第22話 欠席欄を、お申し込みください
放課後号は、そこにいた。
地球低軌道港の外壁側。
非常隔壁の向こう、星の黒を背にして、白い船体が静かに浮いている。
船体前方のラグ・リングだけが、青く光っていた。
「木星のエウロパに行ってるはずだろ」
ラフマニが言った。
「俺に聞くな」
「展示航行じゃなくて?」
「展示で木星へ行くな」
係留管制からの応答はなかった。
ただ、ロビーの壁面表示だけが切り替わった。
EXTERNAL LAG-RING ASSIST
外部ラグ・リング支援
支援機:放課後号
用途:床面下方境界の再固定
注意:恒久補正ではありません
申請者:高梨琴音
決済状態:保留
備考:後日精算
支援残り、120秒。
「二分」
ミナトは言った。
「二分で何をする」
ラフマニが言った。
「高梨琴音って、前の騒ぎの人だよな」
「たぶん」
「後日精算って何を」
「知りたくない」
壁面表示の備考欄が、一度だけ書き換わった。
備考:貸主未確定
「もっと知りたくない」
少女が、ミナトの作業着をつかんだまま、青い床を見下ろした。
「軽くしても、待つ場所が同じなら、また重くなります」
「先に言って」
「今、わかりました」
「授業が速い」
ロビー放送が勝手に鳴った。
『お迎えのお客様は、待機を中止してください。待機が継続される場合、局所重力異常が増加します』
ざわめきが広がった。
誰も、待つどころではなかった。
転倒者がいて、救助ラインが張られ、エアバッグが床に転がり、牽引ハーネスがゲート側へ流れている。
それでも、全員がどこかでゲートを見ていた。
「待つのをやめろってさ」
ラフマニが言った。
「それは無理だ」
ミナトは案内マイクを取った。
「待つのをやめるんじゃなくて、待ち方を変える」
◇
『お迎えのお客様へ。到着ゲート前に集中しないでください。足元の青い線に沿って、待機区域を分散してください』
ロビーの人々がミナトを見た。
非常灯の黄色と、待機質量の青が、床の上で混ざっている。
放課後号リング支援の残り時間が、壁に大きく表示されていた。
残り、87秒。
『待つのをやめる必要はありません。ただ、同じ場所で重くならないでください』
ラフマニが横から小声で言った。
「表現が悪い」
『言い換えます。待つ方は、少しずつ寄り道してください。売店、給水所、窓際、救護ベンチ。待ち合わせ場所を、港全体に広げてください』
残り、70秒。
誰もすぐには動かなかった。
だからミナトは、倒れたパーティションを起こし、自分で青い線から一歩外れた。
「俺はここで待つ」
ラフマニが、浮いた荷物カートを押さえたまま叫んだ。
「俺は給水所で待つ。水も飲む」
保安員が、救助ラインを握ったまま続いた。
「救護ベンチで待ちます。肩を見ます。待つ人、救護ベンチにも分散してください」
売店の店員が、とっさにラグランジュ・キッチンのワゴンを出した。
「温かいスープ、出せます。待つ人、こっち」
その一言で、人が少しずつ動き始めた。
少女が目を見開いた。
「待つことを、分ける」
「そう」
「それは、寄り道ですか」
「今、授業中だ」
ミナトは備考欄を開いた。
待機質量は一点集中させない。
待つ者が到着を望む場合、待機場所の分散を経路として扱う。
待ち合わせには、迷える余白が必要。
送信。
青い線が、床一面へ分岐した。
売店へ。
給水所へ。
窓際へ。
救護ベンチへ。
ラグランジュ・キッチンのスープワゴンへ。
残り、12秒。
青い線はもう、一本の太い流れではなかった。
残り、0秒。
放課後号のリングが消えた。
ロビーは、落ちなかった。
その瞬間、到着表示が白くなった。
STATUS FIELD UPDATED.
ABSENT, IF WAITED.
