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重力はラグでした。物理準備室で宇宙を処理落ちさせたら、国立研究所と黒服が来た件  作者: みんとす
第四章 木星圏争奪戦、即席銀河連合軍 ——または、整いすぎると読まれることについて
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第34話 木星じゃなくて、太陽

 消灯の鐘が鳴っても、僕は通信席を離れなかった。監視欄に、消えない行が一つあったからだ。


 IRREGULARITY PROFILE: REGISTERED.

 不均質性の輪郭を、救助標準として登録しました。


 昨日、僕らのばらばらな助け方——ノックで呼ぶ、灯りで導く、名簿に載せずに運ぶ——が、敵にひとつの手順として登録された。登録された手順は、読まれる。読まれた手順は、次にどう動くかを、敵が先に知っている。


 窓の外を、避難船団が流れている。木星圏を捨てて火星へ下る、数千隻。放課後号も、その一隻だ。


 太陽系索引化まで:76:10


     ◇


 朝、と呼ぶことにしている時刻に、最初の一隻が弾かれた。


『第九救助班より放課後号。担架二名、横付けします。手順は昨日と同じ——』


『待ってください』


 受付ボットのBotちゃんが、人の言葉を遮った。


『当該艇の登録行に、読み出しが立ちました。昨日の手順は、三手目から先が登録されています。四手目に進むと、読み出しは船体に届きます』


『砂払いだ。順番を逆にしろ。艇尾から入って、係留は最後。灯りは点けるな。行儀の悪さは、まだ登録されてねえ』


 小惑星帯鉱業組合の採掘船《砂払い》の、砂利声だった。第九救助班は教範を捨てた。後ろ向きに腹を寄せ、手袋の手から手袋の手へ担架を送る。読み出しは消えた。


「同じ形は、二度使えない」


 操縦席で、高梨さんが言った。


 警告を全系統へ流した。電波は一瞬で届いても、読むのは人だ。中継の卓を三つ経由して、船団の最後尾に届くまでに、九分かかった。


 最後尾には、藻類プラント船の三隻組がいた。温水を管で回して暮らす船たちだ。昨日と同じ組み方で、昨日と同じ順番で、管を繋いだ。


『水温二十六度。ちょうどいい。そっちに回す』


 それが、受信欄に残った最後の行になった。


『信号消失、三隻。同時です』


 三隻は、音も立てずに消えた。悲鳴も、爆発もない。名簿から三つの行が消えて、船団は三隻ぶん減った。僕の警告は、九分、間に合わなかった。


     ◇


 昼を過ぎても、僕の端末の隅では、木星に置いてきた探索が走っていた。


 N=632110 到達。反例ではない。次へ


 三日前、僕は木星の大赤斑の底で、黒い鉤のいちばん深いところへ、終わらない数学の問いを差し込んだ。数えているのは、僕らの計算機じゃない。鉤の照合段——敵の読み取り機構だ。宇宙ひとつを一日で読み終える相手が、この一問だけ、三日、後回しにしている。終わらない問いは、どの速さで読んでも終わらない。


「後回しは、待ち時間だ」


 放課後号に同乗しているミラー中佐が、欠品一覧から顔を上げずに言った。


「待ち時間は、防御だ」


 そこで、思い当たった。


「読み終えられない深さの穴を、こっちの手で先に作る。それを、敵が太陽系を読みに来る経路の、真ん中に置く」


「その道具を、私どもは持っています」


 クァルゼイだった。通路の手すりの前、定位置。


「履歴圧縮砲、と訳せます。瓦礫にまぎれている四隻が、艦載で運んでいます。壊す砲ではありません。撃った物の中身を、その物自身の中へ押し込む。開いても開いても、次の包みが出てくる箱にする。母星の質量で払った例に、使われた道具です」


「試すしか、ないですね。小さく」


「はい。履歴があって、惜しくない岩が、一つ要ります」


『それなら、うちの棚だ』


 《砂払い》の船長だった。


『掘り尽くして名前だけ残った岩なら、目録に何十とある。来て選べ。ついでに、鉱区の岩どもへの言伝も、うちの腕で打つ。電波は使えねえんだ』


     ◇


 《砂払い》までは、連絡艇で渡った。渡るのは僕ひとり。距離八百メートル、灯りを消し、推進を切って、射出の慣性だけで十分あまり漂う。教範にない渡り方だ。二度は使えない。


