第一章 11 『一番弟子は決定事項です』
村から学院へ戻る馬車の中でも、リリカはフィナの隣を当然のように確保していた。
ネムが反対側からフィナの袖を掴み、リリカは膝の上で弟子入り届を大切そうに抱えている。向かい側のレオンだけが、人数の増えた車内を現実的な目で見渡していた。
「リリカ、本当に学院まで来るの?」
「はい、フィナ師匠!」
「その呼び方なんだけど、まだ弟子入りは保留で――」
「弟子を焦らせず、自ら答えへ辿り着かせるのですね!」
「違うよ! 今、普通に断ろうとしてたの!」
「拒絶を恐れず食らいつく心も修行の一部……分かりました!」
「分からないまま前へ進んでる!」
フィナが両手を振って否定しても、リリカの瞳から尊敬の光は消えなかった。
むしろ、師匠が自分へ試練を与えていると受け取ったらしく、弟子入り届の裏へ新しい教えを書き始めている。
「《師匠の否定は、より深い肯定への入口》……」
「そんな怖い教え、残さないで!」
「既に弟子の会話になっているな」
レオンが村での調査記録から目を上げずに呟いた。
「なってないよ。私は止めようとしてるの」
「止まっていない」
ネムはフィナの肩へ頭を預けたまま、短く事実を告げた。
「二人とも他人事みたいに言わないで、助けてよ!」
「俺は村へ同行した訓練生を、許可なく学院へ入れる手続きの方を心配している」
「ネムは眠い」
「助ける気が一人もない!」
学院へ到着すると、予想どおり正門でリリカは止められた。
村で起きた魔物襲来への対応、初級火魔法の実力、フィナへ弟子入りを希望している事情まで確認され、四人はそのまま学院内の面談室へ移動することになった。
「弟子入り希望まで説明しなくてもよかったんじゃない?」
「重要な入場目的です!」
「学院は弟子入りを受け付ける場所じゃないよ?」
「では、師匠のそばで修行するための入場です!」
「言い換えても中身が変わってない!」
学院側は、リリカが村で独学に近い形で魔法を練習してきたことを確認した。
魔力量そのものに大きな問題はない。ただし、基礎理論を学ぶ機会が少なく、暴発への恐怖から自分で魔力供給を止めていた。昨日初めて標的へ火球が届いたばかりで、学院の正規授業へ加わるには準備が足りない。
「だからこそ、安全管理と理論教育が必要です」
レオンは村で取った測定記録を机へ並べた。
「リリカの発動自体は安定しています。ただ、感覚だけで修正した状態なので、再び恐怖を感じれば元へ戻る可能性がある。正しい術式と、失敗した場合の対処も覚えるべきです」
「レオン、すごく先生っぽいね」
「必要な説明をしているだけだ」
「私のときより優しくない?」
「お前は理論以前に、発動結果が予測不能だから対応が違う」
「言い方!」
リリカはレオンの説明を熱心に聞き、一つずつ頷いていた。
「レオン先生にもご指導いただけるのですね!」
「先生ではない。俺も学生だ」
「では、副師匠です!」
「勝手に役職を増やすな」
「命名係、副師匠、後始末担当」
ネムが指を折らずに数えた。
「ネム、最後の一つは正式な担当ではない」
「もう担当の顔」
「どういう顔だ!」
フィナは思わず吹き出し、緊張していたリリカも口元を緩めた。
学院側は、リリカの現在の実力を改めて確認するため、訓練場で基礎魔法を見せるよう求めた。その際、弟子入りを希望されているフィナにも、比較用の見本を示す役目が回ってきた。
「私が見本で大丈夫かな?」
「威力ではなく、初級火魔法の安定した発動を見せればいい」
「普通の小さい火だよね?」
「そうだ。分裂させるな。追尾させるな。対象を消すな。神話級素材を持ち出させるな」
「注意が多い!」
「過去の実績に基づいている」
屋外訓練場の中央には、火魔法用の固定標的が一つ置かれた。
レオンは念のため周囲へ結界を張り、ネムはフィナのすぐ隣で枕型の魔導具を抱えている。リリカは手帳と筆を構え、どんな言葉も聞き逃さない姿勢だった。
「では、フィナ師匠! お願いします!」
「見本なんだから、そんなに期待しないでね。小さくて、危なくなくて……せっかくだから、ちょっと綺麗な火にしようかな」
「最後の条件を追加するな」
「だって、普通の火だけだと味気ないよ」
「魔法実演に飾りつけは必要ない」
「でも、リリカが見て楽しい方がいいでしょ?」
フィナは標的へ掌を向けたものの、攻撃する気にはなれなかった。
