第四章 23 『石の向こう側』
超大型魔物を倒したあと、探索隊はしばらくその場を離れなかった。
セリアがガレスの肩とカイルの脚を改めて確認し、レオンも右肩を休ませるために座っている。ネムは枕型魔導具を抱えたまま壁際へ寄り、リリカとエルナも水分を取って呼吸を整えていた。
勝った直後に進まない。それが今は、誰に言われなくても当たり前になっていた。
「動ける人から装備確認して」
セリアはガレスの肩へ新しい固定布を巻きながら、周囲へ視線を巡らせる。
「次に同じ規模が来ても、すぐ戦える状態かどうかじゃなくて、歩き続けられる状態かを見て」
「はい」
フィナは自分の鞄を開き、残っている水と保存食、それから服の裂け目を確認した。
大きな怪我はない。けれど腕には重さが残り、長く歩けば脚にも疲れが出るのが分かる。
「フィナ師匠、こっちの留め具、少し緩んでます」
隣で自分の装備を見ていたリリカが、フィナの鞄を指した。
「あ、本当だ」
「今のうちに直しましょう」
「ありがとう」
リリカは自分の予備紐を取り出し、壊れかけた金具を補強していく。以前ならフィナの魔法をどう真似るかで冊子をいっぱいにしていた彼女が、今は深層で生き残るための小さな違和感を先に拾っている。
フィナはその手元を見ながら、少しだけ頬を緩めた。
「フィナ師匠?」
「ううん。何でもない」
休息を終えた頃、ガレスが立ち上がった。
肩にはまだ固定が残っているが、巨大剣を背負う動きに大きな乱れはない。
「行くぞ。今日は距離を稼ぐより、抜けられる地形を探す」
「この先、少し傾斜が緩くなる」
ミアは地図を広げ、直前まで調べていた反響を指先でなぞる。
「それと、奥の響きがちょっと変なんだよね」
「変?」
エルナが眉を上げる。
「広い場所がある感じ?」
「それもある。でも、壁の返り方が揃いすぎてる」
ミアは言葉を選ぶように少し間を置いた。
「天然洞窟って、もっとばらけるんだよ。でこぼこしてるし、音も散る。でも先の方だけ、返ってくる間隔が妙に一定」
「人工物?」
レオンがすぐに食いついた。
「まだ分かんない。だから見に行く」
ミアは地図を畳み、片耳の音響魔導具を押さえたまま先頭へ移動した。
溶岩地帯を抜けると、空気は少しずつ冷えていった。足元の赤い光も遠ざかり、代わりに魔石灯とリリカの小さな火だけが進路を照らす。岩壁は再び灰黒色へ戻り、ところどころに古い崩落の跡が残っていた。
「ここから少し下がる」
カイルが先を見ながら、細い斜面へ足を掛ける。
「滑るから、担架はゆっくり」
「右側の方が安定してる」
ミアがすぐに補足し、ガレスが後方の探索隊員へ手を上げる。
「担架は右。俺が前を持つ」
「肩、使いすぎないで」
セリアの声が飛ぶ。
「分かってる」
「本当に?」
「……なるべくな」
「今の間が嫌」
フィナは思わず笑いそうになったが、前方でミアが急に足を止めたため、すぐに表情を戻した。
「どうしたの?」
「ここ」
ミアは壁際へしゃがみ込み、地面へ灯りを向けた。
一見すると、ただの平らな岩床に見える。けれど近づいて見ると、その表面には不自然な線が走っていた。
「まっすぐだ」
レオンがフィナの隣へ来る。
岩の継ぎ目にも見えるが、線は何メートルも同じ幅を保ったまま続いている。
「自然の亀裂じゃない?」
フィナが尋ねる。
「可能性は低い」
レオンは肩を庇いながらしゃがみ、表面を観察した。
「亀裂なら幅も方向ももっと乱れる。これは揃いすぎてる」
「こっちも」
ミアが数歩先へ移動し、別の場所を照らす。
そこには、平らな石が何枚も並んでいた。多くは割れ、砂や岩片に埋もれている。それでも、元は一定の幅で敷き詰められていたことが分かる。
「道……?」
リリカは小さな火を少し高く浮かべ、周囲を照らした。
光が広がるにつれ、黒い岩の下から人工的な線が次々と浮かび上がる。
「これ、舗装されてたんじゃない?」
エルナも足元へ視線を落とす。
「ずっと奥まで続いてるわ」
「たぶんな」
レオンは立ち上がり、進行方向へ目を向けた。
「まだ何の施設かは分からない。でも、少なくとも誰かがここを通る前提で作った道だ」
フィナはその先を見た。
何百年、あるいはもっと長い時間が経っているのかもしれない。表面は崩れ、ところどころ岩盤に飲み込まれ、それでも道の形だけは残っている。
