第四章 24 『眠る地下都市』
巨大な石門は、近づくほど人のために作られたものとは思えなくなった。扉の合わせ目だけでもフィナの身体が何人も並べそうな幅があり、上端は魔石灯の光を向けても暗闇へ溶けたまま見えない。
表面には長い年月で削れた跡が重なっているものの、門そのものは崩れずに残っていた。
「開くのかな、これ」
フィナが中央の合わせ目を見上げると、レオンはすぐには答えず、門の下部から側面へ視線を滑らせた。
「仕掛けらしいものは見えない。少なくとも、今ここから分かる範囲には」
「押してみる?」
「待て」
フィナが手を伸ばしかけたところで、ガレスの低い声が止めた。
「嬢ちゃんが押す前に、向こう側が安全か見る」
「……はい」
「ちょっと残念そうな顔するな」
「してませんよ?」
「してるわよ」
エルナが即座に横から刺し、フィナは口を尖らせた。
その間にもミアは門の前まで進み、片耳の音響魔導具へ指を添えていた。短い反響を石門へ当てるのではなく、わずかに残った下部の隙間へ送り込み、戻ってくる音をじっと待つ。
「……広い」
数秒後、ミアの黄緑色の目が僅かに見開かれた。
「すごく広い。門のすぐ向こうに壁はない。たぶん、かなり開けてる」
「生き物は?」
「近くにはいない。でも遠くまでは拾いきれない」
ガレスはそれを聞いてからレオンへ目を向けた。
「壊さず開けられそうか」
「合わせ目の下側だけ、土砂が噛んでます。扉自体は動くかもしれません」
レオンが右肩を無理に使わないよう左手を前へ出すと、細い構築術式が門の下へ伸びた。隙間へ詰まっていた砂と小石が少しずつ押し出され、石同士が擦れる低い音が洞窟へ響く。
「フィナ、今度は押していい。ただし、ゆっくり」
「分かった!」
「本当にゆっくりだからな」
「分かってるってば!」
念を押されながら、フィナは巨大な石扉へ両手を当てた。
力を込めても最初は何も動かなかったが、さらに少し押すと、地面の奥から響くような重い音が返ってきた。
「……動いた」
ネムが枕型魔導具の上から目を上げる。
石門が数センチ開いたところで、フィナは一度止まり、周囲を確認してからさらに力を加えた。長い間閉ざされていた左右の扉が、ゆっくりと内側へ開いていく。
隙間から冷たい空気が流れ出した。溶岩地帯に残っていた熱とはまるで違う、乾いた冷気だった。
フィナの髪が僅かに揺れ、開いた門の向こうへ魔石灯の光が伸びていく。それでも照らせるのは、ほんの入口だけだった。
「先、見えないね」
「灯り、増やしますか?」
リリカが杖を上げる。
「頼む。いきなり遠くへ飛ばすなよ」
「はい!」
「——《心火一灯〈カンデリア〉》」
小さな火が三つ浮かび、門の向こうへゆっくり進んだ。
一つ目の光が石畳を照らし、二つ目がその先にある何かの影を浮かび上がらせる。三つ目がさらに高く上がった瞬間、フィナは息を呑んだ。
「……街?」
門の向こうには、道路があった。
ただの通路ではない。幅の広い石造りの道が真っ直ぐ暗闇へ伸び、その左右には建物が並んでいる。崩れている場所もあるが、壁と窓、入口の形がはっきり残り、いくつもの道が途中から枝分かれしていた。
「嘘でしょ……」
エルナの声まで小さくなる。
さらに奥には、塔が見えた。一つではない。高低の違う塔が暗闇の中へ何本も立ち、その間を巨大な橋が渡っている。橋の下には乾いた水路らしき窪みが続き、中央付近には広場のような開けた場所まで見えた。
「地下に……都市がある」
レオンは門を越えたところで足を止め、建物から道路へ、道路から橋へ、その先の塔へと忙しく視線を動かしていた。普段ならすぐ記録板へ手を伸ばすところなのに、今はただ見ていた。
フィナも同じだった。
アクアレイアの深層で見た古い施設は、それだけでも十分に巨大だった。けれど、目の前にあるものは規模そのものが違う。施設ではなく、誰かが暮らすための場所だったように見える。
「家……いっぱいある」
リリカが浮かべた小さな火を少し高くし、道路沿いの建物を照らした。
「窓もあります。あっち、二階建て……その奥はもっと高いです」
「橋も二本じゃない」
カイルが視線を上へ向ける。
「奥にもある。街の中で高さが違うんだな」
都市は平面に広がっているだけではなかった。岩盤の高低差を利用するように道路が何層にも走り、上下を橋や階段が繋いでいる。さらに遠くには、岩壁そのものへ埋め込まれたような巨大建築まで並んでいた。