 管制室は、鉱石の粉の匂いがした。船長は思っていたより小柄で、手が大きかった。多々良、と名札にある。


 正面窓の外に、四つ。瓦礫にまぎれて、いちばん近いので三キロ。目録には、岩、と書いてある。——だが、岩じゃない。昨日、銀河の外から来た四千二百隻が読まれて消えたとき、戦いで傷んで隊列からこぼれ、こぼれたおかげで読まれずに済んだ、四隻の生き残りだ。焼けた外板、九十メートルの船体。四つとも、船団の進む向きに、きれいに姿勢を保っている。岩は、姿勢を保たない。


「呼んだら目録に載る。載ったら読まれる。掘らねえ鉱脈に、杭は打たねえ。……あいつら、こっち見てる。やたら礼儀正しい岩だ」


 人類の、初めての生きた隣人だ。名前を呼べば名簿に載り、載れば読まれて死ぬ。だから鉱夫たちは、この第一接触を、日誌の「岩、四。異常なし」で守っている。誇るときは、小声でやるんだ、と船長は言った。


 撃つのは、四隻のうちの一隻だ。積んでいる履歴圧縮砲は、あの戦いで一度も撃たれなかった。物の中身を潰して読めない深さにする砲で、鉤という読み手には、向けようがなかったからだ。撃つ相手のないまま、壊れた艦とともに瓦礫へ残った砲——それを、鉱夫たちがベルトの中古部品で継いだという。撃つ岩は、油の染みた紙の目録から選ばれた。


 組合目録 第四四〇八号

 通称 ばあさんの枕

 採掘記録 外殻氷 四十トン ほか


「四十年前の新入りが、窪みで昼寝するのが好きでな。掘り尽くして、それきりの岩だ。……撃ったら、この岩は照会ごと読めなくなる。名前も、窪みも、二度と帳面から引けなくなる。岩には聞けねえからな。俺が決める」


 船長は、目録の余白に組合の印を押した。それから作業腕の爪で、焼けた外板を叩いた。落盤の言葉だ。埋まった側は体力がないから短く打ち、外の側が長く打つ。目録番号、方位、距離——撃つ岩の在り処だけを送って、腕が離れた。


 こん、こん。短い二打が、返ってきた。四隻の作業灯が、順番に一度ずつ点いて、消えた。在り処は受け取った、撃つ合図は待つ、という返事だ。いつ撃つかの号令は、四隻が人間に——ミラー中佐に、預けていた。


『各局へ。射線は船団の航路の外。試射、始めます』とミラー中佐が回線を仕切った。


 中佐の合図で、いちばん外の一隻が、瓦礫からゆっくり鼻先を出した。砲身は一本だけ、古傷みたいに突き出している。付け根が鈍く灯った。閃光はない。ただ、砲口と岩を結ぶ直線の上で、星がひとつずつ順番に瞬いた。


 ばあさんの枕は、砕けなかった。位置も、回転も、窪みも、そのままだった。


『組合目録、第四四〇八号、照会。……継続中。完了までの見積もりが、増えていきます。読み進めた分より、奥が増える』


 宇宙OSのログが立った。


 INDEX QUERY DIVERGES.

 照会は、収束しません。


 収束しません、を、僕は生まれて初めて、いい知らせとして読んだ。答えは、計器から来た。索引化までの残り時間。三日間、減ることしかしなかった数字が、増えていた。


 十四分。


 向こうの読み手が、あの岩を噛んで、読み終わらないと判定し、後ろへ十四分ずらしたのだ。


『この三日で、初めてだ』とミラー中佐。『こっちが先に、何かを置いたのは』


 その笑いがやまないうちに、Botちゃんが数字を置いた。


『試算が出ました。敵の読み出しが太陽系へ入る経路は、木星回りに集中しています。そこへ同じ深さの穴を、迂回できない幅で敷く場合の、所要質量です。……木星では、足りません。土星を足しても、足りません。海王星まで入れて、届きます』


