第四章 19 『生きて帰るために』
深部へ続く通路を進み始めてから、探索隊は最初に見つけた広い岩窪みで足を止めた。
背後の崩落地点からは十分に距離を取っている。天井にも新しい亀裂は見えず、ミアが周囲へ反響音を送った限り、近くに大型魔物の気配もなかった。
「今日はここで止まる」
ガレスは岩窪みの中央へ巨大剣を下ろし、全員を見回した。
「先が分からん以上、歩けるから歩くはなしだ。今の状態を全部出すぞ」
その言葉を合図に、荷物が一箇所へ集められた。
崩落で鞄を失った者もいれば、中身の一部を落とした者もいる。防水袋に入っていた物は無事だったが、保存食の袋が破れた者や、魔石灯を壊した探索隊員もいた。
ミアは地図を膝へ広げ、使える筆記具と記録石を横へ並べる。
「地図は私のが残ってる。紙は端が濡れたけど、今までの経路は読める」
「現在地は?」
レオンが右肩を庇いながら隣へ座る。
「不明。落下距離が取れてないし、今いる空間が既存地図のどこにも重ならない」
「なら無理に繋ぐな。ここを新しい起点にする」
「そのつもり」
ミアは空白の紙へ現在地を丸で記し、その横へ崩落方向だけを書き込んだ。
「帰り道が見つかった時に繋げる」
少し離れた場所では、セリアが負傷者の確認を始めていた。
脚を折った探索隊員は即席の担架へ横になり、光魔法で痛みを抑えたうえで固定をやり直している。その隣では腕を切った者が包帯を交換されていた。
「カイル、次」
「俺は後でいいよ。歩けるし」
「そういう順番は私が決める」
「……はい」
カイルは諦めたように腰を下ろし、左脚を差し出した。
水竜戦から残っていた打撲に加え、落下時に同じ場所をもう一度ぶつけている。腫れを押された瞬間だけ眉が動いた。
「痛い?」
「少し」
「走ると?」
「たぶん痛い」
「じゃあ明日は全速力なし」
「それ、エルナに言っといて」
向かい側で靴紐を締め直していたエルナが、すぐに顔を上げた。
「なんで私基準なのよ」
「競ってきそうだから」
「怪我人相手にやるわけないでしょ!」
「じゃあ問題ない」
「その勝ったみたいな顔やめなさい!」
「……二人とも静かに」
ネムは枕型魔導具を抱えたまま、岩壁へ背を預けていた。
「ネムが一番疲れてるんだからな」
レオンが記録板から顔を上げる。
セリアもカイルの脚を固定し終えると、そのままネムの前へ移動した。
「今は?」
「……眠い。身体も重い」
「魔法は?」
「……使える。でも、あんまり使いたくない」
「それでいい。今日はもう使わない前提にするね」
ネムは短く頷く代わりに、そのまま枕へ頬を沈めた。
「……寝てもいい?」
「夕食と水分を取ってから」
「……厳しい」
「そこは厳しくする」
フィナはそのやり取りを聞きながら、自分の鞄を開いた。
残っている保存食を全部取り出し、隣のリリカと一緒に数えていく。
「私のは……五食分くらい」
「私も四食分あります。お菓子も少し」
「お菓子は食料に入れる?」
「非常時なので、入れていいと思います!」
妙に力強く答えたリリカの横から、ネムの視線だけがこちらへ動いた。
「……入れる」
「ネムが決めた!」
「……重要」
少しだけ空気が緩んだが、ガレスは全員分の食料が並ぶまで数を止めなかった。
崩落前に救助した探索隊員も含めれば人数は増えている。幸い、全員が最低限の携帯食を持っていたため、すぐに尽きる量ではない。
「節約しすぎるな」
ガレスは保存食の山を見下ろしながら、低く続けた。
「食わずに歩いて倒れたら余計に減る。明日動ける量は食え」
「水はどうします?」
リリカの問いに、ミアが残っている水筒を数えた。
「手持ちだけなら、普通に飲んで一日半くらい」
「じゃあ私が作れば――」
フィナが手を上げたところで、ガレスは止めなかった。
「水は頼む」
「いいんですか?」
「飲める水を作れるなら使う。使えるもんを縛る意味はねえ」
意外な返事に、フィナは目を瞬かせた。
レオンは水筒を並べながら補足する。
「ただし全部を今満タンにする必要はない。重量が増える。それに水があるから何日でも平気、とはならない」
フィナの前に水筒を置き、レオンは他の荷物へ目を向けた。
「食料は減る。治療薬も減る。服も装備も壊れる。俺たち自身も休まないと動けなくなる」
「うん……」
フィナは水筒へ手を翳した。
「——お水」
透明な水が必要な量だけ満たされていく。
それを見ても、以前のように「これで大丈夫」とは思えなかった。
目の前ではセリアが包帯の残量を数えている。レオンの予備記録板は二枚破損。カイルの槍は使えるが、接続部に僅かな歪みがある。
