第四章 9 『巨樹を駆ける』
地底森林を進み始めてからしばらくすると、さっきまで続いていた発光樹の光が、少しずつ不自然に途切れ始めた。
青や緑に光っていた菌類が途中から枯れ、巨大花も花弁を閉じている。ミアは先頭近くで足を止め、片耳の音響魔導具へ指を添えたまま、周囲へ短い反響音を飛ばした。
「……変」
いつもの軽い声ではない。
「木が多すぎる。っていうか、木じゃないかも」
ガレスが巨大剣の柄へ手を掛け、ミアの視線を追う。
「どっちだ」
「前も、右も、左も。全部繋がってる感じがする」
「繋がってる?」
フィナが眉を寄せた直後、ネムが枕型魔導具を抱えたまま、足元へ視線を落とした。
「……下、動いた」
岩混じりの地面が盛り上がった。
「——散れ!」
ガレスの声が飛ぶ。
直後、フィナたちがいた場所を巨大な根が突き破った。
太さは人間の胴どころではない。数人で抱えても届かないほどの根が地面を裂き、そのまま鞭のように横へ薙ぎ払われる。
「上!」
レオンが両手を振り上げる。
「——連環築壁〈カデナ・フォルティア〉!」
青白い構築術式が空中へ次々と展開され、何もない場所に半透明の足場が浮かぶ。フィナたちは一斉にそこへ飛び移った。
足元を巨大根が通過し、背後の発光樹を根元からへし折った。
「森ごと敵ってこと!?」
エルナは空中足場を蹴り、雷をまとったまま上方へ駆け上がる。
その視線の先では、何本もの樹木に絡みついていた蔓が一斉に持ち上がっていた。
「違う! 森に混ざってるだけ!」
ミアは近くの発光樹へ短剣を突き立て、その柄を足場代わりにして身体を引き上げる。
「本物の木と、動いてる蔓で響きが違う!」
次の瞬間、巨大花に見えていたものが開いた。
花弁の奥から、黄緑色の胞子が大量に噴き出す。
「吸うな!」
セリアが後方から声を飛ばし、口元を布で覆いながら風下へ下がる。
「フィナ、こっちへ吹かせないで!」
「分かってる!」
フィナは風を正面からぶつけず、両手を左右へ広げた。
「——強い風!」
横向きの気流が発生し、胞子の塊だけを探索隊の進路から逸らす。
胞子は左手の空間へ流れたが、そこで数十本の蔓が一斉に膨らんだ。
「風、利用された!」
レオンの声と同時に、胞子を浴びた蔓の表面が裂ける。
そこから無数の棘が伸び、今度は矢のように飛び出した。
「ネム!」
「……三秒だけ」
ネムが片手を上げる。
「——万象静止〈サイレント・レスト〉」
飛来していた棘の一部が、空中でぴたりと止まった。
全部ではない。フィナたちへ直撃する範囲だけだ。
「エルナ、右!」
「見えてる!」
エルナは空中足場から発光樹の幹へ飛び移り、そのまま蹴る。
身体を包んだ雷光が一直線に走り、止まっていない棘の間を縫っていく。
「——雷針〈アグハ・ヴォルティア〉!」
右側の蔓へ高速雷撃が連続で突き刺さり、三本、四本と焼き切った。
しかし切れた蔓は落ちない。
断面から細い蔓が何本も伸び、今度は枝分かれした網のようにエルナへ迫る。
「増えるの!?」
エルナが空中で身体を捻ったところへ、下から風が吹き上がった。
「エルナ!」
カイルだ。
巨大根の上を走りながら槍を振り、足元へ風を集めている。
その風へ乗るようにエルナが身体を浮かせ、絡みつこうとした蔓の上を飛び越えた。
「助かった!」
「借り一つ」
「今ので勝った顔しないで!」
「戦闘中に張り合うな!」
レオンの声が飛ぶ。
彼は空中足場をさらに増やし、今度は一列ではなく高さをずらして配置していた。
「上段はエルナとカイル! 中段をフィナ、下はガレスさん! 足場は五秒ごとに組み替える!」
「五秒!?」
フィナが目を丸くした瞬間、足元の足場が横へ滑った。
「説明と同時に動かさないで!」
「止まったら捕まる!」
巨大根が下から突き上がる。
フィナは滑る足場を蹴り、隣の発光樹へ飛び移った。
その瞬間、リリカの小さな火が頭上を通過する。
「フィナ師匠、右上空けます! ——心火一灯〈カンデリア〉!」
リリカは地上近くの安全な位置から、十数個の小さな火を別々の軌道へ飛ばしていた。
蔓そのものを焼き払うのではない。フィナの進行方向へ伸びてくる細い枝だけを選び、着弾時間をずらして焼き切っていく。
「ありがとう!」
フィナは空いた隙間へ飛び込んだ。
そこで、森の中央に巨大な塊が見えた。
何十本もの幹と蔓と根が寄り集まり、まるで一つの塔のように蠢いている。
「中心、あれ!?」
フィナの声に、ミアが樹上から反響音を飛ばす。
「中心ではある! でもそこだけ壊して終わりじゃない!」
ミアはすぐに首を振った。
「地下の根が広すぎる! あそこ潰しても、周りがまだ動く!」
「じゃあ全部止めるしかないね!」
「そういうこと!」
巨大植物魔物が形を変えた。