 惑星を三つ。潰せば、太陽系の入口に、読めない蓋ができる。三つの惑星で蓋ができる、という数字が回線を走った。圧縮砲の射程、所要の質量、作業の手順。声が重なるたびに、計画の形が見えた。三日ぶりだった。助かる、と誰かが言った。故郷に帰れる、と。


『三つも潰すくらいなら、いっそ太陽で一発だろう』


 船団のどこかから、名乗らない声が言った。


「住んでます」


 高梨さんの即答だった。回線が、少しだけ正気に戻る。太陽の話は、それきり消えた——はずだった。


     ◇


「惑星では、止まりません」


 クァルゼイの声が、その上に静かに乗った。いつもの敬語、いつもの声量だった。


 笑い声が止まった。管制室で、隣の若い鉱夫が口を閉じた。回線の声が、ひとつずつ消えた。


「……何が、ですか」


 自分の声が裏返った。三つ潰せば蓋になる。Botちゃんの試算は正確で、質量も足りていた。手が届く値段だと、僕は思っていた。


「試算は正確です。ですが、敵が必要としているのは、通り道ではありません」


 表示の星図が切り替わった。太陽系の中心に、太陽がある。


「太陽そのものです。恒星をひとつ読み終えれば、そこが起点になります。隣の恒星系へ。腕へ。銀河へ。宇宙へ。伝播します」


「伝播って——」


「恒星は、周囲の空間を曲げています。曲がりは、隣の恒星に届いている。読み終えた起点から次へ手を伸ばすのに、距離は要りません。四光年先のアルファ・ケンタウリが次です。その次がシリウス。腕を伝って、銀河の端まで届きます」


「逃げたら——」


「逃げた先の恒星が、太陽の次に読まれるだけです。太陽から出ていった航路が、そのまま道になります」


 窓の外を、避難船団が流れていた。火星へ向かう数千隻の灯り。全部が、道に見えた。


「この型は、会議の記録にありません。三万六千の文明を監査して、恒星間に伝播した例が、ゼロです。初めてです。どこまで広がるか、誰にも予測できません」


「推測でも、ないのか」


 ミラー中佐の短い声だった。


「前例がないものは、予測できません」


 この人が「ない」と言うとき、それは十六万年の記録を全部めくった上での「ない」だ。


「太陽を、敵に渡さない。確実な方法は、ひとつです」


 声が、一度だけ途切れた。


「潰すのは、太陽です」


 隣の鉱夫が、口を半分開けたまま止まった。回線のどこにも、音がなかった。


「太陽を、自分の重さで潰します。光も抜け出せない、事象の地平の内側まで。ブラックホールです。地平の中の情報は、その表面に、ホログラムのように写し取られる。写しはあるのに、外からは、二度と読み出せません。読むことで食う相手に、読み終えられない星を、丸ごと撃ち込む。地平の内を読む手は、この宇宙の物理を測り終えた者にしか組めません。敵は、まだ測っている途中です。索引化が終わって、敵がこの宇宙を測り終える——その前の、いまの窓の間だけ、効きます」


 言葉の形を追っている間は、まだよかった。三秒後に、意味が追いついた。


 さっき、名乗らない声が「太陽で一発」と言って、高梨さんが「住んでます」で消した。冗談だった。いま、同じ言葉が、冗談を言わない人の口から出てきた。消す言葉が、なかった。


 回線の向こうで、椅子が倒れた。


『あんた——いま、太陽を潰すって言ったのか』


 火星の管制官だった。声の形が崩れていた。


『俺たちの太陽だぞ! あの光で子どもが育って、あの下で飯を食って、あの下で人が死んでいった——それを、味方が撃つって——』


 堰が、切れた。


『は?』『太陽って……うちの、太陽か』『聞き間違いだろ、翻訳もう一回かけろ』『木星と土星と海王星じゃなかったのか』『それでも嫌だったんだ、太陽は違うだろ』『違わない、もっと悪い!』『そこへ帰るために逃げてるんだぞ』『帰る場所を撃って、避難完了って言うのか』『木星で生まれた子に、今度は太陽がなくなるって言うのか』


 声が重なり、割れ、遮り合った。共用回線の音量制限が働いて、声の頭だけが残った。


『は』


『太』


『正』


『待』


『撃』


 誰かが立ち上がった。膝が卓に当たる音。誰かが笑い出して、二回で喉が切れた。


 クァルゼイの回線は、何も返さなかった。


 僕は声を出せなかった。高梨さんも、ミラー中佐も、出さなかった。木星に行って帰ってきた者は、黙っていた。四千二百隻がどう消えたか見てきた者だけが、投げつける言葉を持たなかった。