エルナの装備にも裂けた箇所があり、リリカの冊子の一部は泥で読めなくなっていた。ネムは明らかに疲れている。
そして何より、誰も十分に眠っていない。
「水を作れても、全部はどうにもならないんだね」
フィナがぽつりと漏らすと、向かいで装備を点検していたガレスが顔を上げた。
「当たり前だ」
「……ですよね」
「だが、水を確保できるだけでも相当でかい。できることを軽く見る必要もねえ」
その言葉に、フィナは少しだけ背筋を伸ばした。
全部解決できないから意味がないわけではない。自分にできる部分を受け持ち、残りを他の誰かが支える。
ここへ来るまで何度もやってきたことなのに、生きるための管理へ変わると、その重さが違って感じられた。
「照明は?」
ガレスの確認に、ミアが残った魔石灯を並べる。
「まともなのが五つ。弱ってるのが二つ。携帯灯は各自の分を合わせても、ずっと最大出力は無理」
「夜営中は二つだけ点ける」
レオンは壊れた魔石灯の一つを手に取り、内部を確認した。
「一つなら修復できそうだ。魔石自体は割れてない」
「肩、大丈夫?」
フィナが心配して覗き込むと、レオンは左手中心で工具を扱いながら肩を僅かに動かした。
「細かい作業なら問題ない。力を掛けるのは避ける」
「じゃあ私、何か押さえる?」
「それは助かる」
フィナが素直に灯具を固定すると、レオンは接続部だけを慎重に直し始めた。
少し先では、エルナも自分の装備を確認している。破れた袖の端を切り揃えようとしているところへ、カイルが腰を引きずるように近づいた。
「貸して」
「何を?」
「その留め具。割れてる」
「まだ使えるわよ」
「今はな」
カイルは自分の予備金具を一つ取り出し、エルナの足元へ置いた。
「深いところだと、小さい壊れ方を残すと次で全部外れる」
エルナは一瞬だけ黙り、予備金具を拾った。
「……ありがと」
「どういたしまして、主席様」
「そこで余計な一言を足すのよね!」
「元気なら何より」
カイルは僅かに笑い、そのままフィナたちの方へ視線を移した。
学院から来た五人。最初に会った時は、戦闘記録だけが異常に派手な集団という印象が強かったのだろう。けれど今、その目には以前ほどの軽さがなかった。
「——正直さ」
装備の修理を手伝いながら、カイルがぽつりと続ける。
「もっと無茶すると思ってた」
「誰が?」
エルナが即座に聞き返す。
「全員。特にフィナ」
「なんで私!?」
「強い奴ほど、深層で『俺が全部やる』ってなることあるから」
カイルは少し離れたフィナへ視線を向けた。
「でもさっき、救助も治療も道探しも任せてた。ネムも無理な時はちゃんと止まってるし、リリカも戦うより誘導を優先した」
「普通でしょ」
エルナの返事に、カイルは肩をすくめた。
「それができるなら、俺が思ってたよりずっと深層向きだよ」
フィナはその言葉を聞いて、少しだけ嬉しくなった。
強いと言われるのとは違う。魔法がすごいと言われるのとも違う。
ここで生き残るための仲間として見てもらえたことが、妙に胸へ残った。
夜営の準備が整う頃には、岩窪みの端へ二つの魔石灯が置かれ、中央では小さな火が揺れていた。
食事は全員ほとんど同じ量。
負傷者だけはセリアの判断で少し内容を変え、ネムは食べ終わると早々に枕型魔導具へ身体を預けた。
「交代で寝るぞ」
ガレスは壁際へ座り、見張りの順番を決めていく。
「全員が一度に寝るのはなし。ただし負傷者とネムは外す」
「……私も見張りできる」
ネムが目を閉じたまま抗議する。
「今日は寝ろ」
「……隊長まで厳しい」
「セリアよりは優しいぞ」
「……比べる相手がおかしい」
小さな笑いが生まれ、すぐに静けさへ戻った。
フィナは温かい飲み物を両手で包みながら、薄暗い洞窟の奥を見る。
出口は分からない。明日どれだけ歩けるのかも分からない。
けれど今夜は、水がある。食事も取れた。怪我も確認した。
地図も、灯りも、装備も、使えるものと使えないものが分かっている。
それだけで、暗闇の形が少し変わって見えた。
——その時だった。
見張りのため洞窟入口側にいたミアが、突然片手を上げた。
全員の会話が止まる。
ミアは片耳の音響魔導具へ指を押し当て、先ほどまでとは比べものにならないほど長く、暗闇の向こうへ意識を集中させた。
やがて黄緑色の目が大きく見開かれる。
「……隊長」
地図を掴む手に力が入る。
「前から来る。すごい数」
静かだった未踏領域の奥から、重なり合う無数の反響が、波のように探索隊へ近づき始めていた。




