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重力はラグでした。物理準備室で宇宙を処理落ちさせたら、国立研究所と黒服が来た件  作者: みんとす
第一章 重力はラグでした。物理準備室で宇宙を処理落ちさせたら、国立研究所と黒服が来た件
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第6話 重力は資源である

 そこからの日々は、ひどかった。


 まず、琴音は普通の高校生活を失った。


 朝は学校。

 昼は授業。

 放課後は物理準備室ではなく、国立時空情報研究所の臨時ラボ。

 夜は補習という名の安全保障ブリーフィング。

 土日は、御厨の会社の技術者たちと実用化会議。


 母には「研究協力」と説明された。


「何の研究?」


 と聞かれて、琴音は少し考えた。


「重力」


 母は数秒黙ったあと、


「夕飯までには帰ってきなさい」


 と言った。


 母は強かった。


 研究所では、瀬尾の装置が分解され、再構築された。


 名称は、正式にはこうなった。


 局所情報重力発生装置

 Local Information Gravity Generator


 通称、LIGG。


 琴音はそれを聞いて言った。


「名前が弱い」


 御厨は言った。


「商品名は別につけましょう」


 有馬は言った。


「商品にしないでください」


 しかし、研究は進んだ。


 琴音たちは、瀬尾の再帰シミュレーションを完全には再現しなかった。危険すぎるからだ。代わりに、情報密度を制御した小規模な幾何演算場を作り、ミリメートル単位の擬似重力勾配を発生させた。


 最初の実験では、針のように軽い炭素繊維片が、装置に向かって動いた。


 次の実験では、水滴の落下時間が、わずかに変わった。


 その次には、レーザー干渉計の位相がずれた。


 有馬は泣きそうな顔でデータを見た。


「出ている」


「出てますね」


「質量なしで、計量が変化している」


「宇宙、嫌がってますね」


「高梨さん、その表現は論文では使わないでください」


 琴音はホワイトボードに書いた。


 重力=局所更新率の勾配


 その下に、御厨が勝手に書き足した。


 推進=宇宙の計算順序をずらすこと


 有馬が消した。


 御厨がまた書いた。


 有馬がまた消した。


「仲いいですね」


「よくありません」


 二人は同時に言った。


 だが、技術の方向性は固まっていった。


 宇宙船の前方に、高密度の情報幾何場を作る。

 宇宙OSはその領域の整合性を優先的に処理する。

 船体は、その更新率勾配へ向かって落ちる。

 後方には逆位相の低負荷領域を作り、船体全体の潮汐差を打ち消す。


 御厨はそれを、こう呼んだ。


 LAG Drive

 Local Algorithmic Gravity Drive


 ラグ・ドライブ。


「重力はラグである、から?」


 琴音が聞くと、御厨は胸を張った。


「投資家に説明しやすいでしょう」


「怒られますよ」


「誰に?」


「宇宙に」


 冗談のつもりだった。


 だが、その夜、研究所のログに、奇妙な応答が残った。


 USAGE PATTERN DETECTED


 たった一行。


 発信元不明。

 形式は、あの物理準備室のログと同じ。


 黒服の男が、深夜に研究所へ来た。


「頻度が上がっています」


「何の?」


 琴音が聞くと、男は答えた。


「上位応答です」


 有馬は険しい顔をしていた。


「我々が実験するたびに?」


「はい」


「監視されている?」


「あるいは、請求対象として記録されている」


「請求?」


 琴音は眉を寄せた。


 黒服の男は、冗談のような声色で、冗談ではないことを言った。


「宇宙の処理資源を使っていますから」


 二人が帰ったあと、研究所の窓の外はもう暗かった。


 琴音は、コーヒーを淹れに席を立った有馬の背中に声をかけた。


「有馬さん」


「はい」


「やめたほうがいい、と思ってますか」


 有馬は手を止めた。

 ケトルから、湯気が静かに立ち上っていた。


「思っています」


「でも続けてる」


「続けています」


「なぜ」


 有馬は、ようやく振り返った。


「瀬尾くんの理論が、好きだったからです」


 琴音は黙って続きを待った。


「彼が研究所に送ってきた最初のメールを、最初に開いたのは私でした。当時、誰もまともに取り合わなかった。高校生のいたずらだと笑った人もいた。私だって笑いかけた。でも、添付の数式を見て、震えました」


「数式が」


「ええ。世界の説明として、きれいだった。きれいすぎた」


「だから怖い」


 有馬は、頷いた。


「きれいな仮説には、たいてい代償があります。私は、その代償を見たくない。でも、見ないわけにはいかなくなった」


 ケトルが鳴った。


 有馬はカップにコーヒーを注ぎながら、独り言のように言った。


「私は、研究者として失格かもしれません。怖いと思いながら、続けているので」


 琴音はマグカップを受け取った。


「私もです」


 有馬は、小さく笑った。


「仲間ですね」


「あんまり嬉しくない仲間ですけど」


 窓の外で、研究所の駐車場の灯りが、白く滲んでいた。

 その光が、ほんの一瞬だけ、揺らいだような気がした。


 琴音はマグカップを両手で握った。

 コーヒーは熱かった。

 熱さは、ちゃんと感じられた。


 まだ世界は、ちゃんと動いている。

 ちゃんと動いているうちに、できることをするしかない。


 琴音はそう、自分に言い聞かせた。


 そのとき、有馬がふと、デスクのモニタに目をやった。


「……高梨さん」


「はい?」


「あれ、見えますか」


 琴音は、有馬が指す画面に視線を移した。


 実験ログのウィンドウ。

 日付順に並んだ試行の一覧。


 その下のほうに、まだ実行していないはずの行が、すでに表示されていた。


 第十七回試行・成功。

 タイムスタンプは、十二時間後。


 二人は、しばらく無言だった。


「……結果が、先に来てる」


「過去ログには、ありませんよね」


「ありません」


 有馬の顔が、青かった。


 マグカップの中で、黒い液面が、ほんのわずかに、震えていた。


「世界の方が、私たちを少しだけ、追い越し始めています」

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