第四章 29 『崩落する昇降路』
縦穴の底から突き上げてきた揺れは、昇降台だけを震わせたのではなかった。頭上では古代都市そのものが軋み始め、遠くから塔の崩れる轟音が幾重にも重なって落ちてくる。
壁面を走っていた亀裂は一気に広がり、昇降施設を支えていた石材まで砂を吐くように崩れ始めた。
「中央へ寄れ! 縁から離れろ!」
ガレスの声に合わせ、フィナはネムとリリカを昇降台の中心へ押し戻した。セリアたちは担架を囲み、カイルとエルナも左右の縁から離れる。
直後、縦穴の壁面から巨大な石塊が剥がれた。
「上!」
フィナは両手を向ける。
「——強い風!」
落下してきた石塊へ横から風をぶつけ、昇降台の外側へ軌道をずらす。砕けば破片が広範囲へ散るため、形を残したまま逸らした。
巨大岩が闇の下へ消れた数秒後、遥か下から鈍い衝突音が返ってきた。
「まだ底まで距離あるぞ!」
音響魔導具を押さえていたミアが、続けて右側を示す。
「それよりまずい! 右側の支持部、外れる!」
レオンが振り返った先で、昇降台と壁面を繋いでいた太い構造が亀裂ごと剥がれ、石床が大きく傾いた。
「伏せて!」
セリアが担架へ身体を寄せ、負傷者を固定する。フィナも床へ手をついたが、そのまま昇降台全体が数メートル落下し、次の固定部へ激突した。
足元から強烈な衝撃が突き抜ける。
「昇降機構、止まった!」
レオンは壁面へ残る伝導路と支持部を見比べた。
「次の固定が噛んでる! このままじゃ降ろせない!」
「上へ戻せるか?」
ガレスが問いかけると、レオンはすぐに否定した。
「もっと無理です! 上側の支持部がもうない!」
ガレスが頭上を見上げる。
そこには、すでに戻るための古代都市が見えなくなりつつあった。縦穴上部から大量の土煙が流れ込み、その奥で何か巨大なものが倒れる影が横切る。
次の瞬間、都市中央に立っていた塔の一つが昇降施設側へ傾き、入口部分を巻き込みながら崩れ落ちた。
「戻る道、消えたね」
フィナの声が低くなる。
「なら下だ」
ガレスは迷わなかった。
「動かねえ床に残る方が死ぬ。降りる道を作るぞ」
レオンは縦穴の壁面へ目を走らせ、残っている支持部と崩れた構造を確認する。
「左下に保守用らしい足場がある。ここから十二メートルくらい」
「担架で飛べる距離じゃない」
セリアが即座に返す。
「足場を繋ぐ!」
レオンの左手から《連環築壁〈カデナ・フォルティア〉》の術式が広がり、昇降台の縁から壁面へ向けて半透明の足場が三枚現れた。
「長くは持たない! 揺れが続いたら壊れる!」
「十分だ!」
ガレスが先に一枚目へ乗り、荷重を確かめる。
「カイル、先を見ろ!」
「任せて!」
左脚を庇いながらも、カイルは風をまとって足場の先へ跳んだ。壁面の溝へ槍を掛け、身体を振り子のように運んで保守用足場へ着地する。
「ここ使える! でも狭い!」
「エルナ、次!」
ガレスの指示に、エルナがすぐ雷を脚へ集める。
「分かってるわよ!」
《紫電歩〈パソ・センテリア〉》の加速でレオンの足場を二枚飛ばしに駆け、着地と同時に壁際へ寄って後続が入れる空間を作った。
「フィナ、担架を軽く支えて!」
「うん!」
フィナは風を担架の下へ薄く回し、浮かせるのではなく重さだけを減らす。セリアと探索隊員が前後を持ち、ガレスが横から支えながら、レオンの足場を一歩ずつ進んだ。
最後はカイルとエルナが引き上げ、全員が保守用足場へ移った瞬間、背後で昇降台が沈む。固定部が完全に砕け、巨大な石床が縦穴の底へ落下していった。
「急ぐよ!」
ミアの声に全員が動き出した。
壁面沿いの足場は、ところどころ崩れていた。下へ続いてはいるものの、一枚分、二枚分と途切れ、場所によっては壁そのものが抉れている。
「次、八メートル下!」
反響で位置を拾ったミアの声を受け、カイルが先へ出る。
「俺が行く!」
風をまとった身体が壁面を斜めに走り、途中の柱を蹴って下の足場へ降りた。
「着いた! エルナ、右側の柱使える!」
「指図しないで!」
エルナが返すと、カイルもすぐに言い返す。
「じゃあ左から落ちれば?」
「使うわよ!」
文句を返しながらも、エルナはカイルが示した柱へ雷をまとわせた足を掛け、そこからさらに壁面を蹴って下段へ着地した。
その直後、頭上から異様な鳴き声が響いた。
「魔物!」
崩壊する都市から逃げてきたのか、飛行型の魔物が縦穴へ何体も流れ込んでくる。
「今来るの!?」
フィナが顔を上げる。
「向こうも逃げてるんでしょ!」
エルナの雷が一体を撃ち落とした。しかし全部を攻撃すれば、落下した死体が下の仲間へ直撃する。
「倒すより逸らす!」
レオンの声に、フィナはすぐ風の向きを変えた。
「こっち来ないで!」
横向きの突風が魔物たちを縦穴の反対側へ押し流す。