塔のようだった幹が左右へ割れ、その隙間から巨大な花弁が開く。
今度の胞子は黄緑ではない。紫色の濃い霧が、広範囲へ噴き出した。
「毒、濃い!」
セリアは後方から全員の位置を確認し、退避できる木の根元を指した。
「低い場所に溜まる! 上へ!」
「全員、足場上げる!」
レオンの構築術式が一斉に上昇する。
フィナたちは巨大樹の中腹まで駆け上がり、ガレスも地面へ巨大剣を突き立てた。
「——地砕踏〈テルガ・ブレイヴ〉!」
ガレスが岩床を踏み砕く。
盛り上がった地面が斜面となり、その上を駆けて巨大根へ飛び乗った。
「正面は俺が開ける!」
褐色の魔力が両腕へ集まり、巨大剣へ流れ込む。
「——岩穿剣〈グラド・ロクシア〉!」
正面から振り抜かれた一撃が、束になって迫る蔓を数本まとめて叩き潰した。
だが植物魔物も止まらない。
地面から新たな根を突き上げ、ガレスの足場を崩しにかかる。
「隊長、左下!」
カイルが空中足場を蹴り、槍を下向きへ構える。
風をまとった刺突が根の側面へ突き刺さり、進行方向をずらした。
そのままカイルは槍を支点に身体を回し、別の蔓へ着地する。
「エルナ!」
「分かってる!」
エルナはその蔓の反対側から駆けていた。
二人がすれ違う瞬間、カイルが槍で蔓を持ち上げ、エルナが至近距離から雷を叩き込む。
爆ぜた蔓が途中から裂け、二人は別々の樹木へ飛び移った。
「今の私の方が速かった!」
「着地は俺が先」
「そこ競う!?」
フィナが思わず声を上げた直後、背後で枝がしなる音がした。
「フィナ、後ろ!」
ミアの警告に反応し、フィナは身体を捻る。
棘付きの蔓がすぐ目の前まで迫っていた。
「——小さい風!」
短い突風を一点へ当てる。
蔓だけが横へ弾かれ、その隙間へミアが飛び込んだ。
「——響刃〈ソニア・エッジ〉!」
双短剣へ振動がまとわりつき、弾かれた蔓を連続で切り裂く。
「ありがと!」
「こっちも!」
ミアは着地と同時に再び音を飛ばし、周囲の蔓の動きを読む。
「右から三本! 下から根! 上は今空いてる!」
「上だね!」
フィナは発光樹を蹴ってさらに高く飛ぶ。
そこへレオンが新しい足場を二枚だけ作った。
「そのまま正面へ! フィナの風なら、胞子を上へ逃がしながら押せる!」
「うん!」
フィナが両腕を前へ向ける。
目標は植物魔物全体。ただし、森を根こそぎ吹き飛ばすわけにはいかない。
「——強い風!」
圧縮された風が正面から叩きつけられた。
巨大植物魔物の蔓と花弁が一斉に後方へ押し込まれ、毒胞子は上方へ巻き上げられる。
しかし植物魔物は根を地中へ深く食い込ませ、耐えた。
さらに中央の幹が太く膨らみ、風を受ける面積を減らすように花弁を閉じていく。
「形変えた!」
「なら閉じたところを叩く!」
ガレスの声に、全員が動いた。
カイルが右側から槍を連続で突き込み、エルナが左から高速雷撃を重ねる。
リリカは小さな火を幹の周囲へ円形に配置し、蔓が伸びるたびに順番をずらして爆ぜさせた。
ネムは飛んできた棘だけを一瞬止め、ミアがその隙に音波で蔓の内側を震わせる。
「まだ立つ!」
ミアの声通り、植物魔物は再び形を変えた。
巨大な根が地上へ持ち上がり、今度は森全体を押し潰すように横へ迫ってくる。
「正面から行くぞ!」
ガレスが巨大剣を構える。
フィナも隣の空中足場へ降りた。
「私も合わせる!」
「嬢ちゃん、森ごとは飛ばすなよ!」
「分かってます!」
レオンが複数の足場と補助結界を一直線に組み、全員の射線を確保する。
「——今だ!」
ガレスの巨大剣。
カイルの槍。
エルナの雷。
ミアの音波。
リリカの小さな火。
そしてフィナの風。
七方向から放たれた攻撃が、迫る巨大根と正面から衝突した。
轟音が地底森林を揺らす。
押し返された根が砕け、その奥にあった幹も耐えきれず裂ける。
最後まで動いていた蔓が何本も空中へ跳ねたあと、巨大植物魔物の全体がようやく力を失った。
巨大な花弁が閉じ、根が地面へ沈む。
戦闘が終わっても、誰もすぐには武器を下ろさなかった。
ミアが周囲へ音を送り、セリアが毒胞子の流れを確認し、ガレスが退路を見直す。
「動く反響なし!」
「毒胞子も下がってる。今なら進める」
セリアの確認を受け、ガレスがようやく巨大剣を背へ戻した。
フィナも肩から力を抜き、周囲を見る。
発光樹の何本かは折れ、地面には砕けた根が散らばっている。それでも進行方向には、暗い森の先へ続く道が残っていた。
探索隊は呼吸を整え、傷んだ装備だけを簡単に確認すると、倒れた植物魔物の領域を抜けて先へ進み始める。
やがて密集していた発光樹が途切れ、背後の森の光が少しずつ遠ざかっていく。
何度も形を変えて襲いかかってきた巨大植物を正面から押し切り、探索隊はようやく巨大地底森林の向こう側へ足を踏み出していた。




