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重力はラグでした。物理準備室で宇宙を処理落ちさせたら、国立研究所と黒服が来た件  作者: みんとす
第四章 木星圏争奪戦、即席銀河連合軍 ——または、整いすぎると読まれることについて
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第26話 訪問者がお茶を飲んでいる間に

「高梨さん」


「はい」


「来客予定は?」


「ありません」


「じゃあ不審者だ」


「木星圏で不審者って言います?」


「来客予定なしでチャイムを鳴らす存在は、だいたい不審者です」


 通信画面が白く光った。


 COMMUNICATION REQUEST.


 ORIGIN: EXTRAGALACTIC GOVERNANCE NODE.


 AUTHORITY SIGNATURE: EXTRAGALACTIC STANDARDS COUNCIL / HISTORY INTEGRITY AUDIT DELEGATE.

 銀河外標準化会議・履歴整合監査代表。


 MESSAGE TYPE: WARNING.


 高梨さんが、息を呑んだ。


「銀河外」


「しかも代表権限つき」


「相手は敵ですか」


「まだわからない」


 僕は黒い鉤と、白い通信要求を見比べた。外から宇宙を読もうとする何かの直後に来た、銀河外代表。


 疑うには、充分すぎる。信じるには、情報が足りない。


 そして、宇宙OSが最後に一行を出した。


 CAUTION: DO NOT CONFUSE GUEST WITH INTRUDER.


 CAUTION: FOR NOW, EITHER LABEL IS RUDE.


「宇宙OS」


 僕は言った。


「そういうところだけ、気が利くな」


 Botちゃんが、来客対応プロトコルを起こした。


『発信元より、接触要求。受け入れ可否を選択してください』


 YES

 NO

 DEFER

 OTHER


 高梨さんが小さく言った。


「どうします」


「YESは危ない。NOは失礼。DEFERはたぶん相手の機嫌が悪くなる」


「OTHERですね」


「宇宙OSに育てられてるな、君」


 僕はOTHERを選んだ。


 入力欄が開く。


 僕は、木星圏の黒い鉤を見ながら、最初の一文を書いた。


 警告者は、まだ敵でも、来客とも限らない。初回接触として一時保持し、座る場所だけ与える。


 送信。


 Botちゃんが、それを拾った。


『来客席を展開します』


 放課後号の空いている補助席が、展開した。


 固定ベルトが伸び、無人の座席の前に、小さな折りたたみテーブルが出る。


 そして、その上に紙コップが一つ置かれた。


 湯気が立っていた。


 ラグランジュ・キッチンのロゴ入りだった。


「先輩」


「はい」


「お茶が出ました」


「初回接触だからね」


「宇宙人に?」


「地球文明には、他にまともな武器がない」


 木星の夜側では、黒い鉤がゆっくり閉じようとしていた。


 補助席の上には、まだ誰も座っていない。


 ただ、紙コップの湯気だけが、木星圏の破壊にまったく遠慮せず、のんびりと立ちのぼっていた。


     ◇


 補助席の上に、最初に現れたのは影だった。


 木星を背負った、細い影。


 人間の形に見えた。

 だが、人間ではない。


 輪郭が遅れる。


 頭がこちらを向いたあとで、肩が遅れて向く。

 腕が組まれたあとで、指の本数が修正される。

 足が床に触れたあとで、床が「触れられた」と理解する。


 宇宙が、相手の存在を少しずつ翻訳しているようだった。


「先輩」


 高梨さんが小さく言った。


「はい」


「これ、本体ではないですよね」


「たぶん」


「端末?」


「人間型端末。あるいは、人間という仕様書を読んで作られた、対話用の窓口」


「仕様書、古くないですか」


「地球人類の仕様書は、だいたい古い」


 影は、補助席の前で一度止まった。


 座るかどうかを迷っているように見えた。


 その仕草だけが、やけに人間くさかった。


 やがて、影は座った。


 瞬間、補助席のベルトが勝手に伸びる。


 相手はそれを見下ろした。


「これは何ですか」


 日本語だった。


 正確には、日本語へ翻訳された音声だった。

 けれど、語尾が硬い。句読点が少ない。声に揺れがない。文法は完璧なのに、会議室の議事録が喋っているような声だった。


「安全ベルトです」


 高梨さんが答えた。


「私は衝突しません」


「船が衝突するかもしれません」


「この船は、来客を固定しますか」


「地球文明では、来客にも安全基準があります」


「理解不能です」


「わりと褒め言葉です」


「褒めていません」


 相手は、テーブルの上の紙コップを見た。


 湯気が立っている。


 ラグランジュ・キッチンのロゴ入り緑茶。


 木星圏は燃えている。

 基地は壊れた。

 誰のIDも端末で赤く光る。

 木星の衛星が、いつのまにか一つ、足りない気がする。

 それでも紙コップは、まるで出番を待っていた脇役みたいに、堂々とそこにあった。


「これは」


「お茶です」


「毒物ですか」


「地球では、初回接触に毒物を出す文化は主流ではありません」


「非主流にはあるのですか」


「歴史上、否定しきれないところがつらい」


 相手は紙コップを持ち上げた。


 湯気を観測し、成分を読み、温度を測り、たぶん栽培地と労働環境と茶葉の流通履歴まで調べた。


 そして、ほんの少し口をつけた。


「苦い」


「地球の大人は、それを落ち着くと呼びます」


「貴文明は語彙の運用に問題があります」


「よく言われます」


 Botちゃんが、勝手に来客識別を始めた。


 来客識別を開始します。


 名前:

