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重力はラグでした。物理準備室で宇宙を処理落ちさせたら、国立研究所と黒服が来た件  作者: みんとす
第四章 木星圏争奪戦、即席銀河連合軍 ——または、整いすぎると読まれることについて
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第27話 仮停戦、三万六千宇宙で

 木星の夜側で、黒い鉤が次の一画にかかった。


 その一画は、線ではなかった。


 鉤の先が触れた高度で、木星の縞が一段、繰り上がった。褐色のベルトが一本消え、その下にあったはずのベルトが、もともとそこにあった顔をして上へ詰める。抜けた跡が、ない。木星は、最初から縞が一本少なかったことになった。


「先輩」


 高梨さんが、自分の端末を見たまま言った。


「木星の縞、何本でした」


「数えたことない」


「私もです。だから、減ったって言い切れないんです。それが、いちばん気持ち悪い」


 クァルゼイが、空中の波形に指を置いた。


「破壊ではありません」


 彼が言った。声は低いまま、平らだった。


「破壊なら、破片が残る。これは、項目を一つ抜いて、前後を詰めただけです。襲撃ではなく——」


 彼は、言葉を選んだ。選んで、規格にある語に落とした。


「目録の、整理です」


「掃除ですか」


「片付け、に近い。誰かが我々の側を一冊の本として開き、要らない行を抜いて、綴じ直している」


 誰かが、という主語を、彼は使った。


 外部会計層、とは言わなかった。


     ◇


 警報が、短く鋭く鳴った。被害一覧ではない。前哨基地からの直通だった。


『こちら国連宇宙軍木星前哨基地。放課後号、応答願います』


 映像が開く。管制室。壁の一部が焼け、非常灯だけが赤く回っている。何人かの肩から、階級章が消えていた。


『こちら前哨基地代理指揮官、ミラー中佐……だったはずです』


「だったはず」


『階級記録が焼けました。部下は私を中佐と呼んでいます。私はそれを、信じることにしています』


 笑えなかった。けれど、その人はまだ、その人だった。


「こちら放課後号、高梨です。状況を」


『外郭二番区画が消えました。爆発でも、火災でもない。建設履歴ごと抜かれています。図面に、最初から二番区画がない』


「人は」


『何人かは、隣の三番区画へ押し出されました。区画がなかったことにされて、こぼれた。骨折多数。——ですが、全員ではありません』


「全員じゃない、とは」


『間に合わなかった者は、区画ごと閉じられました。死んでいます。ですが、何人だったかは、わかりません。勤務記録ごと抜かれて、二番区画に誰がいたのか、名簿にもう残っていない。私は、顔を何人か覚えています。名前の出てこない顔を。記録は、最初から二番区画に人はいなかったと言っています』


 高梨さんが息を呑んだ。


 誰も看取れなかった。

 看取ったという記憶だけが、これから、ゆっくり削られていく。


 クァルゼイが、画面を見たまま低く言った。


「殺意では、ありません」


「人が死んでるのに」


「要らない行を抜いて、前後を詰める。その行に、人が挟まっていただけです。殺すためではない。整理の巻き添えで、人が死んでいる」


 その言い方に、温度がなかった。彼は感心していたのではない。気味悪がっていた。


『それと——変なものがあります』


 ミラー中佐だったはずの人が、画面の外へ合図した。表示が切り替わる。


 ラグランジュ・キッチン木星支店の、予約台帳だった。食堂の、実物の。


 予約が、増えていた。


 予約名:未登録欠席席

 人数:一宇宙


 予約名:未登録欠席席

 人数:二宇宙


「先輩。人数欄に、宇宙って入ります?」


「入らない」


 数字が跳ねた。


 十宇宙。

 百宇宙。

 千宇宙。

 一万宇宙。


 そして、止まった。


 予約人数:三万六千宇宙

 来店状態:未到着

 席状態:要求中


 船内が静かになった。木星の縞だけが、窓の外を流れていた。


 クァルゼイが、その表示から目を離さなかった。震えが、紙コップを置いた手から、指へ移っていた。


「三万六千」


「心当たりが」


「……あります」


 彼が言った。即答ではなかった。


「旧脚注接続網です」


「脚注」


「別宇宙との連絡方式です。扉ではない。船でもない。相手の宇宙の、未確定の行に、参照だけを一つ置く。来ない。来ないまま、こちらを数える」


「その数が、三万六千」


「旧網の参照先の総数が、三万六千でした。とうに畳んだ網です。私が、畳ませた」


 高梨さんが、ゆっくり言った。


「畳んだ網の番号で、誰かが食堂に席を取ってる」


「中にいる相手ではありません」


 クァルゼイが、初めてそこで顔を上げた。


「我々の宇宙の中にいる者は、宇宙を人数欄に書けない。宇宙を一人と数えられるのは、宇宙の外に立っている者だけです。これは、宇宙をまたいでいる」


 その一言が、船内に落ちた。


「三万六千宇宙のうちの、一つ」


 僕は言った。


「うちの宇宙が、その一つに数えられてる、ってことですか」


 クァルゼイは、答えなかった。答えないことが、答えだった。


     ◇


「照会します」


 クァルゼイが言った。彼は空中に、こちらには読めない文字列を組み始めた。


「私は、貴文明を疑って来ました。木星圏の異常に、地球由来の未承認状態の指紋が混じっていた。会議は、それが原因だと考えている。私も、そう考えて来た」


「考えて来た、というのは」


「照合します。この処理が、貴文明の未承認状態と一致するか。一致すれば、原因は貴文明です。会議の懸念どおり、規格内の問題で、私の手で片付く」


 彼は、送信した。


 宇宙OSが、その往復を傍受して、和訳だけ落とした。


 INQUIRY: MATCH TO TRACKED UNAUTHORIZED STATES OF THE LOCAL CIVILIZATION?

