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重力はラグでした。物理準備室で宇宙を処理落ちさせたら、国立研究所と黒服が来た件  作者: みんとす
第三章 未到着の方を、お迎えに上がります ——または、待ち合わせ重力について
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第23話 向こう側にも、便がある

 その日の勤務は、二時間延びた。


 未知の一時滞在手続き。

 12A席の封印解除。

 第三十六系統からの追加申請制限。

 焼きそばパンの食品持ち込み区分確認。


 最後の一つは、なぜか一番揉めた。


「炭水化物に炭水化物を挟んだものは、食品ですか、教材ですか」


 入管担当者が真顔で聞いた。


「食べれば食品、残せば教材ってことで」


「制度が泣きます」


「宇宙よりは泣かせやすいでしょう」


 結局、焼きそばパンは「教育目的食品見本」として一時持ち込みを許可された。


     ◇


 終業後、ミナトは港の展望デッキに出た。


 地球が下にあった。

 夜の側には細い光の血管が走っていた。


 未知は仮滞在区画に移された。

 明日から「寄り道基礎」の講義を受けるらしい。


 講義名は、ラフマニが勝手に申請した。


 却下されなかった。


 背後で声がした。


「重力の話をしたそうな顔だね」


 振り返ると、整備服の老人が立っていた。

 港で長く働いている、古株の技師だった。


「宇宙OSって、何だと思う」


「知らないよ。でかい事務担当」


「悪くない」


 老人は地球を見下ろした。


「宇宙OSは、神じゃない。誰かが作った機械とも限らない。物理法則の上にいる支配者でもない」


「じゃあ何」


「物理法則が、矛盾なく履歴になるための整合性層だ」


 ミナトは黙った。


「世界は、起きたことだけでできているように見える。だが実際には、起きなかったこと、起きかけたこと、待たれていたこと、忘れられなかったことが、周囲に薄く残る」


「あと味みたいに?」


「そうだ。現場の言葉なら、あと味だ」


 老人は指で、ガラス越しの地球をなぞった。


「普通の処理では、未到着はゼロに丸められる。今日君たちが通したのは、その中間だ」


「欠席欄」


「来ていない。だが、ゼロではない。呼び続ける義務ではない。だが、忘れたことにもしない」


「それが重力?」


「一部はな。重力は質量だけじゃない。宇宙が外側と同期するとき、質量、観測、記録、待機、そういう偏りが時空の更新方向を少しだけ傾ける」


 老人は、ミナトの端末を指さした。


「君が母親に送った、待ってる、という返事。あれは感情の言葉だ。同時に、局所的な境界条件でもある」


「母への返信が、境界条件」


「嫌か」


「かなり」


「宇宙OSも嫌だろうな」


「何で」


「人類が、読まずに押すからだ」


 ミナトは笑った。


「それは疲れる」


     ◇


 港内放送が鳴った。


『月面連絡便二一七便、到着予定時刻を二十分遅延します。お迎えのお客様は、到着ロビーにてお待ちください』


 ミナトは到着ロビーへ向かった。


 通路の床が、ほんの少しだけ重く感じた。


 足取りが沈むのではない。

 向かう場所が、こちらを引いている。


 たぶん、それが重力だった。


 ただ、到着ロビーの表示が更新された。


 月面連絡便二一七便

 遅延理由:待ち合わせ重力の発生により


「それは書くな」


 ミナトは思わず言った。


 ロビーのベンチに座ると、ミナトは母を待った。


 二十分遅れのはずだった。

 けれど、不思議と長くは感じなかった。


 待っている時間には、重さがある。


 でもその重さは、人を押しつぶすためだけにあるのではない。

 来るはずの人を、こちらへ引くためにもある。


 母が到着ゲートの向こうに現れたとき、ミナトは立ち上がった。


「ごめんね、待った?」


「待った」


 母が少し申し訳なさそうな顔をした。


「でも、来たからいいよ」


 母は笑って、コンビニの袋を持ち上げた。


「肉まん、買ってきた」


「じゃあ潰れてる方で」


「優しい息子だ」


「冷めてる方が嫌だっただけ」


「優しくない息子だ」


 二人でベンチに座って食べた。


 ロビーの向こうでは、誰かが誰かを待っていた。


 待合室は、ただ人を留める場所ではない。

 来るはずの人のために、世界の側へ場所を空けておく装置なのだ。


 そう思うと、ラグランジュ・キッチンの古い標語も、少しだけ違って聞こえた。


 よい航路は、よい台所から。


 たぶん、よい台所とは、誰かが帰ってくるまで火を落としきらない場所のことだ。


 到着ロビーのどこかで、古いメトロノームのような音がした。


 カチ、と一度。


 それは遅れていた。


 けれど、ちゃんと届いた。

第三章 完

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