第四章 16 『大深震』
遠くで続いていた地鳴りは、次第に間隔を失っていった。
巨大階段の途中で足を止めた探索隊の周囲を、低い震動が絶えず通り抜けている。足元の砂は細かく跳ね続け、岩壁の亀裂からは小さな欠片がぱらぱらと落ちていた。
「隊長、戻る?」
先頭近くにいたカイルは槍を握ったまま、上方へ続く階段と下方の暗闇を交互に見る。
ガレスはすぐに返さず、片膝をついて岩床へ手を当てた。
「……待て」
「まだ下から?」
ミアは片耳の音響魔導具へ指を添えたものの、顔をしかめてすぐ手を離した。
「駄目。ずっと響いてて、反響が重なる」
その横でネムは枕型魔導具を胸へ抱き、自分の足元を見つめていた。
「……近くなった」
小さな一言が落ちた直後。
世界が跳ねた。
「——っ!?」
フィナの身体が階段から浮く。
次の瞬間には、横殴りのような揺れが巨大階段全体を襲った。
「全員、伏せろ!」
ガレスの声が轟音の中を貫く。
フィナは近くにいたネムの身体を支え、広い段差へ膝をついた。リリカも杖を床へ押し当て、エルナは岩壁側へ身体を寄せて姿勢を低くする。
レオンは片手を階段へ向けた。
「足元、固定する!」
複数の構築術式が展開され、探索隊の周囲へ半透明の防壁と補助床が重なる。
だが揺れは止まらない。岩盤そのものが上下左右へ動き、壁の奥から何かが引き裂かれるような音が響いてきた。
「これ、通路だけじゃない!」
エルナが顔を上げる。
遥か上方から、湖水がぶつかり合うような低い轟音まで聞こえてきた。
「湖も揺れてる……?」
フィナが振り返った瞬間、階段上方の岩壁へ一直線に亀裂が走った。
ひびは瞬く間に天井へ伸び、その奥で巨大な岩盤がずれる。
「——上!」
ミアの警告に全員が視線を上げる。
暗闇の中で、数十メートルはある岩塊が天井から剥がれた。
落下先は階段の中央。その下には探索隊がいる。
「フィナ!」
レオンの声を聞くより早く、フィナは両手を上げていた。
「——強い風!」
下から吹き上げた巨大な風が、落下する岩塊の側面へ叩きつけられる。
止めるのではない。真正面から受ければ、砕けた岩が全員へ降り注ぐ。
「右へ流す!」
フィナが腕を振ると、風向きが斜めへ変わった。
数十メートル級の岩塊が僅かに軌道を逸らし、階段右側の壁へ激突する。
岩壁が爆ぜた。
飛び散った破片が探索隊へ降り注ぐ。
「防壁、二重!」
レオンが歯を食いしばり、既存の結界へさらに術式を重ねた。
大小の岩片が青白い防壁へ連続で衝突し、表面へ波紋のような亀裂が走る。
「左上、まだ来るわ!」
エルナの右腕へ雷が集中した。
「——雷針〈アグハ・ヴォルティア〉!」
頭上から落下してきた人ほどの岩塊を一撃で砕き、そのまま二発、三発と高精度の雷撃を続ける。
大きな岩だけを空中で細かくし、レオンの防壁で受けられる大きさへ変えていった。
「リリカ、前!」
ガレスの声に、後方寄りにいたリリカが杖を構える。
階段の下から、小型魔物の群れが駆け上がってきていた。
灰色の殻を持つ四足魔物や、膜状の翼を持つ小型の飛行種。どれも探索隊を狙っているわけではない。ただ恐慌状態で、上へ逃げている。
「道を空けます!」
リリカが《心火一灯〈カンデリア〉》の小さな火をいくつも展開した。
魔物へ直接ぶつけるのではなく、階段中央へ並べる。
迫ってきた群れが炎を避け、左右へ分かれた。
「右側、二体だけこっちへ来ます!」
軌道を変え切れなかった小型魔物へ、リリカは別の火を二つだけ飛ばした。
脚元の直前で小さく爆ぜた炎に驚き、魔物は方向を変えて階段脇へ逃れていく。
「倒さなくていい!」
ガレスは巨大剣で足元の亀裂を跨ぎながら、全体へ声を通す。
「逃げる奴は逃がせ! こっちは道を確保しろ!」
