↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
全魔法が使える私、初級魔法しか使いません  作者: 谷元 黒
第四章 深層迷宮と眠れる大地
104/129

第四章 13 『地の底の湖』



 巨大峡谷を抜けた先で、探索隊を待っていたのは、岩壁でも樹林でもなかった。


 細い下り道を進むにつれて湿った空気が強まり、やがて暗闇の向こうから低い波音が聞こえ始める。フィナが首を傾げながら曲がり角を抜けた瞬間、携帯灯の光が届くより遥か先まで、水面が広がっていた。


「……湖?」


 フィナは思わず足を止めた。


 目の前にある水域は、湖と呼ぶにはあまりにも大きい。右を見ても左を見ても岸が遠くまで続き、正面の対岸は薄い靄の向こうへ溶けている。天井も携帯灯では捉えられず、遥か上の岩肌に付着した発光鉱物だけが、星のように疎らな光を落としていた。


 その光を受けた水面には、小さな波が絶えず打ち寄せている。


「地下なのに波がある……」


 リリカは水際へ近づきすぎない位置でしゃがみ、記録冊子を開いた。


「風で起きてるんでしょうか?」


「それもあるだろうけど、湖自体に流れがあるかもしれない」


 レオンは靴先が濡れない場所に立ち、水面の揺れと空気の流れを交互に確認する。


「どこかから大量に流れ込んで、別の場所へ抜けてるなら、地下でも波はできる」


「海みたいだね」


 フィナがそう口にした瞬間。


 レオンの視線が止まった。エルナも振り返った。リリカは記録冊子から顔を上げ、ネムまで枕型魔導具の上からフィナを見た。


「……なに?」


 四人分の視線を受け、フィナは一歩だけ後ろへ下がる。


「私、まだ何もしてないよ?」


「今のところはな」


 レオンが警戒を隠さず返す。


「ちょっと! アクアレイアの時だって、私が海を逆さにしたわけじゃないからね!?」


「でも水を見た時のあんた、だいたい何か思いつくじゃない」


 エルナは腕を組みながら、水面とフィナを交互に見比べた。


「今回は『底を見たい』とか言わないでよ」


「今言おうと思ってたのに!」


「やっぱり!」


「見るだけだよ!? 水をどかしたりしないよ!」


 フィナが慌てて両手を振る横で、ネムは水面へ視線を戻した。


「……魚、困る」


「しないって言ってるよね!?」


 リリカは真剣な顔で冊子へ一行を書き足した。


「フィナ師匠、水域ではまず生態系への配慮を――」


「私が教えたみたいにしないで!」


 声が湖面へ広がり、少し遅れて暗闇の奥から反響が返ってくる。そのあまりの広さに、フィナは自分の抗議まで途中で忘れ、改めて湖の向こうへ目を凝らした。


 少し離れた岩棚では、ミアが地図を広げていた。湖岸の形を確認しながら、片耳の音響魔導具へ指を添え、短い音を水面すれすれへ飛ばしている。


「対岸、直線でもかなり遠いよ。岸沿いに歩くと、もっとかかる」


 返ってきた響きを確かめたミアは、水際からさらに右側へ視線を動かした。


「でも渡る方法はある」


「船か」


 ガレスが見ている先には、岩壁を削って作られた小さな船着き場があった。


 そこへ係留されているのは木造船ではない。細長い船体を金属と強化木材で組み、底部と側面に複数の魔石機構を備えた探索用魔導船だった。船内には荷物固定用の金具や照明設備まであり、深層探索用に何度も補修された跡が残っている。


「ここまで船を運んだの?」


 フィナが驚いて近づくと、カイルは船体脇の固定具を外しながら首を振った。


「たぶん現地で組んだ。部品を分けて運んで、ここで組み立てるんだよ」


「……それも大変そう」


「だから壊したら困る」


 カイルの半眼がフィナへ向く。


「なんで私を見るの?」


「水の前にいるから」


「理由になってないよ!」


 エルナがすぐ隣で吹き出し、フィナが頬を膨らませる。


 その間にも、ガレスとカイルは船体の状態を確認し、ミアは岸から見える範囲の障害物を地図へ追記していた。


「船底に大きな損傷なし。推進用魔石も生きてる」


 船尾付近を確認したレオンは、魔力回路へ指を触れず、外から流れだけを追う。


「補修跡は多いけど、今のところ動かせそうだ」


「乗る前に全員の状態も見たい」


 セリアは水際から少し離れた場所で、一人ずつ顔色を確認した。


「エルナ、足首は?」


「もう痛くないわ。固定もいらないくらい」


「じゃあ歩行は普通でいい。でも船の上で無駄に跳ばないこと」


「私を何だと思ってるのよ」


「カイルと競争する人」


 セリアの即答に、エルナが詰まる。


 少し先で船へ荷物を積んでいたカイルは、それを聞いて片眉を上げた。


「船の上じゃ競わない」


「分かってるわよ!」


「先に言っただけ」


「その言い方が腹立つの!」


 フィナは二人のやり取りを見ながら笑い、荷物を抱えて船へ乗り込んだ。


 探索隊全員が乗ると、ガレスは荷物を中央寄りへ固定させ、セリアとネムを揺れの少ない位置へ移す。ミアは船首側、レオンは推進機構を確認できる船尾寄りに座り、カイルとエルナは左右へ分かれた。


