第四章 22 『大地を受ける者』
溶岩地帯の奥から響いていた足音は、近づくにつれて地面そのものを揺らすようになった。
探索隊が足を止めた場所は、左右を溶岩流に挟まれた広めの黒岩地帯で、背後には負傷者を乗せた担架がある。先へ逃げるにも地形の確認が必要で、全員を連れて走り抜けられる状況ではなかった。
「来る」
ミアが音響魔導具を押さえたまま、暗闇へ顔を向ける。
「大きい。今までのとは比べものにならない」
次の足音と同時に、奥の岩壁から細かな石が落ちた。フィナが目を凝らすと、赤い溶岩の光を遮るように巨大な影が現れる。
四本の脚だけで人間の背丈を遥かに超えていた。黒褐色の分厚い皮膚は岩盤のように隆起し、前脚には巨大な爪、後方には太い尾が引きずられている。肩から背中にかけて盛り上がった巨体は、頭を低くしただけで洞窟の岩棚と同じほどの高さがあった。
「……大きすぎない?」
フィナの呟きに、エルナも珍しく反論しなかった。
「大きすぎるわよ」
超大型魔物は探索隊を見つけると、鼻先から熱い息を噴き出した。前脚が岩床を掻き、その一動作だけで拳ほどの石がいくつも後方へ飛んでいく。
「突進する!」
ミアの声が張る。
フィナはすぐに両手を前へ出しかけた。
強い風なら止められる。火でも水でも、もっと大きな魔法を使えば倒すこと自体は難しくない。
けれど視界の端には担架があった。負傷者までの距離は遠くなく、その後ろには狭い退路しかない。強く吹き飛ばせば魔物だけでなく岩盤まで崩し、溶岩流をこちらへ寄せる可能性もある。
「フィナ、広いのは撃つな!」
レオンも同じ危険を見ていた。
「足場が持たない!」
「うん!」
返事をした瞬間、ガレスがフィナの前を横切った。
巨大剣を両手で握り、超大型魔物の真正面へ立つ。
「ガレスさん!?」
「嬢ちゃんは後ろを守れ」
振り返らない。
「こいつは俺が止める」
魔物が走り出した。
巨体からは想像できない速さだった。一歩ごとに黒岩が砕け、突進の振動で近くの溶岩まで波打っていく。
「——重岩装〈ガルド・ペトリア〉!」
褐色の魔力がガレスの全身へまとわりつき、腕や肩、胸元を岩の装甲が覆った。さらに巨大剣を斜めへ構え、正面ではなく僅かに左へ重心を置く。
「真正面じゃない……?」
フィナが気づいた時には、魔物が目の前まで来ていた。
衝突。
凄まじい音が洞窟を揺らした。
ガレスの両足が岩床へめり込み、靴の周囲から亀裂が走る。それでも吹き飛ばされず、魔物の頭部を巨大剣の腹で受けながら、身体を半歩だけ横へずらした。
突進の勢いが真横へ逃げる。
巨体がガレスの脇を擦るように進み、前脚の片方が僅かに浮いた。
「今だ!」
ガレスの声に、フィナはようやく理解した。
止め切ったのではない。受ける角度を変えて、重心を崩したのだ。
「エルナ、右脚!」
「分かった! ——雷針〈アグハ・ヴォルティア〉!」
雷光が超大型魔物の右前脚へ集中する。広く焼かず、膝にあたる関節だけを何度も撃ち抜いた。
「カイル、左へ回れ!」
「もう行ってる!」
カイルは岩壁を蹴り、溶岩流との境目ぎりぎりを風で駆ける。巨体の左側へ回り込み、浮いた前脚の内側へ槍を叩き込んだ。
風をまとった穂先が硬い皮膚を削り、魔物の身体がさらに傾く。
だが倒れない。
巨体はそのまま前脚を持ち上げ、ガレスへ巨大な爪を振り下ろした。
「上!」
ミアの警告が響く。
フィナは動きかけたが、ガレスの姿勢が変わっていないことに気づいて踏み止まった。
彼は魔物の爪ではなく、肩を見ていた。
「来るならそこだろうな」
爪が落ちる直前、ガレスが一歩踏み込む。
「——地砕踏〈テルガ・ブレイヴ〉!」
足元の岩盤が爆ぜるように盛り上がり、ガレスの身体を横へ押し出した。巨大爪は僅かに外れ、さっきまで立っていた場所を深く抉る。
その反動で魔物の肩が沈んだ。
「呼吸の後に右が来る!」
ガレスの叫びどおり、魔物が息を吐いた直後、反対側の前脚が横薙ぎに飛んでくる。
「レオン!」
「足場出す!」
ガレスの後方に青白い足場が現れた。彼はそこへ片足を乗せ、振り抜かれる爪の上をぎりぎりで越える。
着地するより早く、巨大剣が振り上がった。
褐色の斬撃が肩口へ叩き込まれた。
外皮が割れ、魔物の身体が初めて大きく沈む。
「すご……」
フィナの口から声が漏れる。
魔力の量で押しているわけではない。
動く前の肩。踏み込む脚。息を吐く瞬間。
硬い岩盤と脆い岩盤の位置まで見て、巨体が次にどこへ力を掛けるかを先回りしている。