次の揺れが来た。
一度目より大きい。
巨大階段の一部が数十センチずれ、上下の段差が突然噛み合わなくなる。
「床、割れる!」
ミアは地図を胸元へ押さえながら後退し、亀裂の伸びる方向を目で追った。
「右じゃない! 左側から裂ける!」
「全員、壁から離れろ!」
ガレスが探索隊を階段中央へ寄せる。
直後、左の岩壁が大きく崩れ、黒い空洞が露出した。
そこへ水音が響く。
「え……?」
フィナが顔を向けると、上方から大量の水が流れ込んできた。
地下湖の水だ。
どこかで湖底か水路が裂けたらしく、階段脇の亀裂へ白い奔流となって落ちていく。
「このまま来たら階段が削られる!」
レオンは防壁の一部を水流側へ回した。
「フィナ、流れだけ変えられるか!」
「やる!」
フィナは水へ手を向ける。
「——お水、こっち!」
階段中央へ向かっていた奔流が途中で曲がり、左側の大きな裂け目へ吸い込まれていく。
けれど水量が多すぎる。新しい水が次々と上から押し寄せ、亀裂周辺の岩を削り始める。
「全部止めない方がいいよね!?」
「止めるな!」
レオンは即座に返した。
「湖全体の逃げ道になってる可能性がある! 塞いだら別の場所が破れる!」
「じゃあ流すだけにする!」
フィナは水を消さず、階段へ直接当たる流れだけを逸らしていく。
また天井が鳴った。
「今度は後ろ!」
ミアの声に、探索隊が振り返る。
階段上方で岩盤が大きく崩れ、帰ってきた道へ巨大な岩の塊が雪崩れ込んだ。
「ネム!」
フィナが呼ぶ。
ネムはすでに片手を上げていた。
「……そこだけ」
崩れ落ちる岩の一部が、空中で一瞬だけ止まる。
完全な停止は長く続かない。けれど、その数秒でガレスが前へ出た。
「エルナ! 右の大岩!」
「分かった!」
エルナの雷撃が停止している巨大岩へ集中し、表面から深い亀裂を走らせる。
「カイル、左!」
「任せろ!」
カイルは風をまとって階段を駆け上がり、長槍を亀裂の入った岩へ叩き込む。
複数の岩塊が割れ、空いた隙間へガレスの巨大剣が入った。
「どけぇ!」
力任せの一振りで砕けた岩が左右へ押し流される。
停止が解けた。
残りの崩落が落ちる。
「レオン!」
「張ってる!」
防壁が帰路側へ広がり、細かな破片を受け止めた。
轟音が階段を埋め尽くす。
セリアはその間も後方に留まり、転倒した者や負傷者がいないか全員を確認していた。
「ネム、まだ使える?」
「……今ので疲れた。もう一回なら短く」
「分かった。次は本当に必要な時だけにしよう」
セリアはネムの肩へ触れ、呼吸が乱れていないことを確かめてから周囲へ視線を戻す。
「カイル、左腕!」
岩片を受けたらしく、カイルの袖が浅く裂けている。
「動く」
「あとで絶対見るからね!」
「了解!」
言葉を返しながら、カイルは再び先頭寄りへ戻った。
地震は収まらない。
巨大地下世界全体が、長い眠りから無理やり起こされているようだった。
上からは湖水。下からは逃げてくる魔物。左右では岩壁が割れ、天井からは大小の岩塊が落ち続ける。
それでも探索隊は崩れなかった。
フィナが大岩と水を逸らし、レオンが防壁と足場を維持する。エルナが危険な岩塊だけを雷で砕き、リリカは視界を塞ぐ粉塵の中へ小さな火を浮かべながら、近づく魔物を外へ誘導する。
ネムは疲労を抱えたまま、次に止めるべき場所を静かに見ていた。
「ガレスさん!」
フィナは再び上方を見た。
帰路の先で、階段そのものに太い亀裂が走っている。
「戻る道が……!」
ガレスも振り返った。
その目の前で、湖へ続く巨大階段の一部が沈み込む。
数段。十数段。
連鎖するように岩盤が割れ、探索隊が通ってきた帰還経路が、暗い裂け目の向こうへ次々と崩れ始めていた。