「嬢ちゃんは中央」


「なんでですか?」


「何か思いついても、すぐ水へ手が届かん」


「ガレスさんまで!?」


 フィナの声を背に、魔導船がゆっくり岸を離れる。


 魔石機構の低い駆動音が響き、水面に細い波が広がった。


 陸が遠ざかるにつれ、湖の印象はさらに海へ近づいていく。岸壁の反射音が消れ、四方を暗い水面だけに囲まれる。遥か上の発光鉱物は頼りないほど小さく、船の照明が届く範囲だけが水上に浮かぶ小さな世界のようだった。


「静かだね」


 フィナが声を落とす。


 ネムは隣で枕型魔導具を抱えたまま、水面をじっと見ていた。


「……下は静かじゃない」


「何かいる?」


「……いっぱい」


 その直後、船の脇を青い光が走った。


 フィナが身を乗り出さないよう気をつけながら覗くと、透明に近い魚の群れが水中を泳いでいる。腹部に細い発光器官があり、一匹が向きを変えるたびに青い線が暗闇へ描かれた。


「わあ……!」


 リリカも反対側から水面を覗き、すぐに冊子へ筆を走らせる。


「発光魚です! 数もかなり多いです!」


「前にも光る魚は見たけど、こっちは全然違うね」


 フィナがアクアレイアの海を思い出して目を細める。


 あの時は空中水路にも海中にも光が満ちていた。今は、船の周囲以外はほとんど闇だ。だからこそ、水中を横切る一匹一匹の光が際立って見える。


「右前、少し揺れる」


 船首側のミアが急に声を抑えた。


「波じゃない。何か通った」


 全員の視線が右前方へ集まる。


 水面が大きく盛り上がり、次の瞬間、一本の水柱が五メートルほど立ち上がった。


「うわっ!」


 フィナが反射的に両手を上げる。


 だが水柱は船へ倒れてこず、その場で砕けて大量の水滴となった。


「攻撃じゃない」


 ミアは音響魔導具へ集中したまま、首を少し傾ける。


「下で何か動いて、水を押しただけ」


「だけであれ?」


 エルナは右手へ薄く雷を集めかけ、すぐに消した。


「水の上で雷は面倒ね」


「撃つなら絶対に位置を確認してからだ」


 船尾側のレオンが推進機構から顔を上げる。


「船体にも魔力回路がある。水へ広く流すなよ」


「分かってるわよ」


 今度のエルナは反論せず、水面へ警戒を戻した。


 それからもしばらく、湖は幻想的でありながら落ち着かない表情を見せ続けた。


 発光魚の群れが船底を横切る。遠くでは何度か水柱が上がる。水面ぎりぎりを淡い光が走ったかと思えば、その下に見える影だけが急に大きくなることもあった。


「さっきの影、大きかったね」


 フィナが船縁から少し離れて座り直す。


「魚?」


「魚なら嫌だな」


 カイルは槍を手の届く位置へ置いたまま、水面を見ている。


「今の、船より長かった」


「カイル、それ早く言ってよ!」


 フィナが慌てて足を船内へ引っ込めた。


「水の中に入れてないだろ」


「気持ちの問題!」


 ミアは二人のやり取りには加わらず、音響魔導具へ意識を集中していた。それまで水面近くへ飛ばしていた音を、今度は船底のさらに下へ落とす。


 数秒。


 黄緑色の目が少しずつ見開かれた。


「……隊長」


 明るさの消えた声に、ガレスがすぐ船首側へ身体を向ける。


「何だ」


「真下に、でかいのがいる」


 ——次の瞬間。


 船の下に広がっていた青い発光魚の群れが、一斉に左右へ散った。


 そのさらに下。


 暗い水中を、ひとつの巨大な影がゆっくり横切っていく。


 端が見えない。


 船体の長さを軽く超え、それでもまだ胴の途中らしい黒い輪郭が、水面から僅かに透けて見えていた。


 誰も声を出さないまま見守る中、その影は探索用魔導船の真下を悠然と通過し、発光魚の光ごと湖の暗闇へ飲み込まれていった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。