第一章 12 『白級の最強魔法使い』
特例入学から数日後、フィナは王立セレフィア魔法学院の白級へ正式に配属された。
実技試験では神話級素材の標的を消し去り、村では災害級の大型魔物を一撃で制圧した。にもかかわらず最下位の白級となった理由は、筆記試験の答案を見れば誰にでも理解できた。
「魔法史、ほとんど空欄だったからね」
「空欄だけではない。《千年前の六賢導について記せ》という問題に、《六人も覚えるのは大変そう》と書いていた」
「何も書かないより、感想でも書いた方がいいかなって」
「採点者は感想を求めていない」
白級教室へ向かう廊下で、レオンはフィナの答案の写しを閉じた。
その横では、ネムがフィナの袖を掴んだまま半分眠っている。特例訓練生となったリリカは、フィナの後ろを歩きながら《試験では空欄にも自分の考えを残す》と手帳へ書き込んでいた。
「リリカ、それは教えじゃないからね?」
「失敗した問題からも学びを得る姿勢ですね!」
「違うよ! 次からはちゃんと勉強しようって話だよ!」
「それが最も重要な学びではないか」
「レオンまで正論で追い込まないで!」
教室へ入ると、既に集まっていた白級生徒たちの視線が一斉にフィナへ向いた。
実技試験で異常な結果を出した新入生という噂は、学院中へ広まっている。だが、実際に魔法を見た者は一部だけで、話を大げさにした作り話ではないかと疑う者も少なくなかった。
フィナは緊張を隠すように笑い、空いている席へ向かった。
「おはよう。今日からよろしくね」
声を掛けると、周囲の生徒たちは少し戸惑いながらも挨拶を返してくれた。
フィナが想像していたような、特別扱いへの露骨な反発はない。むしろ、災害級の魔物を倒した人物が普通に笑いかけてきたことへ、どう反応すればよいのか分からない様子だった。
「フィナ師匠、こちらの席をどうぞ!」
「リリカは正式な白級生徒じゃないから、見学席だよね?」
「師匠のおそばが最も学びやすい場所です!」
「規則上、後方の補助席だ」
「そんな……師匠との距離が十五歩も……!」
「授業中に距離で絶望するな」
リリカが名残惜しそうに後方へ移動し、ネムはフィナの隣の席へ座った。
座ったというより、机へ枕を置いて顔を伏せただけだった。教師が教室へ入ってきた時点で、既に昼寝の準備は完成している。
本日の授業は、初級火魔法の温度維持だった。
小さな炎を一定時間燃やし、温度を指定された範囲へ保つ。調理や暖房、薬品加工にも応用される基礎的な生活魔法で、火属性を扱う者なら必ず覚える技術だった。
「術式の第二環で魔力供給量を固定し、第三環で外気温の影響を補正します。炎を大きくする必要はありません」
教師の説明に従い、生徒たちは机上の耐熱皿へ小さな炎を灯した。
火は風もないのに揺れ、温度測定具の針も細かく上下する。魔力の流量を一定へ保とうとするほど緊張が生まれ、かえって炎が不安定になる者もいた。
フィナも掌の上へ小さな火を出した。
「このままでいてね」
炎へ声を掛けると、揺れていた先端がぴたりと止まった。
大きさも色も変わらない。温度測定具の針は指定値の中央で静止し、一度も上下しなかった。
隣の生徒が自分の炎と見比べ、目を丸くする。
「何をしたの?」
「このままでいてってお願いしただけだよ」
「術式は?」
「使ってないよ?」
その返答を聞いた教師が、フィナの机まで歩いてきた。
炎へ測定具を追加しても、温度は完全に一定だった。魔力供給の揺らぎも、外気温への補正反応も見られない。
「フィナ・アウセリア。発動時に使用した術式構造を説明してください」
「えっと……火を出して、ちょうどいい温度にして、そのまま動かないでねって」
「第二環と第三環は?」
「輪っかは出してません」
「では、どのように温度変化を検知し、魔力供給を調整しているのですか?」
「炎が自分で、このままでいてくれてるんだと思います」
教師は説明を求めているのに、フィナの答えはお願いした内容しか増えていかなかった。
困った視線がレオンへ向けられる。記録補助として同じ授業へ参加していたレオンは、立ち上がって炎の周囲を測定した。
「通常の供給固定ではありません。炎そのものへ現状維持の条件が付与されています。温度が下がってから熱を補充するのではなく、変化が起きる前の状態を継続している可能性があります」
「どういうこと?」
フィナが尋ねると、レオンは記録板へ図を書き始めた。