昨日、初めて火球を届かせたリリカへ、標的を壊す魔法ばかり見せる必要はない。小さくて、熱くなくて、触れても危なくない炎が、花のように開けば綺麗だろうと考えた。
「小さい火、いっぱい咲いて」
指先から一つの炎が零れた。
床へ触れる直前、炎は赤い花の形に開いた。そこから細い光の蔓が伸び、訓練場の石床を這うように広がっていく。
「フィナ、止め――」
レオンが声を上げたときには、既に遅かった。
赤、青、白、紫、橙。色とりどりの炎が次々と花開き、訓練場いっぱいを埋め尽くす。
だが、熱はなかった。
花弁へ触れても暖かさすら感じず、床にも焦げ跡は残らない。炎の花は風に揺れながら、近くを歩く者の足を避け、踏まれそうになると一度閉じて別の場所へ咲き直した。
「わあ……!」
リリカは手帳を持ったまま、目を輝かせた。
ネムは足元に咲いた青い花へ指を差し入れる。炎は指先を包んだが、ローブの袖にも肌にも何の影響も与えなかった。
「熱くない」
「うん。火傷したら危ないから、熱はなしにしたよ」
「炎から熱を除外し、花弁の形状を維持し、接触対象を判断して自律回避までさせたのか」
レオンは額へ手を当て、訓練場全体を見回した。
「初級火魔法の見本を頼んだはずだ」
「小さい火だよ?」
「小さい火が訓練場を花畑にするか!」
「でも、綺麗でしょ?」
「綺麗かどうかと、初級かどうかは別問題だ!」
フィナはレオンの勢いに押され、足元の炎の花を一輪持ち上げた。
手のひらで揺れる花は、光だけを放っている。自分としては、壊さず、燃やさず、誰も驚かせないようにしたつもりだった。
「今回は本当に何も壊してないよ?」
「無害性を付与したこと自体が異常なんだ。炎は本来、燃焼と熱を伴う。形を花へ固定し、熱を完全に切り離した時点で、通常の初級魔法から外れている」
「じゃあ、綺麗にしたかっただけって記録しておいて」
「俺の仕事を一行の感想文にするな!」
その横で、リリカの筆だけは休むことなく動いていた。
「炎でありながら熱を持たず、見る者を傷つけず、道を譲る花……。強さとは、壊す力ではなく、誰かの心を明るくする力でもあるのですね!」
「そこまで考えてないよ!?」
「無意識に深い教えを示されるなんて、さすがフィナ師匠です!」
「誤解がすごい速さで育ってる!」
レオンは結界の内側に残る魔力を測定し、しばらく考えた後で記録板へ正式名称を書き込んだ。
「名称は、無熱燐花〈フロルミナ〉。炎の形状と、熱を持たない性質を記録へ含める」
「無熱燐花〈フロルミナ〉……素敵です!」
リリカは一度聞いただけで、正確な漢字と読みを手帳へ書き写した。
「フィナ師匠の無熱燐花〈フロルミナ〉、絶対に忘れません!」
「むねつ……何だっけ?」
「今、本人が忘れたのか!?」
「後ろがフロ……フロリナ?」
「フロルミナだ!」
「花火で十分」
ネムの一言に、フィナは嬉しそうに両手を合わせた。
「それ、分かりやすい!」
「分かりやすさだけで正式名称を捨てるな!」
「ネムちゃんの命名にも、親しみやすさという深い意図が……!」
「ない。短いだけ」
「ネムはリリカの誤解を育てる前に切るんだね」
炎の花はフィナが手を叩くと、光の粒になって静かに消えた。
リリカも続いて初級火魔法を披露した。昨日より距離を少し伸ばした標的へ火球を放ち、中央から外れたものの、最後まで消さずに命中させる。
学院側は、基礎から学び直す意志と、指示を守って魔法を扱える点を認めた。
正式な学院生ではないものの、リリカは特例訓練生として決められた日に学院へ通うことを許可された。課外活動へ参加する場合は、その都度、教員の同行か学院の許可が必要になる。
「よかったね、リリカ!」
「はい、フィナ師匠!」
「その呼び方だけど……弟子じゃなくて、一緒に練習する相手ならいいからね?」
「一緒に修行を重ねることを正式に許可していただけるのですね!」
「う、うん。でも、弟子としてじゃなくて――」
「ありがとうございます! 一番弟子として、決してご期待を裏切りません!」
「話を最後まで聞いて!」
「もう弟子の顔」
ネムがフィナの袖を掴んだまま結論づけた。
「最初からそうだったがな」
レオンは諦めたように記録板を閉じた。
こうしてフィナには、本人が保留したままの一番弟子ができた。
理論を補うレオン、静かに事実を突きつけるネム、何でも深い教えへ変えるリリカが加わり、四人での騒がしくも温かな学院生活が本格的に始まった。