 クァル=ゼイ・ノル=オルクト


 所属:

 銀河外標準化会議


 職責:

 履歴整合監査代表


 権限:

 銀河外代表権限

 宇宙OS標準パッチ提案権限

 外部エントロピー会計監査権限

 別宇宙脚注接続暫定管理権限


 表示名:

 クァルゼイ端末


「待ちなさい」


 クァルゼイが言った。


 表示が変わった。


 表示名:

 クァルゼイ端末(銀河外)


「括弧も不要です」


 表示名:

 銀河外クァルゼイ端末


「語順を変えないでください」


 表示名:

 来客一号


「やめなさい」


 僕は笑わないようにした。


 失敗した。


「笑っていますね」


「少し」


「代表権限に対して無礼です」


「すみません。Botちゃんが先に無礼を」


「貴文明と宇宙OSの責任境界は、どこですか」


「そこが最近、問題になっています」


 クァルゼイがまばたきをした。左右の目が、ほんの少しずれて閉じる。不気味なはずなのに、疲れて見えた。


「瀬尾航」


「はい」


「高梨琴音」


「はい」


「地球文明に警告します」


 その一言で、船内の空気が変わった。


 補助席も、紙コップも、緑茶も、急に小さく見えた。


 窓の外で、木星の夜側の黒い鉤が、ゆっくり閉じようとしている。


「今回の貴星系、通称木星圏の異常について、銀河外標準化会議は、地球文明の関与を疑っています」


 高梨さんの声が少し硬くなった。


「私たちがやったと?」


「貴文明由来の未承認状態が、異常波形に混入していました」


 クァルゼイが指を動かす。


 空中に、木星圏のガンマ線波形が浮かび上がった。


 普通の波形ではない。


 白い線の中に、黒い文字のようなものが混じっている。

 文字というより、規則の断片。

 誰かが宇宙の余白に書き足した、備考欄の残骸。


 クァルゼイは、その断片を一つずつ拡大した。


 STATUS: ABSENT, IF WAITED.

 待たれた欠席。


 OTHER FIELD ACCEPTED.

 OTHER欄の受理。


 STUPID DETOUR CLAUSE.

 ばかな寄り道をする権利。


 EDUCATIONAL HAZARD MATERIAL.

 教育用危険物指定。


 LOCAL LAG FIELD INTERVENTION.

 ラグ場干渉。


 LOCAL FIELD NOTE FILED.

 現場備考の受理。


 高梨さんが黙った。


 僕も、すぐには返せなかった。


 見覚えがありすぎた。


 全部、僕たちが宇宙OSの備考欄に投げ込んできた、その場しのぎの現場対応だった。

 でも、その泥縄で、誰かの床が抜けずに済んだ。


 クァルゼイは、冷たい声で言った。


「貴文明は、消えるべき履歴を残しすぎています」


 船内が静かになった。


 その静けさの中で、木星の縞模様だけが窓の外を流れていた。


「消えるべき履歴」


 僕は言った。


「はい」


「誰が決めるんですか」


「当の宇宙外層です」


 クァルゼイが答え終えた瞬間、警報が鳴った。


 赤い光が船内を走る。今度は、被害の一覧ではなかった。


 Botちゃんが、計器の数字だけを読み上げた。


『分光、メタン吸収帯の凹凸、緯度別に消失。雲頂高度差、読めません』


「本体?」


 高梨さんの声が裏返った。


 僕は窓を見た。黒い鉤が、さっきより深く食い込んでいる。


 縁の触れた緯度から、白いゾーンと褐色のベルトが、横縞ごと同じ明るさの平面に均されていく。東西に流れていた雲の斑が、境界を越えた瞬間に上下のずれを失って、ただの直線の痕になった。


「九・九時間で動いてた雲が、読まれた帯のところだけ止まってます」


 止まった帯と、まだ動いている帯のあいだに、不自然にまっすぐな固定線が一本、引かれていた。


 高梨さんが、自分の端末の衛星表を呼び出した。木星圏に着いたとき最初に展開した、木星と四つの衛星の簡略図。


 でも画面は、三つしか出さなかった。


 抜けた隙間がない。最初からエウロパが内側の端であったかのように、並びが詰まっている。彼女の指が、衛星表の上で一度だけ迷った。


「……いちばん内側。一瞬、名前が遠かった」


「イオだ」


 僕は言った。言いながら、自分の確信が、ほんの少し後ろへずれかけた。エウロパが端だった気がして、押し戻す。


「内側から、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト。四つあった。合ってるよな」


「四つです」


 高梨さんが、すぐに重ねた。


「先輩が四つなら、四つ。記録が三つでも、二人で四つです」


 宇宙OSが、久しぶりに一行を出した。


 ENTROPY LEDGER: REGION RE-INDEXED BY FOREIGN LAYER.