「誰か、ここにいたんだね」
「少なくとも、作った奴はいた」
ガレスは巨大剣へ手を置きながら、周囲の暗闇を警戒していた。
「浮かれるなよ。人が作った場所が安全とは限らん」
「はい」
フィナが素直に返すと、ガレスは短く息を吐いた。
「嬢ちゃん、そこはもう言わなくても分かる顔になってきたな」
「最初は違いました?」
「最初は何でも触りそうな顔してた」
「そんな顔あります!?」
「あった」
カイルが前を見たまま混ざる。
「俺もそう思ってた」
「カイルまで!」
「今は少しだけ減った」
「少しだけ!?」
エルナが肩を揺らして笑う横で、ネムは眠そうな顔のまま小さく呟いた。
「……まだ触りそう」
「ネムまで!?」
短い笑いが生まれたものの、ミアがさらに奥へ反響音を飛ばしたことで、空気はすぐ探索へ戻った。
「先、開ける」
声を落とし、全員へ手で合図する。
「それと、すごく大きい平面がある」
隊列を整え、舗装跡を辿る。
しばらく進むと、左右の岩壁が急に途切れた。
「……壁?」
フィナは灯りの向こうへ目を凝らした。
前方に、巨大な石壁が立っていた。
洞窟の壁とは明らかに違う。表面がほぼ垂直に揃い、上端は光が届かないほど高い。左右へも長く伸び、ところどころ崩れているものの、一枚の巨大構造物として形を保っている。
「天然じゃない」
レオンの声が少し低くなる。
そのまま壁へ近づき、表面の削れた箇所を確認する。
「石材を積んでる。継ぎ目もある」
「じゃあ、本当に遺跡なんですか?」
リリカの声に、レオンはすぐには答えなかった。
「人工物なのは間違いない。でも、それ以上はまだ言えない」
壁の手前には、さらに奇妙なものが残っていた。
太い柱だ。
一部は倒れているが、立っているものは十メートル近い高さがあり、同じ間隔で並んでいる。表面の装飾はほとんど剥がれているものの、自然にできたとは思えないほど円柱の形が整っていた。
「柱まである……」
フィナは思わず見上げた。
アクアレイアの深層で見た古い施設や、学院地下で感じた異質さが頭をよぎる。
けれど同じだとは思わない。似ているかどうかも、まだ分からない。
「レオン?」
隣を見ると、レオンは壁ではなく柱の基部をじっと見ていた。
「何か分かった?」
「まだ」
返事は短かったが、目は離れない。
「形は人工物だ。それ以上を今決めると、見たいものだけ見ることになる」
「じゃあ、ちゃんと調べる?」
「ああ」
その言葉にフィナも頷き、壁の先へ視線を戻した。
ミアは地図へ新しい線を引き、柱の位置を一つずつ記録していく。
「この辺、足跡もない」
「魔物の?」
「それも。人のもない」
しゃがみ込み、砂の積もり方を確かめる。
「少なくとも最近ここを通った形跡はないよ。かなり長い間、誰も来てないと思う」
「その割には完全に潰れてないな」
カイルが倒れた柱の向こうへ目を向ける。
「深層の揺れがあったのに、まだ残ってる」
「造りが相当頑丈なんだろう」
ガレスは壁の左右を見渡した。
「入口を探す。無理に壊すな」
探索隊は壁沿いに移動を始めた。
ミアが反響で空洞を探し、レオンが壁の構造を確認する。カイルとエルナは少し前へ出るが、互いに離れすぎず、何かあればすぐ戻れる距離を保っていた。
フィナは中央で負傷者の位置を確認しながら進む。
人工物がある。それだけで、さっきまでの自然迷宮とは空気が違って感じられた。
誰が作ったのか。なぜこんな深い場所にあるのか。
考え始めればいくらでも疑問が増える。
「……あった」
ミアの声で全員が止まった。
壁の中央部。
倒れた二本の柱の向こうに、巨大な開口部が見えている。
フィナたちが近づくにつれ、その全体像が少しずつ闇の中から現れた。
それは門だった。
人間用とは到底思えない高さと幅を持つ、巨大な石門。
左右には太い石柱が立ち、上部には崩れかけた梁が渡されている。扉そのものは閉じたままで、表面は長い年月に削られながらも、中央の合わせ目だけははっきり残っていた。
誰もすぐには近づかなかった。
地図のどこにもない未踏深層で、自然岩の迷宮を抜けた先に現れた人工の壁と柱。その中心に残された巨大な石門を前に、探索隊はようやく、自分たちがただ深いだけではない場所へ踏み込んだことを実感し始めていた。