 やがて、声が止んだ。止めた者はいない。太陽を潰すという言葉に投げる言葉を、全員が使い果たした。残ったのは、荒い呼吸と、回線のノイズと、どこかで誰かが鼻をすする音だった。


 その沈黙に、クァルゼイの声が落ちた。


「三万六千の監査記録を、開示します」


『展開します』とBotちゃんが引き取った。『一行を読める字にすると、端から端まで、木星が二つ並ぶ幅です。各船、通過中の区画だけを、窓に重ねます』


 船団に沿って、記録が開いた。数千隻の窓のそれぞれに、通過中の数行だけが映る。数千隻が数珠つなぎで、一冊の記録を分けて読んだ。途中で途切れた三万六千の行。文明ひとつにつき、一行。


 《砂払い》の窓に流れてきたのは、最終記入の欄だった。通信基地局の較正記録。港湾交通量の月次報告。食糧配送の受領確認、署名。どれも、明日がある者の書いた言葉だった。翌日の行は、なかった。


「今朝の三隻は、消える一分前まで、水温の話をしていました」


 さっき太陽を潰すと言った声と、同じ声だった。


「第八一〇二群は、照合のたびに楽器を持ち込みました。何かを何かでこする、止まらない音です。私は四百十二回、同じ文言で苦情を書きました。その音は、もう現存しません」


 窓の記録の中、四百十二件目の苦情の下に、一行だけ字の違う行があった。


 備考:良い音でした。


 さっきまで叫んでいた全員が、黙った。怒りで黙ったのではない。三万六千の途切れた行の前で、自分たちの声が小さくなった。


「恒星の病には、対処の記録があります。微細構造定数を小数点以下ひとつ回して、燃え方を戻した例。戦争にも、自壊にも。母星の質量を払って、星を半分にして生き延びた例もあります。会議の、平常業務です。値段の付く災害は、払えば済む。——読み終えられるという終わり方にだけ、対処の記録が、一件もありません。三万六千の、どの行にも」


 回線は、静まったままだった。


「太陽で止まる保証は、ありません」


 声だけが、落ちた。


「ですので、止まらなかった場合の段取りは、すでに始めています」


 隣の鉱夫が、僕の顔を見た。段取り、と口の形だけで聞き返していた。


「太陽を潰しても伝播が止まらなければ、近隣の恒星を同じ穴にします。アルファ・ケンタウリ。バーナード星。ウォルフ359。転送の手段は、私の側に残っています。それでも足りなければ、星団です。散開星団から球状星団へ、順に」


「それでも、止まらなければ——」


 自分の口が、勝手に動いていた。


「銀河の渦状腕を、ひとつ。そして——銀河そのものを」


 声の調子は、最初から変わっていなかった。太陽を潰すと言ったときも、恒星の名を並べたときも、銀河を潰すと言ったときも。


 この人は、太陽を終わりだと思っていない。太陽は最初の一手で、二手目に恒星群、三手目に星団、四手目に銀河が並んでいる。僕らがばあさんの枕の十四分に笑っていた間に、この人は、銀河までの道順を組み終えていた。


「……別の星では、だめですか」


 声は、僕のだった。


「ベテルギウス。寿命の尽きかけた赤い星であれば、我が家を焼かずに済みます」


 回線のどこかで、かすかに息を吸う音がした。


「ですが、五百光年先です。四日では、光さえ間に合いません。——太陽しか、ありません」


 息の音が、止んだ。管制室も、回線も、声が残っていなかった。


 窓の外に、四つの岩があった。さっきばあさんの枕を撃った、焼けた船体。三キロ先、瓦礫にまぎれて浮いている。あれが、太陽を潰す砲だ。もう、来ている。


 その四隻の作業灯が、いっせいに点いた。試射のときの、一度きりの合図とは違った。点いたまま、四つとも、ゆっくり鼻先を巡らせる。放課後号のほう——クァルゼイの端末が乗った、あの小さな船へ向けて。