待たれた場合、欠席として記録する。
申請画面の下に、四つの選択肢が並んでいた。
YES
NO
DEFER
OTHER
「また出た」
ミナトは言った。
「宇宙OS名物、嫌な四択」
ラフマニが言った。
YESは大きすぎた。
待たれたものを全部保存する、という言葉は、宇宙の全部を人間の待合室に積むようなものだった。
NOは冷たすぎた。
12A席に座った少女を、危険物台帳の誤差に戻すことになる。
DEFERは現場っぽいが、落ちかけている人に使うには冷たすぎた。
「OTHERしかないな」
「また備考欄か」
「現場だからな」
ミナトはOTHERを選んだ。
入力欄が開く。
待たれた欠席を、到着と同一視しない。
待たれた欠席を、ゼロにも丸めない。
到着しないまま待たれる者には、欠席欄を与える。
欠席欄は、呼び続けるためではなく、忘れないまま進むために置く。
そこで、ミナトは手を止めた。
少女が、こちらを見ていた。
「君、名前を考えた」
「はい」
「何て呼ばれたい」
少女は長く考えた。
「欠席では、ありません。到着でも、まだありません」
「うん」
「では、未知でお願いします」
「ミチ?」
「はい。まだ知られていない、という意味です。道にも、聞こえます」
ラフマニが少し笑った。
「いい名前だ。現場っぽくない」
「褒めてるのか」
「今回は褒めてる」
未知は、焼きそばパンの包みを少し強く握った。
「私は、欠席欄に入るのですか」
「違う」
ミナトは言った。
「君はここにいる。欠席欄は、まだ来てない君たちのための席だ」
「席」
「来させるためじゃない。消さないための席」
未知は、その違いを確かめるように瞬きをした。
「消さないことと、呼ぶことは、違うのですね」
「たぶん」
「待つことと、縛ることも、違うのですね」
ロビーの青い線が、一度だけ強く光った。
宇宙OSが、今の一文を聞いたようだった。
「拾うな」
ミナトは天井に向かって言った。
端末の入力欄に、勝手にカーソルが戻る。
「拾ったな」
ラフマニが言った。
「拾いましたね」
未知も言った。
ミナトはため息をつき、最後の一行を入力した。
備考:未知は、ゼロではない。
送信。
◇
白い光が、ロビー全体を満たした。
音はなかった。
代わりに、古いメトロノームのような音がした。
カチ。
遅れていた。
けれど、ちゃんと届いた。
端末に表示が出た。
LOCAL FIELD NOTE ACCEPTED.
現場備考を受理しました。
STATUS EXTENSION REGISTERED.
状態拡張を登録しました。
ABSENT, IF WAITED.
待たれた場合、欠席として記録する。
LOCAL LIMITATION ATTACHED.
ローカル制限を添付しました。
欠席欄は、到着の代替ではありません。
欠席欄は、召喚権ではありません。
欠席欄は、所有権ではありません。
欠席欄は、忘却の延期としてのみ機能します。
HUMANITY RESERVES THE RIGHT TO REMAIN INCOMPLETE.
人類は、未完成でいる権利を留保する。
ロビーの青い線が薄れていく。
待機質量の表示が下がる。
椅子が元の位置へ戻る。
荷物カートが止まる。
未知は、消えなかった。
彼女はそこにいて、焼きそばパンを大事そうに持っていた。
ただ、12A席の表示だけは変わっていた。
座席:12A
状態:到着
欠席欄:第三十六系統/待機者あり
備考:未知は、ゼロではない
「到着と欠席が同じ画面にある」
ラフマニが言った。
「気持ち悪いな」
「気持ち悪いものを、気持ち悪いまま残す欄なんだろ」
「現場説明としては最悪だが、たぶん正確」
ミナトの端末には、母からの通知が残っていた。
母:今日、月面便すこし遅れる。ごめん。
母:二十分くらいかも。
ミナトは返信した。
ミナト:大丈夫。待ってる。
ミナト:少し遅れてもいいよ。
送信した瞬間、ロビーの床が、静かに沈んだ。
足を取られる重さではない。
向かう場所が、こちらを引いている重さだった。
端末の隅に、小さな通知が出た。
FIELD NOTE UPDATED.
待機時間は、質量に準じて扱われます。
ただし、待つ者が到着を望む場合、その質量は拘束ではなく、経路として計上されます。