しかし魔物もただ殴られ続けるほど鈍くはなかった。
咆哮とともに身体を反転させ、太い尾を地面ごと薙ぎ払う。
「全員下がれ!」
ガレスの声に前衛が散る。
尾が黒岩へ激突し、岩盤が数メートル単位で砕けた。破片が後方の負傷者へ向かって飛ぶ。
「レオン、右側!」
「分かってる!」
防壁が担架の前へ重なり、岩片を受け止める。衝撃でレオンの右肩が僅かに下がったが、術式は消えない。
「リリカ、視界!」
「はい! ——心火一灯〈カンデリア〉!」
舞い上がった粉塵の中へ、小さな火がいくつも浮かぶ。照明代わりの炎が巨体の輪郭を映し、尾の動きも再び見えるようになった。
「ネム、次の爪だけお願い!」
フィナが頼むと、ネムは少し疲れた顔のまま片手を上げた。
「……短くなら」
超大型魔物がガレスへ踏み込み、巨大爪を振り上げる。
「……そこ」
一瞬だけ、前脚の動きが鈍った。
完全な停止ではない。
けれどガレスには十分だった。
「助かる!」
爪の下へ自分から入り込み、巨大剣を魔物の胸元へ押し当てる。
停止が解けた瞬間、ガレスはその勢いまで利用して剣を横へ滑らせた。魔物が自分の力で姿勢を崩し、フィナの目の前に側面を晒す。
「嬢ちゃん!」
「うん!」
今なら広く撃つ必要はない。
フィナは魔物の側面だけへ両手を向ける。
「——すごい水!」
巨大な水塊が横から叩きつけられ、巨体の足元を押し流した。
倒れかけた身体を支えようと前脚が開く。
「エルナ!」
「そこね!」
雷撃が関節へ集中する。
カイルも風をまとって側面を駆け上がり、すでに傷ついた箇所へ槍を連続で突き込んだ。
リリカの小さな火も加わる。
高熱地帯で威力は落ちるが、狙うのは硬い外皮ではない。ガレスが切り開いた亀裂へ小さな炎を正確に入れ、内側から熱を重ねていく。
「効いてます!」
「そのまま狭く!」
レオンは防壁を維持しながら、ガレスの進行方向へ足場を一枚だけ差し込んだ。
魔物が立て直そうと首を振る。
その直前、ミアの声が飛ぶ。
「隊長、左後ろ! 後ろ脚に体重移した!」
「分かった!」
ガレスは魔物の正面へ戻らず、左側へ回った。
踏み出そうとした後脚の前へ巨大剣を叩きつける。
踏み場を失った巨体が大きく傾いた。
「今度こそ行くぞ!」
ガレスが一気に間合いへ踏み込む。
巨大魔物も咆哮し、最後の力を振り絞るように前脚を振り下ろした。
ガレスは避けなかった。
《重岩装〈ガルド・ペトリア〉》の岩の装甲を厚くし、巨大爪を肩で受ける。
装甲が砕けた。
膝が沈む。
それでもガレスは倒れず、巨大剣を両手で握り直した。
真正面から振り抜かれた一撃が、魔物の胸部へ食い込む。
「全員、合わせろ!」
フィナの水。
エルナの雷。
カイルの槍。
リリカの火。
ミアの音波。
レオンが作った足場からの援護。
複数方向の攻撃が一斉に重なり、ついに超大型魔物の巨体が支えを失った。
フィナは倒れる方向だけを見た。
後ろには負傷者がいる。
「——強い風!」
最後の風が巨体の肩を押し、倒れる向きを溶岩流とは反対側の空いた岩場へ変える。
轟音とともに、超大型魔物が地面へ沈んだ。
しばらく待っても、もう起き上がらない。
「反響、止まった!」
ミアが確認すると、張り詰めていた空気がようやく緩んだ。
ガレスは巨大剣を地面へ突き立て、その柄へ片手を置いたまま荒い呼吸を整えていた。岩の装甲はほとんど砕け、肩にも血が滲んでいる。
「ガレス!」
セリアがすぐに治療道具を持って近づく。
「座って。肩見せて」
「まだ歩ける」
「その台詞は禁止にしたでしょ」
「……そうだったな」
大人しく腰を下ろしたガレスを見て、エルナが小さく息を吐いた。
「セリアさんには勝てないのね」
「そこは隊長でも同じなんだな」
カイルも槍を支えにしながら、僅かに笑った。
フィナは二人の会話に加わらず、少し離れたところからガレスを見ていた。
自分なら、もっと大きな魔法で倒せたかもしれない。
けれど、あの場所で負傷者を守り、地形を壊さず、仲間の動ける場所を残しながら真正面から巨体を受け止める戦い方を、自分は思いつかなかった。
強いだけではない。
何を見るべきかを知っている。どう受ければ周りが生きるのかを知っている。
フィナは汗で頬へ張りついた髪を耳へ掛け、胸の奥から浮かんできた言葉をそのまま口にした。
「……すごい人だ」
その声は誰かに聞かせるためではなかった。
倒れた巨体よりも、その前で最後まで仲間の退路を背負って立ち続けた背中の方が、フィナの目にはずっと大きく見えていた。




