第3話 署名
タワー暦1199年 11/04 | 第一タワー・最上階
外部居住の説明担当者は、人間だった。名前を名乗り、タツオの名前を一度言い間違え、訂正した。
その小さな間違いが、タツオには気になった。
支援住居は一年を一区切りに更新される。基礎医療は継続する。生活給付は移行期間中に支給され、収入に応じて調整される。仕事は自分で探すが、紹介窓口もある。
「戻りたくなったら?」
「タワー内の欠員へ応募できます。ただし、今回提示された仕事が残っているとは限りません」
「外を選んだ記録が、不利になりますか」
「選択そのものは不利にしません。経験や、職務に必要な技能は審査します」
永久に扉が閉じるわけではない。そのことは安心だったし、少し拍子抜けでもあった。
外部の施設一覧には、小規模な研究室や企業、設備共同利用の窓口があった。恒星間航行という語を検索すると、いくつも結果が出た。
ここにある。
タツオはその数を、機会の数として数えた。募集条件の細部は、後で読めばいいと思った。
説明担当者は、卒業研究の評価だけでは採用が決まらないと付け加えた。タツオは頷いた。一般的な注意事項は、誰にでも同じように説明するものだ。
説明会の終わりに、担当者は見学者用の住居映像を流した。一室ごとに家具の配置が違った。壁をほとんど空けている人もいれば、食卓が紙と機械の部品で埋まっている人もいた。
「整理の指導は、ないんですか」
後ろの席から質問が出た。
「避難経路を塞がないことなど、共同生活の規則はあります。それ以外は、ご本人の使い方です」
笑う学生がいた。タツオも笑いかけたが、自分も同じ疑問を持ったと認めざるを得なかった。部屋は、目的に合わせて整えられるものだった。整っていないことにも本人の意思があるとは考えなかった。
次の映像では、外の住民が仕事を探した経緯を話していた。最初の勤務先を一年で辞め、別の技能を習ったという。
「なぜ、最初に適性を調べなかったんですか」
タツオは尋ねた。
担当者は映像を止めた。
「調べても、やってみて初めてわかることがあります」
「一年は、無駄にならないんですか」
「その方がどう考えるか、だと思います。今の仕事に役立ったとも話しています」
タツオは、一年という長さを思った。自分なら研究をどこまで進められるだろう。外へ行けば、その一年を自分で使える。失敗の説明を聞いているのに、自由な研究時間のことを考えていた。
資料の末尾には相談の連絡先が並んでいた。彼は保存し、まず研究施設の一覧へ戻った。
選択の日、窓際の卓には二十四人分の端末が置かれていた。
残留を申し込む者が多かった。外へ行く者も、知り合いと近い住居を希望していた。タツオは研究施設へ通いやすいという説明のあるミナトを選んだ。
確認項目の最後に、理解できないことを残していないか、とあった。
ない、を押しかけて、指を止める。
「先生。僕の研究は、外で必要になりますか」
「あなたの知識と成果が利用される可能性はあります」
「前には、必要になると言いました」
「学習内容の社会的な有用性について説明しました」
意味は似ている。けれど同じではなかった。
「先生は、僕に何をさせたかったんですか」
「あなたが課程を修了し、社会で生活できるよう支援することが、私の担当業務です」
先生の指に、小さな傷があった。タツオが子どもの頃、工作用の接着剤をつけた場所だった。その指は何度も交換されている。傷も違うはずなのに、同じものに見えた。
先生に何を期待しているのか、自分でもわからなかった。外へ行くことを勧めてほしいのか。ここへ残れと、引き留めてほしいのか。
「迷っている場合、署名は保留できます」
「迷ってはいません」
言ってから、そうなのだと思うことにした。
タツオは外部移住の欄に署名した。
受付が完了すると、端末に小さな音が鳴った。試験の合格を知らせる音に似ていたが、画面には評価がなかった。
ミオはすでに契約の事前確認を終えていた。
「決めた?」
「うん。ミナト」
「近いのね。連絡して」
「研究が始まったら、報告するよ」
「始まる前でも、連絡して」
彼女は布の袋から飴を一つ出した。タツオは受け取り、何の味か尋ねた。
「食べてみれば?」
薄い包みを開いた。甘さのあとで、知らない酸味が舌の端に残った。
窓の外は曇っていた。建物の輪郭は、初日に見たときよりも曖昧だった。それでも街が消えたわけではない。
タツオは自分の署名を、もう一度確かめた。




