第四章 21 『灼熱の道』
大型魔物の群れを退けてから、探索隊は負傷者の処置と短い休息を挟み、再び唯一残された通路を進み始めた。
初めは冷えていた岩壁も、歩くほどに少しずつ温度を上げていく。やがて靴底を通して熱が伝わるようになり、フィナが額の汗を拭った頃には、遠くの暗闇が赤く明滅しているのが見え始めていた。
「……暑い」
ネムは枕型魔導具を抱えたまま、普段以上に力の抜けた顔をしていた。
「……寝たら焼けそう」
「絶対寝ないでね!?」
フィナが慌てて振り返ると、すぐ後ろを歩いていたセリアがネムの顔色を確認する。
「眠気より暑さの方がつらい?」
「……今は暑い方」
「水分は?」
「……飲んだ」
「じゃあ次の休憩まで我慢しないで、また飲んで」
ネムが素直に水筒を持ち直したところで、先頭を進んでいたミアが片手を上げた。彼女の向こうから吹いてくる空気には、湿気ではなく乾いた熱が混ざっている。
「広くなるよ。あと……足元、気をつけて」
通路を抜けた瞬間、フィナは思わず息を止めた。
巨大な空洞の底を、何本もの溶岩流が赤々と走っている。黒く固まった岩盤が島のように浮かび、その間を橙色の溶岩がゆっくり流れ、遠くでは岩壁の裂け目から滝のように落ちていた。
「うわ……」
リリカも隣で目を見開いた。
美しいという感想より先に、熱が押し寄せてくる。
一歩踏み込んだだけで喉が乾き、呼吸のたびに熱い空気が入ってくる。足場になっている黒岩も場所によって温度が違い、表面が赤く透けている箇所には近づけそうにない。
「このまま真っすぐは無理だな」
レオンは肩の痛みを庇いながらも、地形を見渡した。
「左側の高い岩棚なら溶岩から距離を取れる。ただし途中で三箇所、足場が切れてる」
「右は?」
ガレスが尋ねる。
「近い。でも温度が高すぎる。負傷者を連れて通る道じゃない」
ミアも反響音を飛ばし、左側へ続く黒岩の形を確かめた。
「私も左がいい。奥まで完全には読めないけど、幅はある」
「そっちだ」
ガレスは即座に決めた。
「嬢ちゃん、水と風は使えるか」
「うん。冷やしすぎない方がいいですよね?」
「分かってるならいい。急に岩を冷やして割るなよ」
「はい!」
フィナは周囲の空気へ意識を向け、探索隊の進路だけに緩い風を通した。熱気を全部吹き飛ばすのではなく、溶岩から上がる熱を左右へ逃がすように流れを作る。
それでも熱い場所には、水を薄い霧にして漂わせた。岩盤へ直接大量の水を掛ければ温度差で足場が割れるかもしれないため、冷やすのは人の周囲だけに留める。
「少し楽になった」
エルナが額の汗を拭いながら、足元へ目を向けた。
「でも地面、走りにくそうね」
「走る気なのかよ」
カイルは長槍を肩へ担ぎ、目の前に続く不規則な岩棚を見た。
「必要なら走るわよ」
「熱い場所でいつもの加速したら靴底終わるぞ」
「分かってるわよ。あんたこそ風で飛んで溶岩に落ちないで」
「今日は落ちたら助けに行かない」
「助けなさいよ!」
「余裕があれば」
「そこは即答しなさい!」
二人の声に、少しだけ隊列の緊張が和らいだ。
ただ、進み始めれば冗談を続ける余裕はなかった。
黒岩の表面には細かな亀裂が走り、踏むたびに乾いた音が返ってくる。レオンが安全な場所には補助足場を重ね、カイルがその先を確認しながら進むことで、担架を運ぶ探索隊員たちも速度を落とさずに済んでいた。
「リリカ、右足元熱い!」
フィナの声に、リリカはすぐ一歩左へ寄った。
「本当です。見た目だと分かりにくいですね」
足元の黒岩は赤く光っていない。それでも杖を近づけると、周囲より明らかに熱の揺らぎが強い。
リリカは少し考えたあと、杖を構えた。
「——心火一灯〈カンデリア〉」
小さな火が一つ浮かぶ。
「火?」
フィナが不思議そうに見る。
「攻撃じゃないです」
リリカは小さな火を地面すれすれへ動かし、ゆっくり前方へ滑らせる。
熱の強い場所へ入った瞬間、小さな炎の揺れ方が変わった。
「熱い場所だと、火の形が少し乱れます。これなら先に分かります」
「なるほど」
レオンは足元の安全を確認しながら、その使い方を見ていた。
「温度を直接測るより早い。先行表示に使えるな」
「やってみます!」
それからは、リリカの小さな火が隊列の前へ進むようになった。
炎が大きく揺れる場所は避け、安定している場所を選ぶ。暗い岩棚では光源にもなり、ミアが地形を確認するための目印にもなった。
「リリカ、その火ちょっと右!」
「はい!」
ミアの声に合わせ、炎が岩壁側へ寄る。
「そこ、道ある。暗くて見えなかった」
