第5話 朝食を選ぶ
タワー暦1199年 11/15 | ミナト・住居/共同食堂
最初の朝、タツオは食事を取り損ねた。
住居には調理設備があった。使い方の説明もある。だが昨夜、研究機関の一覧を読んでいるうちに、食材を手配する必要を忘れた。
十一時四十分まで待つ理由はなかった。それでも時計がその時刻になるまで、空腹を予定のずれとして扱っていた。
共同食堂には六種類の献立があった。
栄養表示を比べ、価格を比べた。どれも致命的な違いはない。違いがないなら選べるはずなのに、どれを押しても、ほかにもっとよい選択があった気がした。
後ろの人が咳払いをした。
「すみません」
謝って脇へ寄ると、その人は一度も迷わず一番上を押した。
タツオも同じものを買った。味は悪くなかった。それでいて、少し負けたような気分になった。
住居へ戻ると、移行支援担当から連絡があった。
給付の受取口座、医療の登録、緊急時の連絡先。順番に確認すれば終わる手続きだった。タツオは安心し、必要以上に丁寧に答えた。
「生活上、困っていることはありますか」
「ありません」
冷蔵庫は空だったが、それを困り事として申告するのは違う気がした。
給付の説明には、困ったときの相談例も載っていた。食事の確保、契約への不安、生活時間の乱れ。自分に当てはまる項目が三つもあった。
タツオは画面を閉じかけ、食事の欄だけ開いた。栄養を完全に計算してから買う必要はない。数日分の主食と、調理せず食べられる食品から始めてもよい、とある。
拍子抜けするほど単純だった。
窓口へ短い質問を送った。共同食堂だけを使ってもよいか。返事は、費用と営業時間が合えばよい、だった。
どちらか一つを正解にしてほしかったわけではない、と自分に言った。だが正解がないとわかっても、すぐには気持ちが楽にならなかった。
住居の壁に、前の人が留め具を外した小さな跡があった。整備された室内で、そこだけ少し色が違う。何を掛けていたのだろう。予定表か、絵か。
タツオは自分の予定を壁へ映そうとして、やめた。記入することが少なすぎた。起床、食事、研究応募。その三つだけでは一日が広すぎる。
箱から歪んだ球を出し、机の端へ置いた。安定の悪い球は、一度転がって、端末の角にぶつかった。
「そこじゃない」
一人で言ってから、誰にも聞かれていないことに気づいた。位置を少し変える。今度は止まった。
それだけのことで、部屋に自分の物がある感じがした。
午後は研究機関への応募書類を書いた。
学習歴は長かった。基礎物理、材料、軌道解析、観測誤差の推定。評価を添えると、一覧は何頁にもなった。
実務経験の欄は空白になった。
研究の用途を説明する欄には、補正式を書いた。想定する利用者という項目で手が止まる。
航行をする人、と入力し、削除した。
五十年間、問題の前提は先生が与えた。誰が何のために使うかは、問われたことがない。
レンから短い連絡が来た。箱の留め具を回収したいという。
「今からでいい?」
「いいよ」
レンが着いたのは二十三分後だった。今から、という言葉には幅があった。
部屋を見回したレンは、流しの乾いた食器を見た。
「飯は」
「食べた」
「何を」
「共同食堂の、一番上のもの」
「明日は?」
「まだ決めていない」
レンは頷き、留め具を袋へしまった。それから自分の端末を出し、近くの食材店を表示した。
「この店、遅くまで開いてる。金があるうちに、食べるものだけ置いとけ」
「給付はある」
「じゃあ、なおさらだ」
説明は正しかった。口調が少し乱暴なだけで。
タツオは応募書類を見せた。レンは数式のところを飛ばし、最後まで目を通した。
「これで、何ができるんだ?」
「経路の再計算を効率化できる」
「何が助かる?」
「計算時間が短くなる」
「誰の?」
タツオは黙った。
レンは書類を返した。
「悪い。わからない奴が聞いた」
謝られると、腹を立てる場所がなくなった。
その夜、食材店で三日分の食料を買った。選ぶのに時間がかかり、帰り道には荷物が重かった。
窓の外に、タワーの灯が見えた。
あの灯の中では、夕食がもう終わっているはずだった。




