第四章 20 『深層の群れ』
ミアが捉えた反響は、ほどなく全員にも聞こえる音へ変わった。
暗闇の奥で岩を削る足音が重なり、その上へ低い唸りと羽ばたきが被さってくる。夜営場所として使っていた岩窪みは広いが、入口は一方向しかなく、負傷者を連れて逃げながら迎撃できる地形でもない。
「……二十じゃない。奥にもいる」
片耳の音響魔導具へ指を添えたミアは、返ってくる響きを追いながら眉を寄せた。
「三十近い。大きいのばっかり」
フィナが暗闇へ目を凝らすと、まだ姿は見えないのに足元へ震えが届いてくる。
ガレスは一度だけ後方の負傷者たちを確認すると、巨大剣を抜きながら迷いなく岩窪みの入口へ向かった。
「ここで迎える。セリアは怪我人を一番奥へ。レオン、入口を絞れ」
「やります」
レオンが左手を前へ出すと、岩窪みの左右へ構築術式が走った。
広かった入口を完全に塞がず、両端だけへ厚い防壁を張ることで、敵が一度に雪崩れ込める幅を狭めていく。その上方には高さの違う足場が三段浮かび、地上と空中の両方から迎え撃てる形へ変わった。
「中央を残した。ここへ集める!」
「ネムは後ろ。無理に使わなくていいからね」
フィナが振り返ると、ネムは枕型魔導具を抱えたまま防壁の内側へ移動していた。
「……分かってる。危ない時だけ」
その返事とほぼ同時に、暗闇の向こうから最初の巨体が飛び出した。
岩のような外皮と前方へ伸びた二本角を持つ四足獣で、全長は三メートルを軽く超えている。その一体だけでも上層なら討伐隊が組まれそうな大きさなのに、背後から同じ影が次々と現れ、さらに天井近くでは翼を持つ大型種まで旋回していた。
「これが……群れなの?」
リリカの声に緊張が混じる。
「深層じゃ、一体ずつ来てくれると思うな!」
ガレスは踏み込んできた先頭個体へ真正面から向き合った。
「——重岩装〈ガルド・ペトリア〉!」
褐色の魔力が全身を覆った直後、四足獣との衝突音が洞窟を揺らした。
ガレスの足元が沈み、巨体の勢いがそこで止まる。押し合ったまま巨大剣を持ち上げると、肩口へ刃を叩き込み、そのまま一体目を横へ崩した。
ところが、その死体を踏み越えるように二体目が右側へ抜けようとする。
「右、来る!」
ミアの声が飛んだ瞬間、フィナの視界を風が横切った。
カイルが壁面を蹴り、四足獣の側面へ滑り込んでいる。槍が前脚の付け根を貫いて巨体を傾けると、上の足場から雷光が落ちた。
「そこ!」
エルナの雷撃が首元だけを正確に撃ち抜き、四足獣の身体が痙攣して沈む。
「今の私が先でしょ!」
「俺が崩してる」
「戦闘中に数えるな!」
レオンの怒鳴り声へ返す余裕もなく、頭上で複数の光が膨らんだ。
飛行魔物の口元へ魔力が集まり、次の瞬間には六発の魔力弾が角度を変えながら降ってくる。
正面の三発をレオンの防壁が受け止める一方、左右へ回った攻撃にはエルナとリリカがそれぞれ反応した。
エルナは雷を細く絞り、右側から迫る魔力弾だけを撃ち抜く。リリカも複数の小さな火を斜めから当て、正面衝突ではなく軌道をずらすことで、残りを岩壁へ逸らしていった。
「下も来ます!」
リリカの声に重なるように、岩床が盛り上がる。
長い胴を持つ爬虫類型の魔物が何体も飛び出し、濁った魔力弾を連射した。
フィナは正面へ両手を出す。
「——強い風!」
横向きの風が入口を薙ぎ、魔力弾を壁側へ押し流しながら、飛び出した魔物の前列をまとめて転がした。
奥まで全部吹き飛ばせば敵の位置が分からなくなるため、レオンの防壁より手前だけに範囲を絞り、押し返した群れを中央へ寄せていく。
「そのまま左だけ抑えて!」
「うん!」
右ではガレスが前線を支え、カイルとエルナがその外側を高速で走る。敵がガレスへ集中すればカイルの槍が横腹へ入り、そちらを向けばエルナの雷が逆側へ落ちる。
ミアの声が「上」「右奥」「背後」と位置を繋いでくれるため、フィナも戦場すべてを自分で見ようとせずに済んだ。
「フィナ師匠、右へ三体寄せます!」
リリカの周囲に十数個の小さな火が浮かぶ。
狙っているのは撃破ではなく進路で、迫る魔物が嫌がる場所へ一つずつ火を置いていくと、三体の大型種が同じ空間へ押し込まれた。
「今です!」
「——大きい火!」
フィナの炎が三体だけを包んだ。
背後にはセリアと負傷者、左右にはレオンの防壁があるため、必要以上には広げない。炎が消えた時には巨体が重なって倒れ、その向こうへガレスが踏み込んでいた。
「——地砕踏〈テルガ・ブレイヴ〉!」
踏み抜かれた岩床が跳ね上がり、前列の魔物たちが一斉に姿勢を崩す。その隙へカイルの槍撃が連続で入り、反対側ではエルナが雷光を残しながら駆け抜けて、首や関節だけを撃ち抜いていった。
