第3話 自己言及で宇宙を例外処理に追い込んだ件
琴音は共有端末に飛びついた。
物理が無理なら、論理だ。
ラックの中の装置は、有線LANで端末につながっている。
ネットワーク越しなら、距離は関係ない。
時間も、関係ない。
はずだった。
暴走機にリモート接続。
プロセス一覧が流れる。
見たことのない名前が並んでいた。
recursive_geometry_core
local_metric_solver
observer_consistency_daemon
boundary_compression_service
琴音はキーボードを叩いた。
止まらない。
killコマンドは拒否された。
権限がない。
ルート権限で入ろうとすると、端末が一瞬フリーズした。
「宇宙を処理落ちさせるプロセスが、sudo拒否してんじゃないわよ」
琴音は瀬尾のファイルを漁った。
どこかに停止手順があるはずだ。
いや、あの先輩のことだ。普通の停止手順など用意していない可能性が高い。
見つけたのは、別のファイルだった。
failsafe_paradox.py
中には、たった数行のコード。
コメントがひとつ。
> 宇宙側の整合性維持に依存しているなら、自己言及を混ぜると例外処理が走る可能性がある。
> ただし、本当に走った場合、上に通知される。
> 上とは何か。考えないこと。
琴音は、ぞっとした。
「考えないことって、考えさせるためのコメントでしょ」
コードの中心には、古典的な自己言及命題があった。
この命令が真なら偽を返せ。偽なら真を返せ。
それを、シミュレーション空間の基本公理として注入する。
ただのプログラムなら無限ループする。
しかし、この装置は単なるプログラムではない。
宇宙の実装層に依存して、空間の整合性を再帰的に要求している。
自己言及的な矛盾を放り込めば、宇宙OS側の例外処理を誘発できるかもしれない。
できなければ、物理準備室ごと情報のブラックホールになる。
琴音は一秒だけ迷った。
次の瞬間、ラックの周囲の空間が、陽炎のようにねじれた。
迷いは消えた。
「ごめん、宇宙」
エンターキーを叩いた。
数秒の沈黙。
メトロノームが止まった。
サーバーラックの青い光が、一斉に白くなった。
画面に文字が出た。
INCONSISTENT AXIOM DETECTED
LOCAL RECURSION ABORTED
EXCEPTION HANDLED
バチン、と音がした。
ラック内の装置が強制停止した。
空気の重さが消えた。
ビー玉が止まった。
メトロノームが、何事もなかったように再び動き始めた。
カチ。
カチ。
カチ。
琴音は椅子に崩れ落ちた。
「……宇宙のOS、例外処理はちゃんとしてるんだ」
笑おうとしたが、喉が乾いて声にならなかった。
共有端末の画面には、最後に一行だけ、見覚えのないログが残っていた。
EXCEPTION HANDLED BY HOST
琴音は、その文字を見つめた。
自分の端末ではない。
瀬尾のコードでもない。
暴走機のログ形式とも違う。
では、どこから来たのか。
ホスト。
何の、ホストだ。
物理準備室の窓の外で、夕焼けが赤く沈んでいく。
世界はいつもどおりに見えた。
しかし琴音には、もうその「いつもどおり」が、きれいにレンダリングされた画面のように見えていた。
その夜、家に帰った琴音は、十時には眠れなかった。
十一時にも、十二時にも、眠れなかった。
眠れたのは、明け方だった。
翌朝、まだ誰も起きていない時間に、スマホが震えた。
非通知。
琴音は、しばらく迷ってから、出た。
無音が、長く続いた。
次に、機械で合成したような、平坦な男の声が言った。
「七時三十分、校長室まで、お越しください」
通話は、それだけで切れた。
琴音は、時計を見た。
まだ六時四十分。
校門は、開いてすらいない時間だった。