「ちょっと待って」
ミアがようやく我に返り、慌てて地図を開く。
「待って待って待って、これどこから描けばいいの!?」
「そこから?」
エルナが思わず振り返る。
「驚くところじゃなくて?」
「驚いてるよ! 驚きすぎて今まで地図描くの忘れてた!」
「ミアが?」
カイルの声に、ミアは自分でも信じられないという顔になる。
「私が!」
「それは結構すごいな」
「感心するとこじゃない!」
短いやり取りが広い空間へ響き、遠くから何度も反響して戻ってくる。それだけで、都市の大きさが分かった。
ミアは深く息を吸い、入口となる石門を基準点にして地図へ線を引き始める。道路の幅、左右の建物、最初の分岐、橋の位置を少しずつ書き込むものの、視線は何度も紙から都市へ持っていかれていた。
「無理、情報量多い……」
「順番にやれ」
ガレスは浮かれてはいなかった。
門を越えてすぐの位置から道路の左右を確認し、建物の陰や上層の橋へ視線を配っている。
「街に見えても、今は迷宮と同じだ。角の向こうも、建物の中も分からん」
「隊長、近くの反響は空っぽ」
ミアは地図を抱えたまま音響魔導具を使う。
「少なくとも、この通りの近くには動いてるものはいない」
「なら中央まで出る。ただし建物には入らん」
「了解」
探索隊は負傷者を中央へ置き、慎重に石門を越えた。
足元には細かな砂が積もっており、踏み出すたび、長い間誰にも乱されていなかった灰色の表面へ靴跡が残った。
「本当に誰もいないね」
フィナは声を落とし、道路脇の建物へ目を向けた。
扉が閉じたままのもの、壁だけ崩れたもの、窓の奥が真っ暗なもの。どれにも人の気配はない。
洗い流された水路跡の底には砂が溜まり、道路脇の柱にも灯りは点いていない。遠くまで建物が続いているのに、聞こえるのは探索隊の足音だけだった。
「人がいなくなってから、どれだけ経ってるんだろう」
「今は決められない」
レオンはようやく記録板を取り出し、建物の外壁や石材の接合部を書き留め始めた。
「でも、かなり長い。それなのに形が残りすぎてる」
「頑丈ってこと?」
「それだけならいいんだけどな」
レオンの目は建物を見ながらも、どこか別のものを確かめるように細められていた。
フィナはその横顔を見たが、今は何も尋ねなかった。まだ分からない。その言葉をレオンが何度も使っているのを知っているからだ。
道路を進むと、やがて視界が一気に開けた。
巨大な広場だった。
中央には崩れかけた石造りの構造物があり、そこから放射状にいくつもの道路が伸びている。広場を囲む建物は門近くのものより大きく、さらに奥では何本もの塔が黒い天井へ向かって伸びていた。
「すごい……」
フィナは思わず立ち止まった。
上を見ても、横を見ても、街が終わらない。暗闇の中に眠っているせいで全体像が見えず、それがかえって規模を大きく感じさせる。
フィナがアクアレイアで見た巨大都市は光と水で満ち、人の声が絶えなかった。ここには何もない。道路も、塔も、橋も、広場も残っているのに、それを使う人だけが消えている。
「……静かすぎる」
ネムが枕型魔導具を抱え直した。
その言葉に、フィナも少しだけ胸の奥が冷える。何千人、何万人が暮らせそうな場所なのに、今は誰の足音もしない。
セリアは負傷者の様子を確認しながら広場の端へ移動し、カイルとエルナも不用意に建物へ近づかず、左右の高所を警戒していた。ガレスも都市全体を見渡しやすい場所で足を止め、次の進路を決めるためミアの地図を待っている。
その時、フィナの視界の端で何かが動いた。
「……今」
声に出した瞬間、全員の視線がフィナへ集まる。
「どうした?」
ガレスがすぐ巨大剣へ手を掛けた。
「向こうの塔……何かいた気がする」
フィナが指したのは、広場からかなり離れた場所に立つ一際高い塔だった。
リリカが小さな火をそちらへ向ける。けれど遠すぎる。淡い光が塔の中腹まで届いたところで、闇に呑まれる。
「ミア?」
「待って」
音響魔導具へ意識を集中させるミアの横で、フィナは塔から目を離さなかった。
何も見えず、見間違いだったのかと思いかけた、その時。
塔の最上部近くで、建物の幅を越えるほど巨大な影がゆっくりと横切った。
次の瞬間には再び暗闇へ沈み、無人だと思われた地下都市の遠方に、確かに何かが存在しているという事実だけが残った。




