとカイルがそこへ飛び移る。地殻竜の背中から戻ろうとしていたエルナにも一枚が伸びた。
「遅い!」
「今作ったんだ!」
「私が落ちてからじゃ遅いのよ!」
「落ちてないだろ!」
エルナは文句を返しながら足場を蹴り、地上へ戻った。
フィナがそちらへ目を向けた瞬間、地殻竜の喉が膨らむ。
「咆哮来る!」
ミアが両耳を押さえた。
「全員、構えて!」
次の瞬間、空洞全体が震えた。
咆哮が衝撃波となって広がり、フィナの身体が後ろへ押される。リリカの小さな火が消え、レオンの空中足場も何枚か砕けた。
「っ……!」
後方では負傷者の一人が倒れかけ、セリアが肩を支える。
「無理に立たなくていい! 頭を低くして!」
セリアは《輝膜守〈レイ・ヴェール〉》を展開し、負傷者たちの前に薄い光の膜を張った。
その横で、ネムが飛来してきた岩片へ手を伸ばす。
「……これだけ止める」
複数の岩が空中で止まり、光膜へ当たる前に勢いを失った。
「ネム、もういい!」
セリアの声に合わせ、ネムはすぐ解除する。
「……うん。ちょっと疲れた」
「そのまま私の後ろにいて」
咆哮が途切れた頃には、地面にも空気にも細かな砂が舞っていた。
フィナは目を細めながら、地殻竜を見上げる。
攻撃は効いている。前脚の甲殻にはカイルの槍傷、関節部にはリリカの火による焦げ跡、背中にはエルナの雷が走った跡があり、ガレスの一撃で欠けた甲殻もある。
それでも、地殻竜は倒れない。
「まだ全然元気じゃない……?」
フィナの声に、ガレスは息を整えながら巨大剣を握り直した。
「だからでけえ奴は嫌なんだ」
「隊長、次は左後脚!」
ミアは音響魔導具を押さえ、巨体の内部で動く重心を追う。
「踏み込んだあと、頭がこっち向く!」
「フィナ!」
ガレスの声に、フィナは前へ出る。
「うん!」
地殻竜の足元へ水を流す。
「——すごい水!」
甲殻の間へ水が入り込み、地面との摩擦を少しだけ奪った。踏み出した後脚が滑る。
「今だ!」
ガレスが巨大剣を振り上げ、カイルが反対側から槍を突き込む。
エルナも《雷針〈アグハ・ヴォルティア〉》の雷撃を再び関節へ集中させ、その直後をリリカの小さな火が追った。
巨体が僅かに傾く。
「いける!」
フィナは風を重ねようとした。
その瞬間、地殻竜の巨大な眼が、はっきりとフィナだけを捉えた。
「……え?」
さっきまで探索隊全体を見ていた視線が変わっている。
フィナが水を出した時。地面を戻した時。風で爪を逸らした時。何度も地殻竜の動きを邪魔した存在を、今ようやく一つの敵として認識したようだった。
「フィナ、離れろ!」
レオンの声が響く。
地殻竜の首がゆっくりと動く。巨大な瞳はもう、ガレスにも、カイルにも、エルナにも向いていない。
フィナだけを追っている。
喉の奥で低い唸りが鳴り、周囲の岩砂が再び震え始めた。
探索隊全員の攻撃を受けてもなお立ち続ける地殻竜は、ここで初めて、フィナ・アウセリアを最優先で排除すべき敵として明確に認識した。