数は減っている。
それでも、フィナがそう感じた直後、群れの奥から重い咆哮が響いた。
「——っ……!」
空気だけではなく、身体の内側まで揺さぶられる。魔力を含んだ圧力に足が一瞬重くなり、リリカの小さな火も軌道を乱した。
「上、降りてくる!」
ミアの警告と同時に、飛行魔物が三体まとめて急降下してくる。
動きが鈍った瞬間を狙われ、このままなら前衛へ同時に突き刺さる。
「ネム!」
「……一瞬だけ」
後方から小さな声が落ちた。
三体の速度が僅かにずれた。
完全な停止ではないが、同時だった襲撃のタイミングが一体ずつに分かれる。それだけでエルナが一体目を撃ち落とし、二体目をカイルが槍で弾き、レオンの足場へ激突した最後の一体にはミアが飛び込んだ。
「——響刃〈ソニア・エッジ〉!」
振動をまとった双短剣が翼の付け根を裂き、魔物が地面へ転がる。
その頃にはネムも手を下ろし、枕型魔導具へ少し深く身体を預けていた。
「ネム、大丈夫?」
「……疲れた。でも、まだ平気」
「次は本当に必要な時だけにしよう」
「……そのつもり」
フィナはそれ以上心配を口にせず、正面へ向き直った。
自分だけではなく、レオンの右肩もさっきより上がらず、カイルの左脚にも僅かな庇いが出ている。ガレスの呼吸も重くなっているのに、残った群れは散るどころか中央へ集まり始めた。
「まとめて突っ込んでくる!」
ミアが叫び、ガレスは巨大剣を横へ構えた。
「ここで止めるぞ!」
フィナも一歩前へ出る。
炎では広がりすぎ、水ならこちらの足場まで流してしまう。今必要なのは、群れそのものではなく突進の勢いを潰すことだった。
「——強い風!」
真正面から圧縮された風がぶつかり、先頭の魔物が後続へ押し戻される。爪を岩へ食い込ませて耐える巨体はまだ前進しようとするが、その足並みは完全に崩れていた。
「フィナ、三秒そのまま!」
ガレスの声が横から届く。
「分かった!」
フィナは風圧を保つ。
三秒目にガレスが巨大剣を構え直したのが見え、合図を待たずに風を切った。
「——震嶺断〈ヴァルガ・ローディア〉!」
押し合う力を失った群れが前へ崩れ、その正面を巨大剣が岩床ごと断ち割った。
左右からカイルとエルナが飛び込み、後方ではリリカの小さな火が退路を塞ぐ。
「フィナ、上へ!」
レオンの足場が前方へ伸びた。
フィナは迷わず駆け上がる。三段目まで出れば、味方を巻き込まず群れ全体を見下ろせる。
「——すごい水!」
巨大な水が上から落ち、散っていた魔物たちを中央へ押し戻した。
そこへエルナの雷とカイルの槍が左右から入り、リリカの小さな火が残った隙間を埋める。最後まで立っていた大型種をガレスの巨大剣が正面から叩き伏せると、戦場の動きがようやく止まり始めた。
「あと二!」
ミアの声を追って、一体をガレスが仕留める。
最後の飛行魔物が天井へ逃れようと翼を広げたが、エルナの雷が片翼だけを正確に撃ち抜いた。落下してきたところへカイルの槍が入った瞬間、暗闇の中から動く反響が消えた。
静かになっても、誰もすぐには歓声を上げなかった。
フィナは空中足場から降りたところで、自分の呼吸が思った以上に荒いことに気づく。周囲には数十体の大型魔物が倒れ、防壁には深い傷が走り、夜営用の魔石灯も一つ完全に壊れていた。
「全員、その場で怪我を確認して!」
戦闘が終わると同時に、セリアが負傷者のところから前へ出てくる。
「カイルは左脚。エルナ、右腕見せて。レオン、その肩で術式使いすぎ」
「分かってる」
「分かってる人の使い方じゃない」
レオンは反論せず、右肩を押さえながら壁際へ下がった。
カイルも槍を支えにして座り、エルナはまだ立っているものの、右腕を軽く振っただけで眉を寄せる。
「嬢ちゃん」
巨大剣を下ろしたガレスの肩も、大きく上下していた。
「立てるか」
フィナは自分の足へ一度だけ力を入れた。倒れるほどではないが、腕も脚も確実に重い。
「立てます。でも、かなり疲れました」
「それでいい。今は隠すな」
「はい」
少し離れた場所では、リリカが杖を抱えるように座り込み、ネムも枕型魔導具へ身体を預けている。
ミアは壁へ背をつけてようやく音響魔導具から手を離し、セリアだけが次々と状態を確認して回っていた。
全員で群れを倒した。誰も欠けていない。
それでも、夜営に入った時より食料も灯りも装備も、何より体力と魔力が減っている。フィナは倒れた大型魔物の群れを見渡しながら、勝てたことより、この先を歩けるだけの余力がどれだけ残ったのかを考えていた。
深層では、敵を倒したところで終わりにはならない。その事実だけが、戦いの熱が引いていく洞窟の中へ重く残っていた。




