第5話 黒服たちの金曜日
その週の金曜日、琴音の高校は異様な空気に包まれた。
まず、物理準備室が封鎖された。
扉には「設備点検中」と貼られたが、設備点検にしては廊下に立っている警備員の肩幅が広すぎた。
次に、校門の前に報道陣らしき人々が現れた。
誰かが漏らしたのだ。
SNSには、すでに奇妙な投稿が出回っていた。
某高校で重力異常?
物理準備室にブラックホール?
JKがアインシュタインを超えた?
「JKって書けば何でもクリックされると思ってるでしょ」
琴音はスマホを見ながら呟いた。
昼休み、彼女は有馬に呼ばれて、空き教室に入った。
中には、有馬と、黒服の男がいた。
それから、見慣れない若い男が一人。派手なスーツを着ている。研究者にも官僚にも見えない。
「この人は?」
琴音が聞くと、若い男はにこやかに名刺を出した。
「株式会社オービタル・キッチン代表、御厨です」
「宇宙で料理する会社ですか」
「最初はそういう予定でした」
「予定だったんだ」
「今は、宇宙輸送インフラの会社です」
怪しすぎる。
琴音は有馬を見た。
「なんで民間企業の人がいるんですか」
有馬は渋い顔をした。
「研究予算には、現実という重力があります」
御厨は悪びれずに笑った。
「高梨さんの発見には、商業利用の可能性があります」
「昨日の今日で?」
「昨日の今日だからです。国家が封じる前に、民間が走らないと」
黒服の男が言った。
「封じるとは言っていません」
「活用するとも言ってないでしょう」
「安全保障上の検討が必要です」
「つまり封じるということです」
有馬が机を叩いた。
「二人とも、高校生の前で国家と資本主義の醜い部分を見せないでください」
「もう遅いです」
琴音は椅子に座った。
「で、何の話ですか」
黒服の男が、タブレットを置いた。
昨日のログが表示される。
EXCEPTION HANDLED BY HOST
「問題は、このHOSTです」
「宇宙のホスト?」
「そう解釈する者もいます」
「他には?」
「外部観測者。上位システム。メタ宇宙。神。管理者。運営。いろいろです」
「運営」
琴音は変なところに引っかかった。
黒服は続けた。
「我々は、未定義現象監査室という部署に所属しています」
「本当にそういう名前なんですか」
「正式名称はもっと長いですが、誰も覚えていません」
「でしょうね」
「我々は、物理法則の例外ログを監視しています。観測結果の不整合、因果履歴の局所的欠損、存在しないはずの通信応答、そういったものです」
「都市伝説みたい」
「都市伝説の一部は、事務処理の遅れです」
有馬が眉間を押さえた。
黒服は真面目な声で言った。
「高梨さん。あなたが昨日送った自己言及パケットは、装置を停止させただけではありません。宇宙の実装層に、例外通知を発生させました」
「それでHOSTが返事した」
「はい」
「つまり、私たちの宇宙はシミュレーションなんですか」
沈黙。
有馬が答えた。
「断定はできません。ただ、物理法則が何らかの情報処理的基盤を持つ可能性は、否定できなくなった」
御厨が身を乗り出した。
「大事なのはそこじゃありません」
「そこじゃないんですか」
「そこは哲学者と宗教家に任せればいい。大事なのは、再現できるかです」
有馬が睨む。
「御厨さん」
「だってそうでしょう。局所的な時間遅延を、質量なしで作れる。つまり重力場を作れる。重力場を作れるなら、推進機関になる」
琴音は、口を閉じた。
それは、昨日から考えていたことだった。
重力を作れるなら、ものを落とせる。
落とす方向を制御できるなら、推進になる。
ロケットは、燃料を噴射して反作用で進む。
だが重力は、燃料を噴射しない。
空間の形に沿って、ただ落ちる。
「宇宙船の前方に、制御された情報密度勾配を作る」
琴音は呟いた。
有馬が顔を上げた。
「続けて」
「宇宙OSは、その領域の整合性維持コストを処理するために、前方の局所更新率を下げる。船体はその固有時間勾配に沿って落ちる。でも船体内部の更新率を均一化すれば、乗員には加速度がかからない」
御厨が笑った。
「ほら」
有馬は笑わなかった。
「高梨さん。それは理論上、非常に危険です。情報密度勾配の制御を誤れば、局所的な因果破断を起こす可能性があります」
「因果破断」
「結果だけが先に更新され、原因の履歴が後から補完される状態です」
「怖すぎる」
黒服の男が言った。
「未定義現象監査室では、そういう地域を『編集跡』と呼びます」
「あるんですか」
「ないことになっています」
「ある言い方じゃないですか」
御厨が手を叩いた。
「危険はわかります。でも、危険だからこそ管理された商業化が必要です。封印すれば、どこかの国か、どこかの企業か、どこかの瀬尾くんみたいな天才が、勝手にやる」
「勝手にやった結果が、昨日の物理準備室です」
「だから、高梨さんが必要なんです」
琴音は顔をしかめた。
「私?」
「あなたは、止めた。発見しただけじゃなく、停止させた。これは重要です。宇宙をハックする技術は、宇宙を戻す技術とセットでなければならない」
琴音は返事をしなかった。
窓の外で、校庭の生徒たちが普通に笑っていた。
世界はまだ、何も知らない。
でも大人たちはもう来ている。
研究所も、黒服も、企業も。
彼らは重力を、資源として見ている。
そして琴音自身も、見てしまっていた。
空間は、曲げられる。
時間は、遅らせられる。
宇宙は、処理落ちする。
ならば人類は必ず、それを使う。
「ひとつ条件があります」
琴音は言った。
有馬が静かに頷く。
「何ですか」
「瀬尾先輩を探してください」
黒服の男が答えた。
「すでに探しています」
「それと、装置を封印するだけなら協力しません」
有馬の目が細くなった。
「何をしたいのですか」
琴音は、少しだけ笑った。
「安全な落ち方を作ります」
御厨が、子どもみたいに笑った。
「いいですね。宇宙船は、落ちるために飛ぶ」