「あれは、私と同じ側の、生き残りです」


 クァルゼイの声が、回線に戻っていた。いつもの平らな声に、初めて、わずかに厚みがあった。


「銀河の外から来て、名簿の外へ落ちた四隻。太陽を潰せる砲を積んだ船は、この太陽系に、あれだけです。……命令は、していません。読まれれば消える身で、ずっと、こちらを見ていた。それだけです」


 四隻は、瓦礫の陰から動かなかった。動かないまま、焼けた鼻先だけを、クァルゼイのいる方角へ、揃えていた。


     ◇


 放課後号へ戻ると、厨房の呼び出し灯が点いていた。御厨さんが、店どうしの貸し借りだけを書く裏の帳面を開いていた。


「海王星の外に、拾うのが仕事の人たちがいます。船籍のない船で、名簿のない人たち。うちの配送網の裏帳簿だけが、届け先を知っています」


 宛先の欄に、座標はなかった。


 > 宛先:いつもの受け取り場所

 > 依頼主:急場の混成軍

 > 備考:数えません。積めるだけ。


「決まってから急ぐと、間に合わないので」


 クァルゼイが、区画の入り口で、伝票の行き先を見ていた。


「辺境は、どこの銀河でも、似た顔をしています」


 それだけ言って、通路へ戻った。


     ◇


 夜、通信席で監視欄を閉じかけた頃、Botちゃんが受信を告げた。


 太陽系索引化まで:62:24


『クァルゼイさん宛、受信一件。旧規格の平文。発信元——銀河外標準化会議、本庁』


「読み上げてください」


 Botちゃんは、抑揚を付けなかった。付けない声が、いちばん冷えた。


 > 本庁発

 > 代表個体の現場判断は、追認しない。

 > 救助より規格防衛を優先せよ。

 > 失敗記録は、熱として処理せよ。


 三行だった。天の川を決裁簿に載せると言った人に、本庁は三行だった。熱として処理——読み返せる形を残さず、温度にして捨てろ、という廃棄の命令だ。


「共有ログへ、原文のまま転送してください。私の指揮判断の前提が変わりました。混成軍に、開示すべき情報です」


 自分の解任状を、開示すべき情報です、と言った。声は、平らなままだった。転送が走り、既読の数だけが、静かに増えた。


「ミラーだ。俺の階級記録も、木星で焼けた。名簿の上に、俺はもういない。それでも点呼で中佐と呼ばれるから、中佐をやっている。名簿は閉じる。点呼は、返事を待つ。——明日の卓、代表の席は動かさん」


『砂払いだ。熱として処理、ってのに一言。鉱山で熱処理っつったら、精錬のことだ。捨てる工程じゃねえ、仕上げの工程だ』


「高梨です。この船団には、失敗記録の扱いに前例があります。昨日、名前のない人の最後の声を、永久保存にしました。その区分を書いたのは、クァルゼイさん、あなたです。本庁の三行より、あなたの前例のほうが先です」


 僕は、作法をひとつ足した。窓口は六年前に首になったから、元同僚たちの流儀の借り物だ。


「受理番号を発行します。〇〇四二。対応窓口、急場の混成軍。……本庁さま、お問い合わせありがとうございました」


 回線のどこかで、噴き出す音がした。すぐに咳払いに変わったが、変わりきってはいなかった。


 クァルゼイは、しばらく立ってから言った。


「議事録に記載します。本庁通達、一件。受理番号〇〇四二。取り扱い——永久保存」


 声は最後まで平らだった。ただ、記載します、の前に、一度だけ、手すりを握り直した。記録には残らない動きだ。


 窓の外の避難船団を、毛布を掛けられた開かない箱が、番号どおりの位置で流れていく。クァルゼイの生身だ。本庁の名簿から消えかけている体を、人間たちは、間隔を守って運んでいる。


     ◇


 消灯前、クァルゼイが通信席へ来た。手に、作戦申請の様式を開いていた。


「作戦対象の欄は、私が書きます。名前を書けば、読まれる。読まれる役は、私が引き受けます。書き慣れて、いますので」


 霜の残った指が、欄の上を動いた。三万六千の行を書いてきた筆致で、太陽系の誰もまだ声に出していない、ひとつの名前が並んだ。


 作戦対象:太陽

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