 エントロピー台帳:外部層により領域を再採番。


 OBSERVER MEMORY: DESYNC DETECTED.

 観測者記憶:同期ずれを検出。


 ADVISORY: VERIFY YOUR MEMORY. YOUR MEMORY IS ALSO LOCAL.


「自分の記憶を疑え、か」


 僕は言った。


「親切なのか、嫌がらせなのか」


 クァルゼイが、こちらを向いた。左右の目が、わずかにずれて、僕を見ていた。


「瀬尾航。あの鉤は、後から来たと記憶していますか」


 僕は、答えようとして、一瞬だけ詰まった。


 第二波の後だ。ガンマ線の後、木星の夜側に開いた。覚えているはずなのに、いま窓を見ると、木星圏に着いたときからずっとそこに掛かっていた気が、する。


「……後から来た。第二波の後だ」


「私もです」


 クァルゼイが言った。彼は、空中の波形に指を伸ばし、鉤の到来時刻を探すように何度かなぞった。


「記録は、もうそう言いません」


「先輩」


 高梨さんが、自分の航法ログを開いていた。


「復帰した時刻のログ、書き換わってます。鉤が、最初から写ってることになってる。復帰したとき、鉤はありませんでした。私、見てました」


「直します」


 彼女がログに手を入れた。鉤の初出を、第二波の後の、本当の時刻に。


 直した。一拍おいて、その行が、また鉤を最初から写した扱いに戻る。もう一度直す。また戻る。


「何度でも直します。鉤が後から来たのを、私は見たんです。記録が何を言っても」


 声は低い。けれど、揺れていなかった。記録は正常化していく。彼女の手が、それを押し返している。


 覚えているのは、三人。僕と、高梨さんと、クァルゼイ。記録だけが、もう違うことを言う。


 クァルゼイが、紙コップを持ち直した。その手が、ほんの少し震えていた。震えだけが、規格から外れていた。


「だから、来たんです」


 彼が言った。


「貴文明は、宇宙OSを私用しすぎている。待たれた欠席やOTHER欄を、整えるための仕組みに積みすぎる。いつか暴走させると、私は見ていました。その指紋が、木星圏の異常に混じっている。予感が、当たった」


「私たちじゃない」


 高梨さんが言った。


「木星を一筆ずつ平らにする手なんて、地球にはありません」


「では、誰が」


「宇宙の、別の誰かでしょう。あなた方の知らない文明が」


 クァルゼイは、首を横に振った。


「規格に従う文明は、こんな雑な処理をしません。私の会議に名を連ねる誰も、これはやらない」


「その規格の、外の文明なら」


「……否定は、できません」


 今度は、即答ではなかった。お互いが、相手の宇宙を疑っていた。


「先輩、私たち、宇宙OS、わりと使い倒してますけどね」


「それは、いま言わなくていい」


「クァルゼイさん。これ、あなた方の規格だと、どう処理されるんですか」


 クァルゼイは、空中の波形を拡大した。基地の登録も、航路も、勤務記録も、整った履歴が片端から黒く塗られていく。


 けれど黒塗りは、地球が宇宙OSの余白に書き足した雑な断片の上だけ、乗りきれず、ささくれのように残っていた。


 彼は、その途切れを、長いあいだ見ていた。


「これは、私たちの規格には、ありません」


「処理の名前が、ですか」


「名前も、順番も、思想も。外部会計層は、規格に従います。これは——」


 言葉が、途中で止まった。規格の名を探して、見つからなかった、という止まり方だった。


「あなたにも、分からないんですね」


 僕は言った。


「分かりません」


「こっちもだ」


 疑いは、まだ消えていない。けれど、ひとつだけ、見方が揃った。あの鉤は、どちらの宇宙にとっても、異常だ。


 クァルゼイが、ようやく口を開いた。


「瀬尾航。貴文明を疑っていたことは、撤回しません」


「どうぞ」


「ですが、ひとつだけ、訂正します」


 彼は、木星を見たまま、言った。


「あれを呼んだのが、貴文明であってほしい」


「……なぜ」


「そう思えるほうが、まだ、こちらの知っている宇宙だからです」


 木星の夜側で、黒い鉤が、ゆっくりと次の一画にかかった。


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