「普通の温度維持は、基準値から外れた差を検知して補正する。だが、お前の炎には差が生じていない。外気との熱交換そのものを限定しているのか、現象の時間的変化を――」
説明が続くにつれ、フィナの背筋が少しずつ曲がっていった。
隣のネムも最初から起きていたはずなのに、レオンが三つ目の専門用語へ入ったところで、額がゆっくり机へ近づいていく。
「つまり、普通より長く同じ状態でいられるってこと?」
「結論だけならそうだ。だが、問題は成立過程にある。現代魔法では、最低でも維持術式と補正術式が必要で――」
フィナの顎が腕の上へ着いた。
ネムの頬も枕へ沈んだ。
二人は示し合わせたわけでもないのに、同じ速度で少しずつ机へ伏せていく。
「フィナ、ネム。聞いているのか?」
「聞いてるよ……維持と補正が……いっぱい……」
「ネムも聞いてる。長い」
「俺は必要な説明をしている!」
後方の補助席では、リリカだけが一言も聞き逃さない勢いで筆を走らせていた。
「なるほど……難解な理論を頭だけで受け止めず、全身を机へ預けて身体へ染み込ませる姿勢……!」
「眠くなってるだけだ!」
「私、修行してたの!?」
「今の説明をどう聞けば、そうなる!」
レオンの声で教室中に笑いが広がった。
張り詰めていた空気がほどけ、周囲の白級生徒たちもフィナへ話しかけやすくなったらしい。授業が終わる頃には、炎の温度を保つ感覚や、簡単な生活魔法について教えてほしいと何人も机の周りへ集まっていた。
「私? 理論はレオンの方が詳しいよ?」
「でも、フィナの魔法も見てみたい」
「飲み物を冷やす魔法とか使える?」
「温かくする方も知りたい!」
「じゃあ、みんなの飲み物を作ってみようか」
「待て。何を作る気だ」
レオンが嫌な予感を覚えたときには、フィナは人数分の空の杯を机へ並べていた。
「何が飲みたい?」
白級生徒たちは最初こそ遠慮していたが、フィナが気軽に尋ねると、少しずつ希望を口にした。
冷たい果実水。温かい蜂蜜入りの水。甘さを控えた木の実風味。ぬるめで少量。冷たいが氷は入れないもの。
希望は一人ずつ違っていた。
「分かった。みんなの分のお水!」
フィナが杯へ手を向ける。
透明な水が空中から静かに注がれ、すべての杯を異なる量で満たした。赤、橙、薄緑と色が変わり、果実や蜂蜜の香りが一斉に教室へ広がる。
冷たい杯には表面だけ薄い水滴が付き、温かい杯からは柔らかな湯気が上がる。誰の希望も混ざらず、甘さも量も一人ずつ指定どおりだった。
「すごい。本当に私が言った味だ!」
「こっちはちゃんとぬるい!」
「冷たいのに氷が入ってない!」
生徒たちが嬉しそうに杯を持ち上げる姿を見て、フィナも自分の分を作った。
「私は甘い果実味にしようかな。ネムは?」
「温かいミルク。甘め」
「水魔法の授業から離れているぞ」
「ミルクも水分が多いよ?」
「その理屈で属性分類を広げるな!」
リリカは自分の杯を両手で抱え、感動したように香りを吸い込んでいる。
「全員の好みを一度で記憶し、味、温度、量を完全に分ける……。フィナ師匠は、飲み物を通じて相手の心を理解しているのですね!」
「聞いた希望どおりに作っただけだよ!?」
「それが思いやりというものです!」
「今回は少し普通の解釈だな」
「レオン、慣れてきてない?」
笑い声に満ちた白級教室の外で、一人の少女が足を止めていた。
艶のある髪を整え、黒級の制服を着たエルナ・ヴァレンティアは、廊下から教室の様子を見つめている。
実技試験で規格外の魔法を使った新入生が、筆記成績だけで白級へ配属された。その噂を聞いたとき、エルナは話が誇張されていると思っていた。
だが、今見た水魔法に術式の展開はなかった。
十人以上の希望を同時に処理し、温度も味も量も個別に調整している。生活魔法の形をしているだけで、制御精度は黒級の生徒でも簡単には再現できない。
「何なのよ、あの子……」
思わず漏れた声へ気づき、エルナは唇を引き結んだ。
白級へ直接乗り込み、今の魔法について問いただそうと一歩踏み出す。しかし、教室の中心でフィナは友人たちと笑い、ネムへ温かいミルクを渡し、リリカの杯へ追加の蜂蜜を入れていた。
あまりにも自然に輪の中へ溶け込んでいるため、強い調子で割り込む機会を失ってしまう。
エルナはしばらく扉の前で迷った末、顔をそらして歩き出した。
白級にいるからといって、実力まで白級とは限らない。噂が真実なのか、自分の目で確かめる必要がある。
次の黒級と白級の合同実技授業で、エルナはフィナ・アウセリアの本当の実力を確かめると決めた。




