第四章 28 『深層へ降りる』
都市中央の巨大昇降施設は、近くで見るほど人ひとりを運ぶための設備には思えなかった。縦穴の直径だけでも小さな広場ほどあり、壁面には何本もの太い溝と、途中で途切れた魔力伝導路が上下へ伸びている。
その中央には巨大な昇降台らしき石床が残っていたが、都市そのものと同じく、動力の気配は完全に失われていた。
「動かない?」
フィナが石床の端から覗き込む横で、レオンは壁面に残る構造を順番に確かめていた。
「普通に使うのは無理だな。魔力供給が死んでる。それに、仮に無理やり流しても何が起きるか分からない」
「じゃあ、フィナ師匠が持ち上げるのは……」
リリカの提案に、レオンは即座に首を横へ振った。
「それも最後だ。この台がどこで支えられてるか分からない。フィナが床だけ動かしたら、途中の固定部を壊す可能性がある」
「なるほど……」
そのやり取りを聞いていたフィナが、少し不満そうに口を挟む。
「最近、私が触る前に止めるの上手くなったよね」
「経験が積み上がったからな」
「どういう経験!?」
フィナが抗議している間にも、レオンは昇降台の外周へ回り込んでいた。
古い設備の大半は沈黙しているが、石床の四隅には太い鎖のような構造が残っている。金属ではなく、魔力を通す加工石材を連結したものらしく、そのうち二本は壁面内部へ続き、残る二本は途中で崩れていた。
「完全停止してるけど、機械的な固定は残ってる」
レオンは右肩を庇いながら、左手だけで一つの操作部らしき石盤を調べる。
「ここ。動力が切れても、緊急時に昇降台を下ろせる仕組みがある」
「手動か?」
ガレスが横から石盤を覗き込むと、レオンは構造を確認したまま答えた。
「たぶん。ただし一気には降ろせません。固定を一段ずつ外して、下の支持部へ荷重を移す構造です」
「つまり、壊れてなきゃ使える」
「壊れてなきゃ、です」
「そこが一番大事だな」
ガレスは巨大剣を背負い直し、縦穴の底へ視線を落とした。
暗闇は深い。魔石灯を落としたところで、途中の壁面を照らすだけで終わりそうだった。
「ミア」
「もう見てる」
片耳の音響魔導具へ指を添えたミアは、縦穴の中心へ身体を向け、細い音を下へ送った。
すぐには戻らない。いつもなら数秒で何かしらの反応を拾うミアが、眉を寄せたまま待ち続ける。
「……長いね」
フィナが声を落とすと、ミアは反響へ意識を向けたまま答えた。
「うん。壁は拾えてる。でも底が遠い」
さらに数秒が経ち、ミアの表情が変わった。
「返ってきた」
「どのくらい?」
フィナが問いかける。
「正確には無理。途中で反響が散ってる。でも、この街よりずっと下」
「まだ下があるのね……」
エルナは縦穴を覗き込み、すぐに半歩下がった。
「見てるだけで嫌になる深さだわ」
その横からカイルも縦穴を覗く。
「主席でも高いところ苦手?」
「苦手じゃないわよ。落ちたくないだけ」
「それを苦手って言うんじゃないか?」
「違うでしょ!」
カイルがさらに続ける。
「じゃあ先に降りる?」
「降りるわよ!」
即答したエルナは、そこで負傷したカイルの左脚へ視線を落とした。
「……でも、あんたより先にね」
「気遣うなら普通に言えばいいだろ」
「気遣ってない!」
「はいはい」
「その返事やめなさい!」
二人のやり取りに、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
フィナはその横で笑いながらも、すぐにセリアへ目を向ける。下へ進むなら、今まで以上に戻りにくくなる。
「セリアさん、みんな大丈夫ですか?」
「今確認する」
セリアはまず負傷者たちを順番に診てから、前衛組へ移った。ガレスの肩は固定を続ければ動けるものの、強く振り抜く動作を繰り返すのは避けたい。カイルの左脚も悪化はしていないが、全力で走り続けるにはまだ無理がある。
「エルナ、右腕」
「もうかなり動くわ」
「かなり、じゃなくて見せて」
「……はい」
珍しく素直に腕を差し出したエルナの横で、カイルが小さく笑った。
「主席でもセリアさんには弱いんだ」
「笑ったらその脚踏むわよ」
二人の応酬を、セリアがすぐに止める。
「患者同士で怪我増やさないで」
その一言で、エルナもカイルも黙った。
フィナはその様子を見てから、少し離れたところで枕型魔導具へ頬を預けているネムへ目を向けた。
「ネムは?」