 照会:当該文明の、追跡中の未承認状態との一致。


 REPLY: NO MATCH. THE PROCESS IS NOT OF THAT CIVILIZATION.

 返信:一致なし。当該文明由来の処理ではありません。


 クァルゼイの指が、止まった。


「……違う」


 彼は、もう一行、打ち足した。今度は和訳が、少し遅れて出た。


 INQUIRY: MATCHING STANDARD FOR OBSERVED PROCESS.

 照会:観測された処理に該当する規格。


 REPLY: NO MATCHING STANDARD. NO PRECEDENT ON FILE.

 返信:該当規格なし。前例の記録なし。


「貴文明でもない。私たちの規格でもない。前例もない」


 彼は、低く言った。


「私は、確かめに来ました。貴文明が宇宙OSを壊しているかどうかを。確かめた。壊しているのは、貴文明ではありません」


 最後に、もう一行。


 INQUIRY: CROSS-UNIVERSE FOOTNOTE LINK. RE-ASSIGN HANDLING.

 照会:別宇宙脚注接続。担当の再割り当てを要請。


 REPLY: CROSS-UNIVERSE FOOTNOTE LINK IS UNDER YOUR PROVISIONAL AUTHORITY.

 返信:別宇宙脚注接続は貴官の暫定管理権限下にあります。


 REPLY: THIS IS YOUR JURISDICTION.

 返信:これは貴官の管轄です。


 クァルゼイは、その一行を、長く見ていた。


「先輩」


 高梨さんが、小声で言った。


「これ、たらい回しですよね」


「たらい回しだ」


「銀河の外でも、たらい回しなんですね」


「規格があるところには、たいてい窓口があって、窓口があるところには、たいていたらい回しがある」


 クァルゼイは、空中の文字列を閉じた。


「境界の管理は、私の権限です」


 彼が言った。声から、高圧の色が抜けていた。残ったのは、平らな疲れだった。


「別宇宙との境に参照を置く許可も、畳む許可も、私が持っている。だから会議は、境を越えて来るものの説明も、私に差し戻す。私が、境界の管理者だからです」


「管理者なのに」


「越えて来るものを、説明できない。私の索引に、これはありません。会議の索引にも、ない。消去法で残るのは——」


 彼は、そこで止まった。


 規格にある語を探して、見つからない、という止まり方だった。前にも、一度、同じ止まり方を見ていた。


「外、ですか」


 僕は言った。


 クァルゼイは、その語を、引き取らなかった。引き取れなかった。彼の規格に、その項目がない。


「私の規格には、その語の置き場所がありません」


 彼は、そう言った。それが、肯定だった。


 予約台帳は、まだ要求中のまま光っていた。三万六千宇宙。未到着。


「クァルゼイさん」


 高梨さんが言った。


「本国は、助けてくれますか」


「いいえ」


「窓口は」


「私です」


「その窓口は、相手の正体を知っていますか」


「いいえ」


 彼は、はっきりそう言った。代表権限者が。監査代表が。宇宙OSにパッチを提案できる文明の使者が。食堂の予約台帳を前にして、二度目の「いいえ」を言った。


「じゃあ、誰も来ないんですか」


 高梨さんが言った。


「規格に従う軍なら、私の権限で呼べます。ですが、呼ぶには、何が来ているのかを、書かなければならない」


「さっき、書けなかったやつですよね」


「書けません。本当に宇宙の外のものだという確証が、ない。貴星系の中で収まるのか、それを越えるのか、どれだけの脅威かも、測れない。確証のないもの、測れないものに、軍は出せない」


 彼は、窓の黒い鉤を見た。


「呼んだところで、すぐには来ません。近いといっても、すぐ隣ではない。そして、呼んだ責任は、私が負う。——貴星系で閉じるなら、いらないものです」


 閉じるなら、と彼は言った。

 閉じる、とは言わなかった。


 高梨さんが、短く息を吸った。


「なら、止めましょう」


「止める?」


「責任の話を、です。どっちが悪いか、後でいい。あれは、あなたの規格にも、うちの常識にも、載ってない。あなたの本国に訊いても、出てこなかった。なら、これは、この宇宙の外側の話です。同じ宇宙の側で——あなたと、うちで、先に見つけましょう」


 クァルゼイは、彼女を見た。左右の目が、わずかにずれて、彼女を見ていた。


「私は、貴文明を疑って来ました。確かめて、違った」


「どうぞ、続けて」


「詫びるべきなのでしょう。ですが、詫びの規格を、いまは持ち合わせていません。後にします」


 彼は、紙コップを持ち直した。手の震えが、まだ規格から外れていた。


「いまは、こちらの窓口より、規格に従わない貴文明のほうが、まだ役に立つ。これは、停戦です」


「仮停戦、ですね」


「仮で結構です」


 僕は、窓の外を見た。大赤斑のへりから伸びた黒い鉤が、繰り上がった木星の縞の、新しい一本目に、静かに先をかけていた。


 予約台帳の一行が、点滅をやめて、固まった。


 予約人数:三万六千宇宙

 来店状態:未到着

 席状態:要求中


 来ない。来ないまま、こちらを数えている。


 その一行が、次に何が来るかを、静かに指していた。


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