「じゃあ二つ置きます!」
左右へ分かれた小さな火が灯りとなり、進路を浮かび上がらせた。
フィナはその様子を見ながら、少しだけ笑う。
火が効く場所なら攻撃。効かないなら別の使い方。
リリカはもう、自分の魔法が通じないだけで立ち止まることはなかった。
その直後だった。
「前、動く!」
ミアの声が鋭くなる。
岩壁の陰から、赤黒い外殻を持つ魔物が数体現れた。全身が熱で赤く染まり、背中の隙間から白い蒸気のようなものを吐いている。
「火、効きそうにないね」
フィナが構える横で、リリカも一度だけ敵を見た。
「なら攻撃には使いません!」
迷いはなかった。
リリカの小さな火が左右へ散る。
敵へ飛ばすのではなく、足場の端や岩壁の高い位置へ固定し、暗い空洞の中へ明暗の差を作った。
「右側、明るくします! 左は暗く残します!」
「視線を寄せるのね!」
エルナは意図を理解すると、明るい側へ顔を向けた魔物の死角へ回り込んだ。
「——雷針〈アグハ・ヴォルティア〉!」
雷光が一本だけ走る。
熱に強い外殻でも、雷撃そのものへの耐性はない。
一体の脚が痙攣し、そこへカイルが岩壁を蹴って跳んだ。
風をまとった槍が首元へ突き刺さる。
残る魔物が二人を追おうとしたところで、リリカが足場近くの炎を少し強めた。
直接焼くためではない。溶岩側から吹き上がる熱流へ小さな変化を与え、敵の前へ熱い空気を流す。
「そっち、見づらいはずです!」
陽炎が濃くなり、魔物の視線が僅かに揺れる。
「十分!」
エルナがその隙へ雷撃を重ねた。
別の一体が横から突進してくるが、フィナの風が身体だけを押して軌道を外す。
「こっち行って!」
そのまま水を薄く広げ、足場周辺の温度だけを下げる。魔物の進路を潰すほどではないが、仲間が踏み込む場所には余裕ができた。
「フィナ、上!」
レオンが作った足場が岩壁沿いへ斜めに続く。
カイルはその一枚を踏み台にして高く跳び、溶岩流の上を越えて反対側へ移った。
「その足場、いいな!」
「使うなら壊すなよ!」
「努力する!」
「努力じゃなく守れ!」
カイルの着地と同時に、魔物が振り返る。
その背中へエルナの雷が落ちた。
フィナも残った二体へ水をぶつけるが、一気に冷やして外殻ごと爆ぜさせるような使い方はしない。足元だけを押し流し、姿勢を崩したところへガレスの巨大剣が入る。
一体が岩床へ沈む。
最後の一体はリリカの火へ反応して正面を向いたまま、横から走り込んだカイルの槍に脚を崩され、エルナの雷撃を受けて動かなくなった。
「終わった?」
フィナが周囲を確認する。
「近くはもういない!」
ミアの返事を聞いて、探索隊はそこで短く息を整えた。
リリカは杖先の火を消さず、そのまま前方の岩棚へ一つずつ配置していく。
「攻撃には全然向かなかったですけど……こっちなら使えます」
「すごく助かったよ」
フィナが笑うと、リリカも少しだけ頬を緩めた。
「はい。効かないなら、効く使い方にします」
その言葉通り、そこから先でもリリカの火は消えなかった。
暗い場所では道を照らし、熱の強い岩では揺らぎで危険を知らせ、味方が通る場所では周囲の熱流を僅かに変える。敵が現れれば明暗を使って視線を誘導し、フィナの風やエルナの雷、カイルの移動を通しやすくした。
しばらく進んだところで、溶岩流はさらに幅を増した。
対岸へ渡るには、途中に突き出した複数の岩柱を使うしかない。
「担架はこっちで固定する」
レオンが空中へ補助足場を組み、カイルが先に岩柱へ飛んで安全を確認する。フィナは下から吹き上がる熱風を横へ流し、エルナが先端の崩れかけた岩だけを雷で小さく砕いて落とした。
「次、渡れます!」
リリカの火が対岸へ灯る。
一人ずつ移動し、最後のガレスが巨大剣を背負ったまま着地した時だった。
足元が震えた。
フィナは反射的に周囲を見る。
「また地震?」
「……違う」
ミアが片耳の音響魔導具へ手を当てたまま、溶岩地帯の奥へ顔を向けていた。
どん、と遠くで何かが落ちるような音がする。
数秒後。
もう一度。
今度は揺れが、はっきり足元まで届いた。
「一定間隔……?」
レオンも耳を澄ませる。
三度目の轟音。
溶岩の表面が波打ち、岩壁から細かな石が落ちた。
それは崩落の連続音ではなかった。
一歩。
また一歩。
あまりにも巨大な何かが歩くたび、地面そのものが震えている。
探索隊の誰も言葉を発さないまま、赤く揺らめく溶岩地帯のさらに奥へ視線を向けた。
暗闇の向こうから響く極端に重い足音は、ひとつずつ確実に、彼らのいる場所へ近づいていた。