セリアもすぐ隣へしゃがみ、顔色と呼吸を確かめる。
「眠い?」
「……眠い」
「疲れは?」
「……ちょっと重い」
「魔法は?」
ネムは少し考え、枕を抱え直した。
「……短いのなら。長いのは嫌」
「じゃあ、それでいこう」
「……うん」
余計に使わせようとしないセリアへ、ネムも無理を隠さず答えている。最初の頃なら、自分で限界まで使ってから眠っていたかもしれない。今は必要な時だけ使い、疲れたら疲れたと言う。
フィナはその変化を見ながら、胸の奥が少しだけ軽くなった。
「問題は負傷者だな」
全員の確認が終わると、ガレスは昇降台の前へ集まった探索隊を見渡した。
「ここは今まで通った場所より守りやすい。入口も絞れるし、水も確保できる。怪我の重い奴だけ残す手もある」
「安全地点としては使える」
レオンは周囲の建物と広場の位置を確認しながら、慎重に言葉を続けた。
「ただし、俺たちが戻ってこられる保証がない」
その一言で、誰もすぐには返さなかった。
都市へ入った石門へ戻る道さえ、魔物の群れが巣食っている。さらにその先には崩壊した深層があり、元の階層へ繋がる道は失われたままだ。
ここで人を残し、自分たちだけ下へ進む。もし昇降施設が壊れたら、別の出口が見つかったら、あるいはこの都市そのものが再び崩れたら、分断された者同士が再会できる保証はない。
「残る方が安全とは限らないんだね」
フィナが呟くと、ガレスは短く頷いた。
「そういうことだ」
続いてレオンが、壁面の構造へ一度視線を向けてからガレスへ戻す。
「俺も全員で行く方がいいと思います。怪我人を連れる分、速度は落ちます。でも、ここに残して連絡手段を失う方が危険です」
「お前ならそう言うと思った」
「反対ですか?」
「いや」
ガレスの口元が僅かに緩む。
「同じだ。だから確認した」
判断を任される側と、支える側。最初はガレスが決め、レオンたちが従うだけだった。それが今は、互いの考えを出した上で同じ結論へ辿り着いている。
ガレスは改めて全員へ向き直った。
「全員で下りる。遅くてもいい。途中で止まってもいい。分かれるのだけは無しだ」
「了解!」
フィナの返事に、リリカとエルナも続く。
カイルは槍を肩へ担ぎ直し、ミアは新しい地図の基準点として昇降施設を書き込んだ。セリアも負傷者たちの固定具を調整し、ネムは昇降台の中央近くへ自分から移動している。
準備が整うと、レオンは操作部の前へ立った。
「最初の固定を外す。動いたら全員、中央へ寄って」
古い石盤へ手を掛けて力を込めたものの、最初はびくともしなかった。そこでガレスが横から手を添える。
「押す方向は?」
「右下です」
「分かった」
二人で力を掛けると、石盤が低い音を立てながら動き、直後に昇降台全体が僅かに沈んだ。
「動きました!」
リリカが声を上げる。
「まだ喜ぶな!」
レオンはすぐに壁面を確認した。
「左右の支持部、両方生きてる。次を外す!」
一段、また一段と、古代設備は固定を順番に解除され、巨大な石床を少しずつ下へ送り出していく。
やがて都市の広場が目線より高くなり、入口が遠ざかり始めた。
フィナは昇降台の中央から上を見上げる。無人の街が、少しずつ暗闇の上へ消えていった。
「本当に下りてるね」
「今さら?」
エルナの声に、フィナは苦笑する。
「だって、どこまで下りるのかなって」
「それを考えると嫌になるからやめて」
その返答を聞いたカイルへ、エルナがすぐに顔を向けた。
「やっぱり高いところ苦手なんじゃ――」
「カイル!」
エルナが遮ると、カイルはすぐに返した。
「俺、何も言ってない」
「顔が言ってるのよ!」
小さな言い争いが縦穴へ反響する。
その音を聞きながら、フィナは少しだけ安心していた。
どこまで下りるか分からない。何が待っているのかも分からない。それでも、誰も置いていかない。そのことだけは決まっている。
昇降台がさらに一段下がった時、足元から低い震えが伝わった。
「……今の」
ミアの顔から笑みが消える。
次の瞬間、縦穴全体が大きく揺れ、壁面から石片が落ち、昇降台が左右へ振られた。
「全員伏せろ!」
ガレスの声が響く。
フィナがネムとリリカの側へ身体を寄せた直後、二度目の揺れが襲った。今度はさっきまでとは比べものにならない。
古代都市のさらに下から突き上げるような巨大地震が、昇降施設そのものを軋ませながら、深い縦穴の中を一気に駆け上がってきた。