それでも一体だけが風を抜け、担架へ向かって爪を伸ばした。
「右!」
ミアの警告に、リリカがすぐ反応する。
「——《心火一灯〈カンデリア〉》!」
小さな火が魔物の目の前で弾け、視界を奪った。わずかに軌道がずれたところへガレスの巨大剣が入り、壁へ叩きつける。
「先へ進め!」
ガレスは仕留めたか確認せず、担架の横へ戻った。
縦穴はさらに大きく揺れ、今度は壁面そのものが裂けた。足場の一部が斜めに崩れ落ちる。
「ネム!」
呼ばれたネムが片手を上げる。
「……短く」
《万象静止〈サイレント・レスト〉》が働き、崩れかけた足場と、その上にいた探索隊員の動きが一瞬だけ止まった。
「今!」
フィナが風を送り、隊員の身体をこちら側へ押す。カイルが腕を掴んで引き寄せた直後、ネムが魔法を解き、石床はそのまま闇へ消えた。
「ネム、大丈夫?」
フィナが尋ねる。
「……ちょっと重い」
その返答を聞いたセリアが、すぐ隣へ寄った。
「次は無理して使わない。歩ける?」
「……歩ける」
「じゃあ私の近くにいて」
「……うん」
ネムは素直に位置を変え、セリアの隣へ移った。
フィナたちはさらに下へ進む。途中から保守足場すら消え、残っているのは壁面から突き出した梁と、崩れた昇降設備の残骸だけになった。
「ここからどうするの?」
フィナが下を見る。
十数メートル先に、斜めへ傾いた巨大な石板が引っ掛かっている。その下にはさらに別の足場が見えた。
「石板まで飛ぶ」
カイルが答える。
「俺とエルナが先に行く。フィナ、途中で風をくれ」
「分かった」
エルナがすぐに念を押す。
「今度こそ加減してよ!」
「分かってるって!」
二人が同時に飛び出すと、フィナは真下からではなく、斜め下へ押し出すように風を送った。
カイルは空中で身体を捻り、槍を壁へ突いて軌道を修正する。エルナも雷の加速を一度だけ使い、石板の中央へ着地した。
「大丈夫!」
着地したエルナの声に、カイルが続ける。
「次、担架!」
レオンが空中足場を二枚だけ作る。今度は長く繋がず、一枚目まで担架を運び、フィナの風で落下速度を殺しながら二枚目へ降ろした。最後は下からガレスとカイルが受け取る。
全員が石板へ移った頃には、上からの崩落音がさらに近づいていた。
「大きいの来る!」
ミアが叫ぶ。
直後、縦穴を塞ぐほどの巨大岩が落ちてくる。
フィナが止めようとした瞬間、レオンが腕を伸ばした。
「固定するな! その岩の後ろも崩れてる!」
止めれば、次の瓦礫まで積み重なってこちらへ落ちる。
「じゃあ……横!」
フィナは風を岩の片側だけへ集中させた。巨大岩が回転しながら軌道を変え、壁へ激突する。
衝撃で新たな亀裂が走った。
「石板が割れる!」
エルナの声と同時に、足元へ大きな亀裂が伸びる。
「下へ跳べ!」
ガレスが先に担架を抱え、次の足場へ飛び降りた。カイルとエルナが左右から補助し、ミアも地図を胸元へ押さえて続く。
リリカは小さな火で着地点を照らし、レオンは最後尾に空中足場を一枚だけ残した。
「フィナ、ネム!」
レオンの声が飛ぶ。
「先に行って!」
「……一緒」
ネムがフィナの袖を掴む。
フィナは一瞬だけ迷い、その手を握り直した。
「じゃあ一緒に!」
風を足元へ集め、二人で飛ぶ。着地した直後、最後に残っていたレオンも空中足場を蹴って降りてきた。
「全員いる!」
セリアが声を張ったが、その確認と同時に足元が再び揺れた。
「まずい!」
ミアが下を覗き込む。
「この足場、そのものが落ちる!」
巨大な石床が壁面から剥がれ始めていた。
下には、もう次の足場が見えない。あるのは暗闇だけだった。
「フィナ、支えられる!?」
エルナが叫ぶ。
「少しなら! でもこのまま止めたら上から全部来る!」
頭上では崩れた都市と昇降施設の瓦礫が、次々と縦穴へ落ちてきている。留まれば押し潰され、戻る場所もない。
ガレスは下の闇を一度だけ見たあと、全員へ向き直った。
「落ちるぞ!」
「え!?」
フィナが声を上げる。
「この足場ごと潰されるよりましだ! フィナ、落下を殺せるだけ殺せ!」
フィナは息を呑んだが、すぐに両手を広げた。
「分かった!」
足元の石板が完全に割れ、全員の身体が浮いた。担架も荷物も、砕けた石も一緒に暗闇へ落ちる。
フィナは風を下から叩きつけ、全員の落下速度を少しでも削った。レオンが空中へ足場を作り、何人かが一瞬だけ踏んではまた飛び降りる。
カイルは壁面を蹴って方向を整え、エルナは雷の加速を逆向きに使って身体を寄せ、ガレスとセリアは担架を離さない。
上から崩落が追ってくる。下にはまだ底が見えない。それでも、誰一人として別方向へ離れなかった。
最後に残った足場まで粉々に砕けた瞬間、探索隊は全員そろって、底の見えない最深部へ飛び込んでいった。




